第8話

「あはは、上手」

「いや、どうだろう」

ずいぶんと久しぶりのお好み焼きは、ずいぶんと不格好で。

なんとかひっくり返して、宙を舞った数秒後に無残につぶれながら着地した。


「大丈夫、かろうじて丸さを保ってる」

「はは。絶妙にフォローになってない」

「そんなことないそんなことない」

笑いながらソースを手渡してくれる。


とはいえゆきやくんがあれこれ調べて作ってくれた生地が美味しくて、お腹いっぱいになるまでたくさん食べた。


座ってていいよというゆきやくんに、そうはいかないから何かさせてくれと言うと

じゃあ、と残ったお好み焼きをラップに包む作業を任せてもらえた。

「こうやって冷凍しとくと、忙しいときとか便利なんだよ」

「そうなんだ。偉いね」

「偉くない偉くない。節約も兼ねて」

「なるほど」

「ひとりぐらしってさ、いろいろかかるでしょ?銀行の引き落とし見てぞっとしない?」

「わかる。夏場とかエアコンつけてると電気代心配するし。でも何も節約とかできてないなあ。奨学金返さなきゃだし、本当は自炊とかもしないといけないんだけど。米炊いて納豆とか鮭フレークで食べるくらいしかできない」

「それだって充分自炊だよ。あとはなんでもいいから野菜食べておけば。」

「ああ。僕きゅうりを半分に折って、マヨネーズつけて食べたことある」

「あははは!!!豪快!!」

「これはサラダだと自らに言い聞かせて」

「あはははははは!ちょっと、やだ、おなか痛、あはは、サラダではないでしょう、あははは」

「ひとりだとそんなもんだよ」

「ふふふ。まあね。私だってトマトとパンだけのときもあるよ」

「そっちのは絶対的におしゃれなんだよ、例えの時点で敗北してる」

「あははは。」


片付けを終えてまた少し画像の編集について教わって、

お腹も落ち着いた頃

ゆきやくんにお風呂どうぞとすすめられた。

「いや、女の子の前に入れないよ、先にどうぞ」

「………わたし、遅くていいの」

「いつもそうなの?」

「うん。本当に、寝る前で」

「そ、っか。じゃあ、お言葉に甘えていいのかな」

「うん。」

お風呂には柑橘の香りの入浴剤が入っていて、やさしい匂いがした。

ぼんやりと浸かりながら

改めて 不思議な状況だなとしみじみする。

いくら元々友達だったとしても、見た目の性別が変わった友人の家に遊びに来ていること。しかも自分は本来一対一の人間関係が苦手だということ。それでも話したいだとか一緒に過ごしたいと思えることをシンプルに不思議に思う。

ぱしゃ、とお湯が跳ねる。そのたびに はじけるように柑橘の香りが広がった。


「お風呂ありがとう」

「うん。入浴剤の香り大丈夫だった?」

「すごくいい匂いだった。いつも使ってるの?」

「ううん。いつもはハーブなんだけど男の人あんまりそういうの好きじゃないかなって思っ……」

「ん?」

「……私もおとこだよっ」

ひらっと、漫才のツッコミのように手のひらを横に動かす。

それがどんな思いから来ている行動かなんて、きっと僕には欠片さえ理解できないのだろう。

「……ゆきちゃん」

「ごめん。わかってる。そういうのいらないよね。わかってる、女子として堂々としてればいいんだよね」


「…聞こうと思ってたこと、聞いてもいい?」

「………ん」

「……性別って、どっちかに決めないといけないものなの?」

「………っ」

「ゆきちゃんはゆきちゃんで、それでいい、とは、ならない、のかなって」

「………」

「無神経だったらごめん、そんな簡単なもんじゃないよね」

「……………っ、ほんとうは………」

「…座る?」

「……ん」


目に涙をにじませた顔がつらそうで。

とりあえずティッシュを渡してソファに並んで座る。


「……ほんとうは、わかんないの」

「……。」

「男のままでいいのか、女になりたいのか」

「うん」

「手術は受けてないし、受けるつもりが今のところはなくて」

「うん」

心との性別を合わせるための手術が存在することくらいはなんとなく知っていた。

「でも、この歳になって怖くなってきたの」

「歳?」

「そう。若い頃はオネエとかでも、それなりに綺麗にしてればなんとかなったんだ。

でもね、さすがに、つくづく自覚するの。私の将来は、おばさんじゃなくっておじさんなんだって」

「……」

「自分が老けていくのが怖いの。本当に必死で今の見た目を維持してるのに、女の子に見えるように必死に。変じゃないように必死に。普通に見えるように。それなのに、今度はまた違う、老化という敵が現れたかんじ」

「………」

「…お風呂も、ごめん…望月くんに、すっぴんをみられるのが嫌なの」

「…そうなのかなとは思った。」

洗面台にたくさんの化粧品があるのが見えて。

そこにすぐに思い至らなかった自分の女性との接点のなさ。

そういえば母親は化粧っけは少なかったものの、お風呂の前に顔を洗っていたような記憶がある。

「だよね」


「………私ね、好きで女装してるだけなのか、心から女子になりたいのか、

性別を変えてでもそうしたいのか、このままの自分で生きていきたいのか。そういう、性別、っていうひととして基本のところにいまだに土台がないから、ずうっと、怖い」

土台がない、という目に見えない不安は理解できる気がした。

この年になってもまともな正社員ではない自分は常に来年の生活も保障されていない。

「………まあ、僕もどすんと地に足が付いた人生とは正反対過ぎるし、偉そうなこと言うつもりは全くないよ」

「……素敵な仕事だよ」

「ゆきちゃんもだ」

「……」


名前を呼べたことに、一切の迷いと照れがなくなった。

ぼろぼろと涙を流すゆきちゃんを見て、

僕はどうしてあげたらいいのかわからなかったけれど

少しでも胸の荷物を軽くしてあげたいとはっきりと思った。



「…メイクぼろぼろになっちゃった。お風呂はいってくる」

「うん」

少しだけぽろぽろと涙をこぼしたあと、ゆきちゃんはゆっくりと立ち上がった。



ひとりの間ぼんやりとテレビを見る。

僕はスポーツはほとんど見ない。野球中継をやっているチャンネルから変えると

お笑い番組があったから明るいものがいいのかなと、それにした。

自分が中学のころ大人気だった若手芸人はいつのまにか中堅となり

ネタを披露するという立場ではなく、審査員や司会の立場となっている。

知らない若手芸人ばかりになっていて自分がおじさんに近づいている気がして怖くなる。


「このひとたち、もうネタはやらないのかなあ」

「どうだろうね。もう大物だからね」

「最近司会ばっかりじゃろ?漫才面白いのにねえ」

「そうだねえ。ワシらも老けたもんじゃなあ」

わざとおばあさんのような話し方をしてくるから

わざとおじいさんのように返してあげる。


ソファの隣に座ってきたお風呂上がりのゆきちゃんから、ふわりと柑橘の香りがした。

どく、と、自分の心臓の音が響いた気がしたけれど

わははは、と、わざとらしいテレビの笑い声にすぐにかき消された。





















































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