第7話
「そうそう、これでアカウントを作って……ねえ望月くん」
「ん?」
「これってちゃんと仕事中にやったほうが良くない?」
「え」
「だって仕事のアカウントでしょ」
「そうだけど…」
「お休みの日にやるってよく考えたらブラックじゃない」
「んー、でも、資格の勉強とかって休日にやるし」
「ああ。なるほど……いいの?」
「うん」
「そっか。じゃあここに画像を入れればヘッダーっていって、まあ顔の部分だよね。本で言うなら表紙みたいな。それが変更できる」
「うん」
「そしたらさっきみたいに本文書いて投稿すればオッケーだよ」
「うん、わかった」
「ちょっと休憩しよっか」
時計を見ると16時に近かった。
「そうだね」
「望月くん持ってきてくれたクッキー食べよ、紅茶淹れてくる」
「ありがとう、手伝いたいけど、キッチン入られるの嫌?」
「嫌ではないけど、気持ちだけでいいよ。目、休めてて」
「なにからなにまでありがとう」
「いいのいいの」
パソコンで散らかしてるからと対面式キッチンのカウンターの椅子をすすめられる。
素直に座って紅茶を淹れてくれるゆきやくんを眺めていると、お店みたいだなあと思う。
「……望月くん」
「ん?」
「あの…おなかいっぱいだったらいいんだけど、チーズケーキ食べない?」
「あ、ほんと?うれしい。チーズケーキ好きなんだ」
「よかった、じゃあ切るね」
そう言って冷蔵庫から出してくれたのは、三角に切られた市販のものじゃなくて、
丸いままの大きなものだった。
「それ、用意してくれてた、とかだよね。」
「え、あ、うん。お菓子作るのも好きで……」
「じゃあ僕のクッキーは賞味期限長いしまたあとで、あ、そうだ、夜に食べようよ、ゲームしながら」
「え、でも」
「ケーキ、たくさん食べたいし」
「……うん。」
シンプルな白のお皿に
やさしい色のベイクドチーズケーキが乗って、
雪みたいに白い粉がふりかけられていた。
「すごい、お店みたい」
「粉砂糖をかけただけなんだけど、ちょっとかわいくなるよね」
僕の隣に座りながら、ゆきやくんが紅茶を注いでくれる。
「いただきます」
「はーい」
ぴかぴかに手入れされたシルバーのフォークで一口食べると、なめらかで香りが良くてとても美味しかった。
「……すごく美味しい」
「ほんとう?」
「ほんとうに美味しい、すごい」
「…よかった、作ったはいいけど、なんか恥ずかしくて」
「なんで?」
「女子力、ってかんじが」
「…気にしなくっていいって。……なんか、前にもあったね、このやりとり」
「あはは。うん。覚えてたんだ」
「僕みたいなやつが女子に歯向かったのなんて人生であれっきりだから」
「あはは」
中学校のとき。家庭科でホットケーキを作った。
ゆきやくんがものすごく上手にきつね色のホットケーキを焼いて
苺とチョコレートソースで綺麗に盛り付けもした。
お手本のように完璧なホットケーキに
チョコレートソースで星の絵が描いてあったのを覚えている。
それを見たクラスの女子が、女子力高すぎー!と大声で言った。
ゆきやくんは男子にもからかわれて、涙目になっていた。
僕は一瞬でイラっとしてしまって、
『料理に性別は関係ないんじゃないかな』
と、その女子たちに向かって言ってしまった。
情けないことに、言ってしまったあとで手が震えたけれど。
その女子は真っ赤になって睨んできて
周りのクラスメイトも、たしかにパティシエって男の方が多いくらいじゃね?
ゆきや、将来パティシエになれば?という話になって何事もなかったように落ち着いた。僕がその女子に卒業まで口をきいてもらえなかった以外は。
その子のホットケーキは真っ黒に焦げてしまっていたから、今思うときっと嫉妬とか恥ずかしさとか、そういう感情だったんだと同情することはできるけれど。
「今はもう悲しいとかはないけど、いまだにね、街を歩いてるとき、お花屋さんで買い物するとき、呪いみたいに出てくる。あのときの、女子力、って言葉。」
「そう」
「…ちょうどなんとなく性別に関して悩んでるときだったから余計過剰に反応してしまったんだなって、今は思う。望月くんに救われたんだ、あのときは」
「……うん」
「…でね、ケーキ作ったんだけどなんかお菓子作って待ってるっていう状況がなんか女子力アピールみたいで恥ずかしくなっちゃって、でも、やっぱり食べて欲しいなって思って、ぎりぎりまで出そうかどうしようか迷ってた。」
「出してくれてよかった、こんなに美味しいケーキ、食べられないところだった」
「ふふ。ありがとう」
「おかわりしてもいいの?」
「え、もちろん。」
「ケーキおかわりって、あんまり聞かないよね」
「そうかも、あはは。でもうれしい」
きみのなかで、きみの性別は、いったいなにに当てはまるのだろう。
それを聞いていいとおもえるほど、そこに踏み込んでいいとおもえるほどには、
僕とゆきやくんの距離は近くない。
再会するまで、女性の姿で生きると決めるまでの本人の葛藤を、
そこを知らない僕では。
「晩ごはんどうする?望月くん、何食べたい?」
「んー。そうだなあ。」
「ひとりじゃ食べないものにしない?」
「え?」
「ホットプレートあるんだ。それで何か焼くとか」
「いいね。」
「焼きそば、お好み焼き、焼肉…、鍋…は早いよね」
「お好み焼き、焼きたてはずいぶん食べてないなあ。冷食は買うけど」
「じゃ、お好み焼きにしよ!」
とってもたのしいことを思いついた顔で元気に微笑んでくれる。
「うん」
「やったー、お酒も飲んじゃおうね」
「いいね」
つられてこちらも、笑ってしまった。
ふわりとした気持ちになって、夜がくるのが楽しみになって。
おやつのお皿を片付けた後にのんびりと並んでスーパーまで歩く。
「すっかり秋だねえ」
「そうだね」
夕方になると少し、風がひんやりと肌寒く感じる。
呪いのようだった酷暑も、感覚としてはすでに忘れかけている。
ゆきやくんは大きなエコバッグを持っていて、それを褒めるとまた得意げに笑う。
「望月くんは持たないの?エコバッグ」
「うーん。家には景品のやつがあった気はするんだけど」
「ふふ」
スーパーに着いてカートを僕が押して、
ゆきやくんがカゴの中に野菜やお肉を入れていく。
「キムチはマスト」だとか「チーズもいっとこうか」と張り切りながら。
お酒のコーナーに寄って、あれこれ迷う。
「地ビールも気になるけど、クセが強いのはあんまり」
「あー。わかる。私は今日は甘いのにしよう、カクテル系。あー、でも無糖のほうがお好み焼きには合うかな。うん。レモンかグレープフルーツ…あ、マスカットもあるんだ」
「僕はレモンチューハイにしよう。ゆきちゃんは?」
「…………っ、えっと、あ、じゃあおんなじやつ」
「うん」
さりげなく、呼んだつもりだった。けれどどこか不自然だっただろうか。
こんなに恥ずかしいのなら、ゆきやくんと呼んでいる方が良かったと後悔しそうになるけれど、きっとこういうのはいつか慣れてくるものだろう。
「重いほう、持つよ」
「あ、ありがとう」
たくさん買い込んだ帰り道。
下校中の小学生がやたらと元気だったり、黄色い傘を引きずってる子だとか
帽子のゴムがとんでもなく伸びている子がいたりするのは僕らの時代と変わらない。
おじいさんに抱っこされている小さな犬がなんだかちょっと得意げだったり、
どこかの店から中華料理の匂いがしてきたり、
電線の向こうの飛行機雲が
ほんのりと夕方の色に染まっていたり。
そんな、なんでもないかんじがすごく、穏やかに楽しかった。
ゆきやくんはマンションに戻って
ホットコーヒーを淹れてくれた。
フィルターで淹れる、プロみたいなやつ。
飲みながらホームページにブログを埋め込むやり方を教わった。
「これでブログの更新をSNSでも簡単にお知らせできるようになるからね」
「なるほど」
ノートにメモをしていく。
学生のころのようだ。
「逆もできるよ、SNSをホームページに埋め込むことができるから、ホームページからのアクセスも増えると思う。別々のままじゃもったいないから、これは会社のパソコンから試してみてね」
「わかった、明日やる」
「良いお返事です」
「恐縮です」
「ふふ」
10階建てくらいあるマンションの8階。
窓の外、空への距離がなんとなく近い。
「鳥の高さってこれくらいかな」
「ん?」
「僕のアパートは2階だから。」
「考えたことなかった。」
ふわりと外を見る、ゆきやくんの長い髪が揺れる。
いつでもすこしだけ微笑んでいる横顔。
窓の外に見える
みずいろの空に浮かぶ雲の一部が、夕焼けのオレンジに染まる。
もしかしたら、僕はこのひとを
すきになるかもしれないと思った。
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