第15話

そろそろ帰るね、ありがとうと微笑むゆきちゃんを

館内の出口まで見送る。


入り口にある寄せ植えの秋の花がもうすぐ冬の植物に変わる。

クリスマス、お正月と日々は進んでゆく。


「今日は来てくれてありがとう」

「ふふ。楽しかった。案内までありがとね」

ひんやりとした風が吹いて、ゆきちゃんの結んだ髪の先を泳がせる。



「…あのね、望月くん」

「ん?」

「ほんというと、嫌われちゃったかなって、すこしだけ、思ってた」

「え?」

「最近お店に来ないし、連絡もなくって。」

「…………そんなんじゃないよ。」


「そう?なら、良かった」


「そんなんじゃない。そんなわけない」

「うん、そっか」

「………」


「…じゃあ、またね」

「うん。」

しゃりっと砂の音をさせて、ゆきちゃんが反対方向を向いた。

落ち葉を踏むさく、さく、さくという音がして、どんどん、遠くなっていって。


このまま、会わなくなる予感がした。

大人だから、なんとなくわかった。

ゆきちゃんは離れてしまいそうな

その最後のつなぎ目をほどかないように来てくれて

そしてそれに、きっと、「次」はないこと。



「ゆきちゃん」

思わず呼び止めて、一歩近づいた。

ゆきちゃんはぴくりとしたあとに止まってくれて

振り向かないいままで静かに僕の言葉を待った。


「ゆきちゃん……その、えっと、一緒にごはん食べない?」


「……いつ?今日?こんど?」

向こうを向いたままのゆきちゃんの表情が見えなくて不安になって。


「…今日。あと……これから、も」

「……」


ふわりと振り返ったゆきちゃんの顔が、泣きそうなのを見て思わず駆け寄った。

「連絡しなくてごめん。僕はひととあんまり親しくなったことがなくて、このままだときっとゆきちゃんに依存するって思った。それはすごく怖いことのように思えて、それで………」

「望月くん」

「うん」

「……ごはん作って待ってていいかな」

「……それは、もちろんうれしいけど…でも作らせちゃうの申し訳な」

「わたしが、作りたいの」

「………」

「だから、待ってるから」

「………うん。」



「よし。じゃあ、もうお仕事にもどりなさい」

朗らかに魅力的に笑って、からかうような表情で。うれしそう、に、見えて。

「うん」

僕の気持ちはきっとばれてるんだろう、そう思いながらも心地よくて。

ひきとめることができて安堵した気持ちと。半分くらいのうれしさと。




職場に戻るとデスクに座る前に、ゆきちゃんにもらったパウンドケーキをみなさんに配る。

イケメンでしたね、同級生ですか?だとかいわれるのに答えながら箱を畳んで資源ごみのボックスに入れる。

「館長も良かったら」

「おう、昼メシ早かったから腹減った。いただくわ」

そう言って緑茶片手に封を開けた。


「そういえばさ」

「はい」

「俺、簡単な家事ならできるようになったんだよ」


「それはそれは」


「カミさんが体調崩しただろ」

「ええ」

しばらく慣れない家事に苦労して、娘さんに説教されたと言っていたはずだ。


「………やっぱちょっと、しびれが後遺症として残ってさ。杖ついてるんだよ」

「そうでしたか」


「でもさあ、なんだかポジティブで。ピンクのかわいい杖見つけただの、娘と腕組んで歩けるから嬉しいだの言っててさ。女って強いなあって」

「女性だから強いのか、奥様だからつよいのか、そう見えるように振る舞っているだけなのかはわかりませんけど。けれど前向きなのは、素敵です」

「そうだな」

「ぜひ、奥様と腕組んで、歩いてください」

「…………気が向いたらな」



怖かっただろう。いなくなってしまうかもしれない恐怖は。

そして元気な顔を見て、どれほど安心しただろう。

長く一緒に過ごしてほしい。こころからそう思う。


「望月くん」

「はい」

「今でも副館長になる気、あるか」

「え?」

「冗談で言ってただろ。副館長〜って。」

「ああ。はい。」

ほんとにそんな肩書きがあるならば、と。

「………俺も無理できない年だしカミさんのこともあるし、春の契約からちょっと仕事のペース、落とそうと思うんだよ」

「…はあ」

「上に相談したらな、正社員じゃなくていいから名誉館長として残ってくれ、って言ってくれたんだ。で、そうなると、このミュージアムにフルタイムの正社員がひとりもいなくなる。」

「え…」

「実際は副館長って肩書きじゃなくてな、主任学芸員。正職員として枠を設けることも可能だって。どう?望月くんがやる気あるなら」

「やりたいです!ぜ、ぜひ」

「………うん。そう言ってくれると信じてた」

「あ、ありがとうございます」

「いやいや。最終的には俺に決定権ないから。でも、全力で君を推すよ」

「………うれしいです」

「君の人柄と努力だよ」



「………」

「散歩したりね、喫茶店行ったり。そういうのもいいなあと思ってね」

「はい」

「楽しいよ、年、とるのも」


「うらやましいです。おふたりが。僕も、そうなれるように努力します」

「ん?いいひとできたんか」


「…すきなひとがいます」

「……へえ」

そう言いながら

しみじみとパウンドケーキを眺めている。

好みの味だったのだろうか。


「ま、正社員じゃなくなっても、あちこちの遺跡には出掛けるから。留守は頼むよ」

「はい。がんばります」

よし、と、一息ついてパソコンに向かう。

すっきりとした気持ちで。

お腹はすいたけれど、おやつは我慢して、引き出しにしまった。






仕事を終えて、ゆきちゃんに連絡した。

メッセージアプリから文字を打つ。

『仕事終わったよ、なにか必要な物ある?』

『大丈夫、まっすぐ来てね』

そんなやりとりがふわふわと甘く嬉しい。


『今夜は肉じゃがと厚焼きたまご、あとは冬瓜のお味噌汁とほうれんそうのおひたしです。』

ゆきちゃんの顔よりも大きい野菜の写真が送られてきた。

よくわからないけれど、これが冬瓜というのだろう。


スマートフォンのアプリを閉じると、ゆきちゃんのマンションに向かって歩き出した。素直になろう、そう、冷えた空気を胸に吸い込みながら。


玄関のドアを開けてくれたゆきちゃんは

いつものメイクをしていて、シンプルな白のニットに淡いピンクのエプロンをしていた。スリッパを出してくれて、リビングに案内される。

きょうは野菜がどれも質がよくてねー、と楽しそうに笑う顔を見て

ああ、かわいいなと、シンプルにそう思う。

「おつかれさま、もうすぐできるからね」

「あの、これ」

「えっ」


ゆきちゃんに渡したのは、ピンク色のブーケ。

駅前のスーパーのお花屋さんのコーナーにあった、980円のもの。

「小さいけど」

「え、わたしにくれるの?うれしい、ありがと……お花、好き」

「よかった」


「かわいいね、お花」

そういってどこかから出してきた花瓶ににこにこと飾っている。


その表情を見た瞬間、どうしようもないほどに好きだって思った。

隣にいて欲しいって、どうしようもなくそう思って。


「似合いそうだって思ったんだ」

「……ほんとう?うれし…」

「見た瞬間、ゆきちゃんの顔が思い浮かんだんだ」

「…………」

「ごめ、よゆう、ない、から、今、言わせて。」

「………」

リビングに入ってすぐだなんて、告白のタイミングとして最悪なことはわかっていた。

それでも。今、伝えないと、言えない気がして。

「ゆきちゃんは、いつものゆきちゃんがいちばんかわいい」

「……」

「いま、ほんとうに、かわいい」

「………っ、」


「僕なんかじゃ相手にならないかもしれないけど、ゆきちゃんが好きだ」

「…………」

「………失うのが、怖くて」

「………」

そっと近づいてきたゆきちゃんが、僕の目の前に立った。


「怖くて怖くて、距離を取った」

「うん」

「誰かを好きになって、またひとりになるのが、こわくて」

「うん」

「……でも、ゆきちゃんのそばにいると楽しくて、」

「……ん」

「……っ。ごめ。かっこわる…」

一生に一度かもしれない告白は、想像の何倍もみっともなかった。


「ねえ望月くん」

「ん?」

「わたし、ずーっと、望月くんのこと好きなんだよ」

「え?」

「うん。」

「え、」

「気付いてなかった?」

「え、」


「…………なるほど。」

「え、な、なにが」

「気付いた上で、距離を置かれたんだと思ってた。だから、望みがないならしつこくするのはやめよーって。今日は最後のつもりだったの」

「………いや、え、だって」


「ずうっと好きだった。再会したときから」

「え?」

「中学生のときは私、自分の性別に対してはっきりとした自覚なくて。だから放課後とかに一緒にゲームしてたときは完全な友情だったんだけど。大人になって再会したときに、ああ、すてきだなあ、相変わらずお人よしでやさしいなあって」

「………」

「ふふ。ずうっと好きだったのに、ものすごいアピールしてたのに、気が付かなかったか」

「………」

「そこもまた、いいんだけどね」

「え、」

「抱きしめていい?」

「………っ、え、」

胸が何度も鳴って、うるさくて、倒れてしまうんじゃないかと思った。

「好きっていって?」

「………すき」

「……」

「…、だよ、」

「あはは。うん。やったー!」

ぎゅうっと抱きしめられて、自分がいまどうしてこうなっているのか理解ができなくて。

「……奇跡みたいだ」

「……こっちの台詞すぎるなあ。」

「なんで」

「なんでって。わたし男だもん」

「ゆきちゃんは男じゃないとおもう」

「それでも。こんなややこしいの好きになってもらえるなんて奇跡なの」

「ゆきちゃんはゆきちゃんで、性別は別にどっちだっていいよ」

「…ありがと。前にも言ってくれたよね、性別って、どっちかに決めなきゃいけないの?って。あれ、嬉しかったんだあ」

「…………」

ぎゅっと抱きしめた。消えないようにと思った。

顔を上げたゆきちゃんは泣きながら、いつもの笑顔でにひひと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る