第10話
あったかい紅茶と、僕が持ってきたクッキーをテーブルに用意して
クッションにもたれてそれぞれの本体のボタンを押す。
懐かしい起動音が鳴り、ゲーム会社のロゴマークが浮かび上がる。
当時の小中学生のほとんどが持っていた、携帯式のゲーム機。
僕のは黒で、ゆきちゃんのはミントグリーンだった。
「なつかしすぎる」
「はは。うん」
レーシングゲーム、モンスターを集めるやつ、パズル。
僕は冒険しながらキャラクターを集めていくやつが好きで、中学生の時にゆきちゃんとよく遊んでいた。
「わ、まだみんないる」
懐かしい、あのころと変わらないキャラクターたち。
セーブデータはそのまま生きていて、カーソルを合わせると応えるようにポーズをしてくれる。その声を聞いただけで懐かしくて胸がいっぱいになった。
「ひさしぶり」
そっとゆきちゃんが声をかける。
液晶の中のキャラクターが、眠そうにしっぽを振った。
子供の頃のように対戦をしたりキャラクターの通信交換をしたり
協力プレイでボスを倒したり、笑ったり焦ったりお菓子を食べたり。
公園や空き地、児童館の駐輪場。いろんなところで過ごした記憶が戻ってくる。
クッキーを一枚つまみながら
大騒ぎしてするパズルゲームは、ぼくのほうが少し上手で。
「やっぱ望月くんは頭いいね」
「そんなことないって」
「連鎖とかだいたい失敗しちゃうもん」
ゲーム機を片付けながらゆきちゃんがにこにこしている。
ぼくもバッグに本体と充電器をしまうと、歯ブラシを出す。
お客さんなのにソファでごめんねとゆきちゃんが毛布を運んでくれた。
おしゃれで大きめのソファは背もたれを倒すとベッドになる。
大人の僕でも十分な大きさだった。
「十分すぎるくらいだよ、ありがとう」
「明日八時くらいにここを出るんだよね?」
「うん。そっちは仕事、夕方からなのに早起きさせてごめんね」
「ううん、せっかくだから朝ごはん一緒に食べよ、さっきスーパーで二人分買ったの」
そういって微笑んでくれる。
「うん。ありがとう」
電気のスイッチはこれで、コンセントはここを使ってね、のどがかわいたら冷蔵庫にミネラルウォーターが、と、ゆきちゃんはいろいろ丁寧に説明してくれた。
「おやすみ、望月くん」
「うん、おやすみ」
リビングを出たゆきちゃんは少し洗面所に寄ったあと、部屋に入っていった。
壁にかけられたアナログの時計の針は日付が変わるちょうど午前0時。
うっすらと明るさの残る部屋の中を見渡す。
眠りにつく観葉植物、清潔に整ったキッチン。
モデルルームのように都会的に洗練されていた。
その完璧な整い方をすこしだけさみしく感じた。
ひとり、を痛感するからだろうか。
さっきまで、隣にいたひとの温度を失って。
もともとひとりなら、きっとこんなふうには思わないだろう。
ふたりで過ごした時間があるから、さみしく思う。
母のいなくなったアパートを思い出して、胸がぎゅっとして。
もともとシングルマザーの世帯だった。
父親のことはいまだに良く知らないし、今さらだけれど
ずっといてくれた母が亡くなったとき、ものすごい空っぽになった。
僕を育てるためにがんばって働いてくれて、大学は奨学金にしないでいい、お母さんが借りるからあんたは心配しないでと譲らなかった。
僕が試験にパスして授業料25%免除のBクラスの特待生になったとき、母は親孝行だねえと泣いてくれた。本当は全額免除のSクラスを目指していた僕は申し訳なさが先にたって、素直には喜べなかったのに。結局母子家庭への給付も加えてほぼ半額ほどになった大学の進学費用は、担任とも話して僕の名前で奨学金にしたほうがいいという話になった。
母はいつも笑顔だった。
弱音を言わなくて、にこにこしてて、揚げ物のついでに細く切った食パンを揚げて砂糖をまぶして「はい、目をつぶって食べればドーナツだよ」って笑いながら差し出してくれた。そんなひと。
ぼくは本当にそれが美味しくてあつあつで大好きで、
いきなり死んじゃうなんて思ってなくて。
亡くなった日よりも
葬儀の日よりも
骨を持って帰ってきた日よりも
母の服を処分した日のほうが悲しかった。
久しぶりに家で誰かと楽しく食事をして
一緒にお皿を洗ってお茶をのんで、そんな時間を過ごしてしまったから
放り出されたような孤独が、ひんやりと胸に広がった。
窓の外を見る。
半分は空でできている高層階の景色は光も車も模型のように小さくて
人間の営みがずいぶんと遠くに感じて。
この光の一粒一粒が誰かが点けたものなんだとぼんやりと思った。
カーテンをすこしだけ開けたままにした。
隙間からの光がかすかに床に伸びる。
ソファに戻って
ふわふわの毛布にくるまると、ゆっくりと目を閉じた。
ことん。
薄い意識の向こう、物音がした。
ガラスの音、
冷蔵庫を開け閉めする音。
お母さん?……ゆきちゃんか。
僕を起こさないようにそっとそっと移動するそのかんじ。
随分懐かしい、誰かがやさしくしてくれるありがたさに触れた。
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