第2話
「ゆきやくん…?」
できるだけ困惑を見せないようにと思ったけれど
ゆきやくんの、少し首を傾げた微笑み方はたしかに子供の頃と同じで、
そしてこちらの反応も慣れているといったかんじで。
「そう。ごめんね、驚かせて。」
「あ、え、と。」
スカートが風でひらりとはためく。白くて細い脚が覗いて、なぜか申し訳なくて目を逸らして。
「仕事帰り?」
「あ、うん。そう。」
なぜかおどおどしてしまって、上手く話せなくて。
「私はいまから仕事。職場、この駅の近くなの」
「え、そうなんだ。今までにもすれ違ってたのかな」
「あ、でも私、今日は出かけた帰りで。自宅もこの駅だから普段は電車には乗らないんだ」
「そうなんだ。あ、ええと、靴。どうしよう、スニーカーとか買ってこようか」
「ううん、大丈夫。」
そういってにっこりと笑うけれど、まったく大丈夫には見えない。
「ちょっと待ってて、僕接着剤持ってる」
「え」
「座って、………えっと、なんて呼べばいい?」
「…ゆきやくんでいいよ」
「………ゆきやくん、そこの椅子に座って。歩ける?」
「…うん」
突然女性の服装をして現れた、もとクラスメイトのゆきやくんを
詳しいことはわからないけれど傷つけるのはいやで、綱渡りのように言葉を選んだ。
ホームのプラスチックの椅子に座ってもらってペンケースからボンドを出す。
「どうしてボンドなんて持ってるの?」
「ああ。僕今博物館で働いていて、工具とか、そういうのを補修に使うんだ」
もちろん貴重な発掘物なんかをボンドで補修するわけではない。
移動のときのショーケースだとかパネルだとかキャスター、そういうものはしょっちゅう壊れる。応急処置としてボンドや養生テープは必須アイテムだ。
「うーん。ちょっと乾かさないと履けないかも。すぐにとれちゃうと思う」
「そうだよねえ。うん、だいじょうぶ、近いしこのまま歩いちゃう」
「え、それは無理じゃないかな、時間あるなら靴買ってくるよ、駅前にお店あったよね」
駅の中のビルにお手頃価格が売りの全国展開の衣料品店があったのを思い出した。
「うーん。ありがたいけど申し訳ないなあ」
「だいじょうぶ、1000円くらいのサンダルとかスニーカーでいい?」
「なんでも平気、頼んでいいの?」
「うん。ここで待ってて。サイズは?」
「25.5」
「わかった、センス自信ないけど……」
「ほんとほんと、どんなものでも。スニーカーでもビーチサンダルでも。職場に行けば予備の靴あるし」
「そう?じゃあ、行ってくる、ちょっと重いから僕の荷物置いていくね」
梨の入った紙袋をゆきやくんの座っている足元にそっと置いた。
「うん、あ、望月くん」
「ん?」
「メンズでいいから」
「え」
「……気、使ってレディースとか行かなくていいから。ふつうのスニーカーとか、サンダルでお願いします」
「うん」
事情が全くわからない、けれどほんの少し寂し気な表情に見えた、ような気がして
それもきっと自分の偏見なんだろうと思い直して、頭が混乱するなかとりあえず足を進める。
改札を出て駅の隣のビルに入る。
なにかのアニメとコラボしているらしい目的の店は入り口にたくさんの女子高生がいて少しだけ入りにくい。
赤ちゃんの洋服からレディース、メンズまで老若男女、しかも布団や枕まで売っている庶民的なお店で、自分もよく利用している。
メンズのコーナーに行って、ふと思う。
スカートに合わせるには、ごついデザインしかないように思う。
お父さんが履くようなサンダルとか、中学生が履くようなスポーツメーカーのスニーカーとか。メンズでいいと言っていた。けれど、すこしだけ勇気を出して、だめならだめでと意を決して、レディースのコーナーに行く。
さっきゆきやくんが履いていたような綺麗な感じの靴も売っていたけれど25.5センチは売ってないようだった。
品出しをしている店員さんに訪ねてみる。
「あの」
「いらっしゃいませ」
「こういう靴って、25.5とかはないですか、友達が靴、壊れちゃって…」
「ああ、でしたら」
「はい」
「あちらの奥に、大きいサイズのコーナーがありまして、シューズも少ないですがご用意ございます。よろしければ」
「あ、ありがとうございます」
行ってみると、ゆったりとした体形のマネキンが飾られたコーナーがあって
靴も何種類か置いてある。
秋を意識しているのだろうか、ふわふわとしたぬいぐるみのような素材の飾りのついたサンダル、26センチのものが売っていた。
1980円のそれをレジに持っていくと先ほどの店員さんがすぐ履けるよう値札を切るか尋ねてくれて、ああたしかに、と思いながら感謝してお願いした。
急いで駅のホームに戻ると、ゆきやくんはふんわりとした雰囲気のままのんびりと座っていて、長いスカートに投げ出された素足が、なぜだろうか、ただのコンクリートに囲まれた背景でしかないはずなのに
川の水に足をつけて涼むミネラルウォーターのCMのように見えた。
「お待たせ」
「ごめんね。ありがとう」
「気に入るかわかんないけど…」
がさっと袋から出したサンダルを見せると、
「わ、かわいい!ふわふわ」
そういってすぐに綺麗に爪を塗った白い足を入れて、
「ぴったり!」
そう言って僕の顔を見上げて
ぱあっと笑ってくれて、
その笑顔が思いがけなくて、一瞬、どきりとして。
女性のものなんて買ったことがないから気に入ってもらえるか怖くて、それが一気にほどけたみたいなうれしさと。
「ありがとう、望月くん」
「いや」
「メンズでいいって言ったのに探してくれたんだ」
「……」
「お金払うね、レシートとかある?」
「うん」
「………あ、一万円札しかない、両替…」
「いいよ、これから仕事でしょ、時間まずいんじゃない?」
「あ、それは…でも…」
「いいって。気に入ってもらえてうれしいから。」
本心だった。お世辞かもしれないけれど、選んだものをあんなに笑顔で受け取ってもらえたことが、なんだか眩しくて、嬉しくて。
「………望月くん、夕飯どうしてる?誰かが作って待ってたりする?」
「え?ああ。一人暮らしだから大丈夫、だいたい最寄り駅でなにか食べて帰るんだ」
「そうなんだ。それならお礼にごはん食べて行かない?私、料理人なんだ」
「あ…」
言われて一気に思い出した。調理実習で、すごく綺麗なパンケーキを作っていたこと。そのときに、女子力高いとからかわれて泣いていたゆきやくんのこと。
あのときはそう、男子の制服を着ていて、そうだ。
「会えてうれしいし。ほんと、ひさしぶりだねえ」
ふわふわと微笑む顔は、
メイクをして髪が長くてもたしかに見覚えのある、ゆきやくんのままだった。
重そうな荷物に加えて壊れたハイヒールまで持っているゆきやくんの荷物を半分預かる。大きな駅のデパートまで調味料を買いに行っていたらしい。
通販もあるけれどやっぱり自分で選びたくてさ、と微笑む。
身長は170センチにわずかに届かない僕と変わらないくらい。
引き締まったスタイルはモデルのように整っていて洗練されている。
こんな冴えない僕と並んだら、申し訳ないくらいだと思っていると
「こんな女装男と並んで歩かせてごめんね」とゆきやくんにさらりと言われた。
「そんなこと思ってないよ。」
「……お互い大荷物だねえ」
にこにこしながらゆきやくんがそっとつぶやく。
「あ、うん。職場のひとに梨もらった。ひとつ食べる?」
「えー、うれしい。初物だ。じゃあうちの店で一緒に食べよっか」
いつもの駅の通路なのに、今日はなんだか特別だった。
夕方に降りることがないからだろうか。いつもと南口と北口、改札が反対だからだろうか。それとも。
ひさしぶりの再会が、なんだか不思議でわくわくするものだったからだろうか。
**
「ありがとう、重かったよね」
「ううん、だいじょうぶ」
「どうぞ、入って」
「あ、うん。」
案内されたゆきやくんの職場はたぶん、スナックとか、とにかくそういう種類のお店らしいことが、周りの雰囲気でなんとなくわかった。
PRIDE と高級感のあるシルバーの文字で看板に書いてあった。
「こんなかっこうで大丈夫?」
アイロンをかけていない形状記憶のグレーのワイシャツとネクタイ、黒のスラックスとビジネスシューズ。どれもものすごく安物だけどこれでも今日はマシなほうだ。
「あ、えっと。そうだよね、うさんくさいよねえ。そんなに身構えなくて大丈夫、もちろんお礼なんだからお金はいらないんだからね。あと、私以外とは話さないで平気だし。話してもいいけどね。居酒屋の出すパスタだけど自信作ばっかりで美味しいよ。怖くないから食べていってほしいけど……そうだよね、なんか詐欺っぽいよね」
「いや、そこまでは考えてなかった。……その、おしゃれとかしてないから、って意味」
「そんなの気にしないで、望月くん昔と変わらなくって知的でかっこいいよ?」
「……」
そうまで言われて断るのは失礼だろう。遠慮なくお邪魔することにした。
重たい金属の扉を開けると、
思ってたよりも広い空間に無機質なコンクリート打ちっぱなしの壁、ブルーの間接照明。フロアの中に階段があって、いくつもソファーやテーブルが置かれて
センスの良い観葉植物があちこちに置かれている。
「綺麗なお店だね」
「そう?ありがとう。嫌じゃない?大丈夫?」
「うん。」
「じゃあ、ようこそ。怖くないよ、ただの飲み屋です。」
そう微笑んでくれたゆきやくんに、へえ、と頷こうとしたら、
「あらいらっしゃい!ゆきちゃんのお客さん?」
元気な声のした方向を見ると、細身で引き締まった体に
真っ赤なワンピースを身にまとった、きっともともとは男性なんだろうなと思わせる、太陽みたいなオーラを放つひとが店の中から手を振ってくれていた。
「ママ。うん、中学の時の同級生の望月くん」
「あら。そうなの、いらっしゃい望月くん。ようこそ、PRIDEへ。どんな性別のひとも自由に過ごせる空間よ。アタシはオーナーのゆりこ。」
華やかすぎてどきどきして眩しくて。
僕の狭い世界にはなかった価値観が
洪水のように押し寄せる。
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