第13話

ごはんの炊けたにおいで目が覚めた。

朝五時半。

ほとんど開いていない目をこすりながらよろよろと顔を洗ってヒゲを剃る。

台所に行って、お湯を沸かすとインスタントの味噌汁をお椀に用意する。

鮭フレークを乗せたごはん、みそしる、ヨーグルト。

完璧にはほど遠いけれど、菓子パンを慌ててコーヒーでむりやり飲み込むのよりは健康的と言っていいと思う。

味噌汁を飲むと体の中に温度がダイレクトに入ってくる感覚がある。

ほっとする感じがあって、頑張ってよかった、少しずつ自炊のレパートリーを増やしていこうと嬉しくなる。

そういえばゆきちゃんは一人分ごはんの動画を投稿していると言っていたから、今度休みの日にでもなにかチャレンジしてみようと思う。



「お、白飯だけじゃない、おかずが入ってる」

昼食に僕が持参したタッパーを覗き込んで

館長が嬉しそうに背中を叩いてくれた。

「スーパーの煮物と缶詰のさんまのかば焼きですけど」

「上等上等。偉いぞ」

「どうも。あ、館長、お昼は」

「俺は食べた、今からちょっと大学の研究室行ってくるから」

「あ、わかりました」

博物館と言うのは一年のスケジュールがきっちり決まっていて企画展などは前年から予定が決まっていることさえある。展示品の準備や他館からの貸し借りなどに加えてポスターの依頼や印刷業者の選定など、暇そうにみえて実はお客さんの少ない平日にもいろいろと動いてはいる。

次の企画展は、人間とカレンダーのかかわりについての特集にしようと思う。

人間にとって、一年とはなんなのか。どういうふうにして、人は時と生きてきたのか。


「望月くん」

「はい」

「シリウスの件なんとかなりそう?」

「あ、はい。ボランティアの天文クラブが協力してくれることになって」

「あ、ほんと。よかった。じゃあ」

「はい。お気をつけて」

ミュージアムのほうは受付のパートさんがいてチケットの販売などはやってくれるので、僕は午後には展示物の準備をしようと思う。



展示の予定を立てる。

いくら気合が入っていてもスペースの都合や予算がある。

地元の天文台や近隣の自治体の歴史資料館に協力してもらったり、時には海外の博物館に資料の使用許可について問い合わせをしたり、やることは山のようにあった。

たまにあまりに忙しいと、正社員でもない自分がどうしてこんなに、と思ったりすることもあるけれど。


チラシを配布してもらう予定の図書館や近隣の博物館のリストを開く。

公共施設の入り口に設けてあるコーナーで、お互いのチラシやパンフレットを交換して配布するような形になっている。イベントなどの前には相手の施設のチラシやポスターも送られてくる関係だ。

付き合いが長くなって雑談するような間柄になってから

実はお互い正社員ではなかったと知る、みたいなことも珍しくない。

子供が小さいから今はパートで、という女性や

長く正職員だったけれど定年して契約社員になったというひともいる。

自分のような年齢の非正規はそんなには多くないけれど、やはりこの仕事が好きだとか、この業界が好きだとか、そういう理由がほとんどのように思う。

そして、春になるとやはり離れていくひとがいる。

仕事が少ないからと、違う業界に行ってしまうひとも。


出会う人出会う人、入れ替わりが早くてくるくると変わる。

一年単位で、すぐに次の人。やっと名前を覚えた頃に。

そこそこ話をする間柄になっても

電話をすると『担当者が変わりました』といわれたりもする。

数か月に一回チラシを受け取るだけの間柄だ。

連絡をする義務はないのかもしれない。

けれどそんなとき、すこしだけさみしいなあと感じる。

ずうっと同じではなくて、通り過ぎていくように、くるくると移ろう。

どこかで元気にしているといいなあとだけ思う。

向こうが自分のことを思い出すことなんてなくても。


ふう、とパソコンから顔を上げる。目と肩がつらくなってきた。

うーん、と伸びをすると財布を持って事務所を出て

ミュージアムの一角にあるお客様用休憩所に向かう。

小学校の社会科見学でお弁当の部屋になったりする、テーブルとイスと自動販売機しかない広いスペースだ。

大きな窓があって外が見える。住宅街だから景色がいいとは言えないけれど

それなりに季節の植物があって目には優しい。


十五夜を過ぎて季節は秋を越えて冬に向かう。

ほんの少しずつ色づいてきたイチョウの木の、緑と黄色のグラデーションが綺麗だ。

自販機に500円玉を入れると

ぴ、っと光る。

いつものコーヒーにしようと思って指を伸ばして、レモンティーの前でふと止まる。

紅茶が好きだと話していた、ゆきちゃんを思い出す。

ほんの一瞬ためらって、伸ばした指をレモンティーのボタンに伸ばした。


ごとん、しゃらん、しゃらん、しゃらん。

ペットボトルの落ちる音、おつりが落ちる音。

何をやってるんだろう、僕は。そう思いながらおつりを財布にしまう。


チーズケーキを見ればゆきちゃんを思い出す。

ゲームのCМを見ればゆきちゃんを思い出す。

お好み焼き、さんま、長い髪のひと。

そういういちいちに。その自分のめんどくささに少しだけうんざりする。

会いに行く勇気がない。

自分の感情が恋愛なのか、母親代わりを探しているだけなのか、

そういうぐらぐらとした下地に名前が付かないままでは。


ペットボトルを開ける。

かりり、という音が嫌に響く。

レモンの香りが広がって、甘い紅茶の香りと混ざる。


窓からの柔らかな光を受けて

澄んだ黄色の紅茶が揺れた。


ふう、と一息つくと

窓の外を見上げた。

淡い水色、秋の空は薄い雲が高く広がっていて。




「望月くん」


静かに響く声。


え?と思って振り向くと、

僕ら以外誰もいない、だだっ広い休憩所の向こうから

ゆきちゃんが微笑みながらこちらを見ていた。




いつもとは違う、男性の姿で。









































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2024年9月22日 16:00
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