第14話
「ゆき、ちゃん」
「うん。遊びにきちゃった」
「え、」
「連絡もしないで急にごめんね」
「いや、」
「…迷惑だった、かな」
「ちがう、ちょっ、ごめ。あの、び、びっくり、して。」
「あはは。うん。そう見える。」
「…っ。」
きゅっと、ペットボトルの蓋を閉める。
あたふたしすぎて、ものすごく、かっこわるくて。
「望月くんの働いてるミュージアム見学したいなって思ってて。ほら、一緒にSNSのページ作ったでしょう?あの時から来てみたかったんだ」
「あ。うん。来てくれてありがとう」
「いえいえ。あ、あのね、お菓子買ってきた。よかったらみなさんで」
「え?」
「ゆりこさん覚えてる?お店のオーナーの」
「ああ。うん。もちろん」
ゆきちゃんをお店に雇ってくれた
元気な、元男性の女性だ。
「ゆりこさんおすすめのお店のパウンドケーキ。個数わかんなかったから10個入りなんだけど足りる?」
「あ、うん。全然。あ、その個数ならボランティアさんにまで渡せる」
「あ、ほんとう?よかった、個包装で賞味期限も1ヶ月あるからね。望月くんもどうぞ。おいしいよ」
「ありがとう、いただきます」
「仕事中にごめんね」
「いや、ちょうど休憩。なんか飲む?」
自販機にお金を入れる。
「あ、じゃあ、レモンティーがいいな。ありがとう」
「うん」
ぴ、とボタンを押すと、ちょうど今の分でレモンティーが売り切れになったみたいだった。
「今ので売り切れだって。レモンティー、人気あるんだ。僕普段はあんまり飲まないんだけど」
「あ、ほんとだ。おんなじ」
僕の選んだレモンティーを見て、ゆきちゃんがにこりと微笑む。
ゆきちゃんを思い出して買っただなんて知られたらどうしようと、なんとなく気まずくなりながら、ゆきちゃんにテーブル席を促す。
「いただきます」
「うん」
かりり、とペットボトルを開ける手元を見る。
いつもの綺麗に塗った爪じゃなくて、不思議に思う。
えい、と、勇気を出してゆきちゃんを見る。
「あのさ、」
「この格好?」
「………」
「ふふふ。ごめんごめん。そりゃ気になるよね」
午後の日の光がゆきちゃんの髪を照らす。
茶色い綺麗な髪はひとつに縛られていて
黒の薄手の長袖のTシャツと黒のダメージデニム、くるぶしまである長い布製のスニーカー。
「ロックバンドっぽくしてみました」
「………ああ、うん。」
「ふふふ。この髪型で普通の服着ても男っぽくならないんだよね。だから、あえてロックバンドやってます的なかんじにしちゃえば華奢なバンドマンになれる、はず」
「華奢なバンドマンになる必要があったの?」
「あはは。ないけど。」
「ないならなんで。」
「うーん?」
「僕の職場に来るために?」
「たまたまだよ。」
にこっと、いつもの笑顔で。
「…絶対そうなんでしょ。いつものゆきちゃんでいいのに」
「………不動産屋さんに行くときにはあえて男のかっこうをしたりする、
そうでないと年輩の大家さんに断られてしまうから、って話したでしょう?」
「……うん」
「……こういうところって、偉い人たくさんいるのかなあって」
「………だからって」
「……わたし、部屋を借りるために男のかっこうするのって、嘘ついてるみたいで嫌だったの。当時は。でもね、大人になると、全然引けるの。自分のしたいことよりも、場の空気というか調和を優先できるようになるのね?」
「…………言いたいことはわかるけど」
「うん。だから、今日は男装のつもりで来てるから。むしろ男のかっこうのほうがコスプレしてるみたいな気分なのね。楽しいよ?」
そう言ってのほほんと笑う。
あ、これおいしーね。そう言ってレモンティーを一口飲む。
ぼくには甘すぎるけれど、と言いそうになってやめる。
そうだ。大人だから、そんなこと口に出さない。
我慢するのが大人なら、きっとそうするのが正解だ。
「僕は…いつものゆきちゃんがいちばんいいと思う、いつものゆきちゃんで遊びに来てくれて、全然、」
「………」
「………勝手な、あれだけど」
ごくごくと一気に飲んだレモンティーは喉が焼けるほど甘くて。
「……うれしいよ、ありがとう」
そっと、ゆきちゃんが微笑みながら目を伏せた。
チケット売り場に顔を出して、紙袋をひょいっと掲げる。
「僕の友人です。お菓子いただいたので、あとでみなさんで」
そう言ってゆきちゃんを紹介すると、ゆきちゃんはぺこりと会釈をしてくれる。
チケット売り場のベテランのパートさんが
「あら、ずいぶんイケメンが見学に来たなと思ってました。望月さんのご友人でしたか。わざわざすみません。いただきます。」
そう言って微笑むと
「いえいえ。少しですが。」
いつもより低めの声で爽やかに応対している。
ちらりとゆきちゃんを見ると澄ました顔をしているから笑いそうになった。
挨拶をして少し離れると
「やだあ、わたしイケメンですって~。聞いた?」
「なんだよそのしゃべりかた」
テレビに出てくるテンプレート的な『オネエ』のような身振り手振りに話し方、普段はしないくせにわざとそんなふうにして明るく振る舞う。そしてきっと彼女の中で絶対にそういうオネエと呼ばれるひとをバカにする意図はないのだろう。
なにもかも、他者の心地よさを優先してしまう性格なのだろうけれど。
「あはは。」
「僕の前で、演じなくていいよ」
「………ほんとうにうれしいよ。イケメンって、褒め言葉でしょう。」
「………」
「ね」
それはそうだけど。
ほんとうに心から楽しそうに笑う。
気を使いすぎてるのは自分なのかと思うほど。
「望月くん」
呼ばれて振り返ると館長だった。
「あ、おかえりなさい」
「おう。あ、お友達来てるんだって聞いたから挨拶にさ。
スタッフみんなにお菓子までいただいたそうで。望月くん、いま忙しくないから案内してさしあげたら?じゃあお友達くん、しょぼいとこだけど、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
にこりと会釈する姿は堂々としている。
とりあえず公式に館内をガイドしていいことになったからちょっと嬉しくなる。
「あ、でもゆきちゃん、展示ひととおり回ったあとなんだよね?」
「うん、でも、もう一回見たい。ガイド付きで」
「あはは。うん。ではどうぞ。」
時と暦をテーマにしている、科学と歴史のどちらの要素も持つ博物館だ。
古代メソポタミア文明の頃から、星や太陽と共に暮らしてきた人間の知恵や努力が詰まったことを伝える模型や復元資料。
文字を読めることが今ほど当たり前ではない時代の絵をふんだんに使った暦や、
古代中国の、星宿と呼ばれる星座の表。
どうして曜日ができたのか、文化とのかかわりのなかでどう進化してきたのか。
近代では旧暦から今のグレゴリオ暦に代わるときにどんなことがあったのか。
現代、どうやって時を知らせていて、その基準がどこなのか。
うるさくなりすぎないように説明していく。
「昔の人は、日にちとか自分の年齢とかを、どうやって把握したのかな。誕生日のお祝いとかできたのかな。」
展示を見ながら、不思議そうにゆきちゃんが呟く。
「1年、ていう単位は古代エジプトの頃にはすでに使われていたみたいだよ。」
「エジプト?ピラミッドとか?そんなに昔から?」
「一年の始まりは、一粒の星が基準だったみたい」
「星?」
「うん。古代エジプトでは、シリウスっていう星が見えるころを一年のはじまりとしたんだ。
毎年その星の見えるタイミングは乾いた土地に水をもたらす、ナイル川の増水の季節とも一致してる。」
ゆきちゃんはふむふむと誠実に耳を傾けてくれる。
僕はなるべくシンプルに伝えたくて言葉を紡ぐ。
「農業や生活に欠かせない水の訪れを知らせる、一年の大切な目印だったんだ。現代でも夜空でとても明るく光る一等星だよ」
明るく輝く一等星は一年の始まりを冴え冴えと告げ、人々はその空のもとで働き、食べ、眠る。
星座は古代エジプトの時代には農民が作物を作る時期を知るために使われていた。
月の満ち欠けは漁師が海の干満を知るために使われた。
気の遠くなるような古い時代から、人々は太陽や星、月の満ち欠けで時を刻んできた。そしていまでも人は、
空の下で一年一年を積み重ねて暮らしている。
「毎年同じ季節に同じ星が見えるの?」
「そう。」
星は1年で巡る。
オリオン座は必ず冬に見えて、
さそり座は夏にしか見えない。
星が巡る周期があることを知って、
古代の人は1年というものの存在に気が付いた。
ぐるぐる回る、時はひたすら進む。
すとんと疲れているとき、
将来の不安が強いとき、
マラソンをしているようだと思う。
あと何回、あと何周あるのだろうと。
炎天下に
あと校庭80周と言われたような絶望的ともいえる気持ちになる。
疲弊して、あとどれくらいかと思い、
それでも挫けずに足を前に進める。
「メリーゴーランドみたい」
「え?」
「同じところをぐるぐる回るんでしょう?」
ふわりと微笑むゆきちゃんに胸がいっぱいになる。
「ああ⋯うん」
「また会えたねって、思うね」
「また、会えたね?」
「うん。メリーゴーランド、子供のころお母さんがカメラ持って手を振ってくれた、くるくる回って、お母さんの顔見えるたびに、私も手を振り返したの」
それはきっと、どこにでもある、
幸せそうな光景。
「季節の星がまた見られたり、季節のお花がまた見られたり。約束なんかしてないのに、すごいよね」
ふわりとわらう。
その表情は透明で、神秘的で。
ああ、
僕はこのひとがすきだと、
そう 強く 確信した。
なぜだか少し、泣きそうな気持ちで。
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