第11話
慣れない場所で眠ったからか
スマホのアラームが鳴る前に目が覚めた。
毛布を畳んでいると、ドアを開ける音がした。
「おはよう、早いね」
「おはよう。うん。毛布、ありがとう」
寒くなかった?と聞いてくれるゆきちゃんは、この時間からきちんと化粧をしているようだった。
洗面台を借りてヒゲを剃って髪を整えて戻ると、ゆきちゃんがフライパンを出していた。
「トーストと卵にしようかなって。紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「なんか申し訳ないな」
「ふふ。私がやりたいの、おままごとみたいで楽しくない?」
「ちょっとわかるけど」
「あはは。話が早い」
「女性にキッチン立たせっぱなし、みたいなのって今どき炎上するやつなんじゃないの」
「あー。そうなのかもね。男女平等?的な?」
「うん」
「うーん。でもさ、女性側がそれを望むんなら、いいんじゃない?」
「うーん」
「私が、こうして朝食を作って、どうぞ召し上がれって台詞言うのに憧れてたら。
それならいいんじゃないかな」
「うーん。」
「望月くんは、その憧れを叶えてくれてるんだよ」
「憧れって…僕でいいの?」
「もちろん」
「……じゃあ」
大人しく促されたまま、キッチンに向かい合ったカウンターに座る。
食パンの焼けるにおい。
コーヒーの香り。
卵をフライパンに入れるときのじゅわっ、という音。
晴れて白い光にあふれるリビングと、観葉植物のみどり。
朝、っていうのは、こういうふうに過ごすこともできるのかと
気持ちが穏やかに整っていく。
「ゆきちゃん」
「ん?」
「僕も、こういうの憧れてたのかもしれない」
「………うん」
やわらかく微笑みながら、コーヒーをマグカップに注いでくれた。
せめてテーブルくらいは拭かせてくれと、布巾を絞る。
新婚みたいだ。
そんな図々しいことを思ったけれど、もちろんそのまま、胸にしまった。
オフホワイトのランチョンマットに乗った大きな白いお皿に、
トースト、スクランブルエッグ、ウインナーが乗っていて、
サラダとグレープフルーツがそれぞれ小さなお皿に盛られている。
「すごい、旅館みたい。ありがとう、いただきます」
「ふふ。どうぞ」
隣でにこにこと微笑むゆきちゃんは、ジャムとか使う?と差し出してくれる。
「いつもは朝どうしてるの?」
「いつも?うーん、菓子パンとか、駅のコンビニでおにぎり買ったり、面倒で食べないときが多いかな」
「そうなんだ」
「ゆきちゃんはいつもこんなおしゃれな朝ごはんなの?」
「あはは。ううん、時間があればそうするけど、バナナだけとか、グラノーラとか、
残りご飯でお茶漬けとか余裕だよ」
「ぐらのーらってなに?」
「あはははははは。うーん。意識高めなコーンフレーク?」
「なるほど。わかりやすい。」
「ふふふふ。」
すいっと席を立つと、ゆきちゃんは小さなお皿になにかを用意している。
「?」
「はい、グラノーラ。」
お刺身の時にしょうゆを入れるくらいのちいさなお皿に、ヨーグルトをよそってくれて、その上になにかふりかけられている。
「この茶色のやつ?」
「そうそう。ドライフルーツも入ってるやつでね、赤いのは苺、紫のはブルーベリー。」
「へー。ありがとう」
スプーンで一口食べるとざくざくして甘い。
「美味しい」
「ね。でも、食事には物足りないかな?」
「んー。食事っていうよりはお菓子……かなあ」
美味しいけれどこれを食事にというのはやっぱり、僕には難しいかもしれない。
「ふふ」
「でも、おいしい。そしておしゃれ」
「あはは。望月くん、おしゃれっていいすぎ」
「いやいや。本音本音。コンプレックスってほどじゃないけど」
「ふーん」
地学オタクで、彼女もいない、出かけたりもしない。
行くとしたら趣味の天文や歴史のイベントばかり。
何年も同じ服を着ていて、選び方もわからない。
「望月君はそのままでいいんだよ」
「え」
「素朴で。」
「それはどうも」
「すねないの」
「すねてないって」
思わず笑ってしまった。
うれしいと、てれくさいと、いろいろ混ざって。
さて、と玄関に向かうとゆきちゃんが紙袋を渡してくれた。
「あのね、昨日焼いたチーズケーキ。美味しいって言ってくれたから、迷惑じゃなければ冷凍したから仕事中のおやつに食べて。職場に冷蔵庫あるんだよね?」
「うん。ある。ありがとう。ほんとうに美味しかったからうれしい」
覗き込んでみると三角にカットされたケーキが三つ入っていた。
「よかった。一回分ずつになってるから、自然解凍で食べられるからね。」
「うん。いろいろ教えてくれて、ごはんも全部美味しかった。ありがとう」
「ほんと?よかった!設定とか、もしわかんないことあったら連絡して」
「今日早速やってみる」
「ふぁいとー」
「お邪魔しました」
「うん。……なんかさみしいね」
「え?」
「望月くん行っちゃってひとりになると孤独だなあって」
「……」
「良かったらまた来て」
「ありがとう」
「うん。」
「それじゃ」
「うん。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「ふふふ。うん。」
エレベーターに乗る直前、振り向くと
満面の笑みで手を振ってくれるゆきちゃんがいて。
なぜだか鼻先がツンとして。
ちょうど開いたエレベーターの鏡に映る自分の顔を見て下を向く。
なんて顔してるんだと情けなくなる。
いい年した大人が、真っ赤になって照れていた。
朝の通勤ラッシュのない出勤。
ひたすら電車に揺られていつも着く最寄り駅。
きょうはここからのスタートでいいのが信じられない。
ワープをしたような気持ちになった。まるでゲームのように。
職場の近くにアパートを借りられたらいつもこんな暮らしなのかと、つい思う。
けれど地元と比べて家賃が比較にならない値段な上
いつ契約更新されなくなるかもわからない非正規には夢のような妄想でしかない。
幼稚園の制服でお母さんと歩く小さい子。
班で登校する小学生グループ。
自分とは違う世界。
昨日のリレーの話を思い出す。
自分の参加していない、次の世代へと命を繋ぐリレー。
それに参加していない自分は、眩しく見守るだけで。
子供の世話をしている母親を見る。
歩きながらふと
「僕はゆきちゃんを母親のかわりにしているだけなんじゃないだろうか」
そう思った。
頭をよぎった考えに背中がぞっとした。
ごはんを作ってくれる。
優しくしてくれる、褒めてくれる、認めてくれる。
それは自分の孤独を埋めてくれる優しさに甘えているだけなんじゃないだろうか。
もらってばかりで、なにも返していなくて、
それで勝手に好意を持たれては、ゆきちゃんも迷惑に違いないのに。
恋愛なんてしたことがない自分にはなにがなんだかわからなくなって、
せっかくひとを好きになれると思ったのに、
それに気づいた瞬間に、
温かい目印を失ったような心細さで
叫びたいくらいに悲しくなった。
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