第4話

長い通勤時間は、夜よりも朝のほうが少しつらい。

日差しがあって疲れるのと、混雑具合が高いからだ。

夜は残業があったりで帰宅時間がまちまちだけれど、朝というのはだいたいのひとが

同じような時間に一斉に職場や学校を目指す。

今28歳で、定年退職まで30年以上もある。いつまでこの不安定な契約で働くことができるだろうと不安になる。奨学金が順調にいけばあと10年ほどで返し終わって……

車内の天井に貼ってある【価値ある転職を。】というキャッチコピーの広告がやたら目についてしまう。研究会などで他館のひとと話す機会があると口をそろえるのが待遇の悪さだ。都会にある博物館などは来客数も多く収益的にも問題なさそうに思えるのに、先日そんな大きな博物館がクラウドファンディングをしたということで話題にもなった。

知り合いの科学館でもプラネタリウムの老朽化が進み、新しい機械を購入する予算はなく、古いものをだましだまし使っていると聞く。

どこだったか、古いプラネタリウムは取り壊され、代わりに新しくできたのが保育園だと聞いた。たしかに地域に保育園が足りない場合、そちらに予算を回した方がダイレクトに市民の為になる。こうして文化が衰退して、などと偉そうな口は叩けない。

そしてもちろん、こういう業界でも十分に稼いでいるところはある。待遇の悪さを業界のせいにばかりはしていられない。



「来館数がいまいちだねえ」

パソコン画面を眺めながら館長がコーヒーをすする。

「渋いですねえ」

「うん。小学校が減ってるからね」

小学校が減っている、というのは学校数が、という意味ではない。

小学校の体験学習の予約が減っている、というのが正確な表現だ。

なんでも小学校は授業が昔より難しくなっているそうで、覚えなくてはならない漢字の数も昔に比べて随分増えたそうだ。なかなかこういった社会科見学の機会も減ってしまっているようで、じわじわと来館数は年々減ってきている状況だ。しかも今年度は老朽化した外壁とトイレの修繕工事も予定されている。

「市の会議に出るとね、他の公共施設からお荷物だと思われているのを肌で感じるけれど、地元で発掘された土器や歴史的な遺産を直接見てもらえる施設って、けっこう重要だと俺は思うんだけどなあ」

「そう思わなきゃ悲しいですよ」

「な」

「はい」


「そういやこないだの梨食べきれたか?一人暮らしの男に五個もあげたら迷惑だろってカミさんに叱られて」

「いやいや、節約の身ですからありがたく。あ、それにひとつは友人にあげました」

「あ、そう?それならいいんだけど」

「友人から連絡あって。おいしかったそうです、ごちそうさまでした」

再会の日の帰り際、梨をひとつ渡した。一緒に食べようとして、お店が混んでしまって僕しか食べていなかったから。翌日の夕方、携帯にかわいいスタンプと一緒に、絵文字付きメッセージが届いた。




「友達?女の子か、彼女か?」

「…館長、それ、今の時代アウトです」

「ははは。女子なわけねーか」

「女子です」

「あ!!!!????望月に!??女の子の友達!!!?」

「いやふつうに驚かれすぎで悲しいです…」

この場合嘘ではないだろう。

ゆきやくんは、たぶん、いまは、女の子、だ。

「彼女か」

「…ですから今の時代アウトです」

「なんだよ時代時代って。どーせおじさんですよ」

「僕だって別に変わりませんよ」


「そんなこと…ああそうだ望月、えすえぬえす、できるか」

「SNSですか?やってないです」

「ここの公式チャンネル作ったらどうだ。」

「なんですかその雑な思いつき」

「雑じゃねーよ、孫が動画ずっと見ててよ。こういうので宣伝するなら予算もかかんないし」

「うわあ」

「なに」

「いるんですね、本当に、動画配信ならお金かからないで大儲けみたいな管理職」

「お前口悪いな」

「いまさらです」

大学を出てからの長い付き合いだ。父親のいない僕にとって気の置けない存在でもある。このひとの温かさで、どれだけ今まで救われたかわからない。

「んー、でも、動画配信もいいかもしれませんね」

「な」

「外壁塗装とトイレの修繕で臨時休館することもあるでしょうし、その間配信とかできたらいいかもしれないなあ」

「おお、さすが副館長」

「そんな肩書きがあるんなら本当にいただけますか」

「あはは。まったくだ」

もちろんそういったことを決めるのは館長ではなく市の方針なので、いつもの冗談だ。

「まあ、調べてみます」

「たのむ、副館長。なんか飲むか?缶コーヒーくらいおごってやるよ」

「いいですよ」

「いいって。副館長手当」

本当に買ってきてもらった缶コーヒーを飲みながら途方にくれる。

自分は動画配信どころか普通のSNSでさえ使い方を知らない。すぐに飽きたゲームアプリと、連絡用メッセージアプリくらいしか使ったこともない。

そういえばゆきやくんのお店には公式アカウントがあった気がするなあ、と思って会社のパソコンで検索してみる。

するとお店の公式アカウントで営業時間のお知らせをしていたり、スタッフの写真を載せていたりするのを見ることができた。

どれも美味しそうな料理やお酒の写真。ゆきやくんが作ったのだろうか。

それに加えてお店のスタッフさんの投稿。営業時間の案内など実用的な情報のほかに楽しく読める投稿が多いのが親しみやすくてとてもいいなと思った。


ゆきやくんのお店にはじめて行ってから半月ほど経って

今夜は家に作り置きのおかずもないし、ちょっと話を聞きに行ってみようかなと思った。


お店のドアを押す。

二度目とはいえこの高級感のある重い扉を開けるのはなんだか緊張した。

お店に入ってすぐに、ものすごいイケメンのボーイさんが

「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」

と爽やかに聞いてくれる。

「あ、ええと、ゆきやくんの友人で…」

「ゆきやくん…ですか。少々お待ちください」

少し困った表情をされる。しまった、と思う。ここでは名前が違う、確か…

「ああ、ええと、すいません、料理担当の、ゆき、さん?です」

「あ、ゆきさんですか。失礼しました。でしたらカウンター席に直接どうぞ」

「あ、はい」


「ゆきさん、ご友人です」

キッチンの奥に声をかけてくれる。

厨房の中が少し覗いてみえて、なにか書類でも見ていたのか、座っているゆきやくんがこちらを振り向いたその瞬間


ばっ、と大慌てで立ち上がったのが見えた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る