第4話 アキレイアスにて

 なんだか大変な場所に来てしまった。獣人の国を初めてみたティティアの語彙をかき集めても、そんな言葉しか浮かばない。

 獣人の国は、砂と太陽の国のアテルニクスよりもはるかに大きい。見慣れた角砂糖のような家々はなく、どれもしっかりとした作りで、白い壁にとんがった三角屋根が乗せられている。

 お行儀よく並んだ石畳も、色とりどり店構えが並ぶ市井も見栄えがするし、一つ一つの家には外灯がつけられている。

 申し訳程度の緑と砂壁だらけのアテルニクスでは見られない光景ばかりだ。

 そして、何よりもティティアを驚かせたのは、地べたから噴き上げる水だ。


「噴水と言うのですよ。アテルニクスには、まあ……ないでしょうね」

「どこからお水が出てきてるの……」

「近くのオアシスの水脈を引っ張ってきてるんですよ。ほら、これからいやというほど目にしますから。あんまりキョロキョロしないで、落としますよ」


 城に着くなり、一度も地べたに触れることなく門を潜ったティティアは、医者を呼んでくると言ったロクと離れてニル達といた。

 首が痛くなりそうなほど天井が高い通路を、まっすぐに運ばれる。ティティアはニルとの会話もそこそこに、静かに視線を巡らせていた。

 名称もわからない作りの通路は、水の上に立っているかのようだ。それでいて、水路を挟んだ向こう側に見慣れない植物が目隠しのように生い茂っている。

 己の体調の悪さなどすっかり忘れたように辺りを見回せば、ニルの後ろを歩くハニは苦笑いを浮かべた。


「俵担ぎされてるのに、文句の一つもないの?」

「なんで? ロクもよくやってたよ。多分運びやすいんじゃない」

「お嫁様がいいなら、いいんだけどね……」


 涼しい場所に来て、少しずつではあるが思考は戻ってきていた。

 ティティアが見下ろすハニの白髪頭は、長い耳同様に毛先へ向けて薄桃色に変わっている。宝石のように青く美しい瞳の色は、ティティアの想像するオアシスの色そのものだ。

 獣人たちは、皆揃いも揃って顔の出来がいいのだろうか。

 ティティアの体を肩に担ぐニルもまた、珊瑚色の短髪に大きな獣の耳を揺らしている。琥珀の瞳で睨まれるのは怖いが、多分悪い人ではないのだと思う。


「はい、ここが新しい家ですよお嫁様。あんたはまずゆっくりと具合を治すとこから」

「すごい! おっきい! 何ここ白い!」

「はしゃぐとまた熱が上がるから……ああもう、俺氷水とってくるから、ニルはベットに寝かせてあげて」

「はいはい」


 門をくぐってから、短い階段を登って担ぎ込まれた城の奥。ここが一階に当てはまるのかは知らないが、運ばれた部屋はティティアが走り回っても怒られないほど広く、部屋の中は調度品も含めて全て白かった。

 なんだか不思議な空間に来てしまったようだ。ニルによってベットに寝かされてもなお、ティティアの興奮は収まらなかった。


「ねえニル、なんでこの部屋白いの」

「俺色に染めてやるとかじゃねえですか」

「何それ?」

「お前、変なこと教えるのやめとけよ」


 ニルの背後から、銀色の水差しを片手にハニが現れた。どうやら中には氷水が入っているらしい、カロリと涼やかな音がする。

 ティティアはまふりと己を包み込む寝具に目を輝かせたまま、天井を仰ぐように細い手足を投げ出していた。


「棒っきれみたいだな。産めんの?」

「ニル、まだ説明を終えていない。お前はいつも性急すぎるんだ!」


 ニルの言葉を窘めるように、ハニが声を荒げた。どうやら本当に妊娠できるかどうかの疑いの眼差しを向けられているらしい。

 ティティアは、ハニの叱責を前に平然としているニルへと視線を向けた。

 獣人からしてみれば、人間なんて未知の生き物だろう。それに、ティティアの体は男性体だ。見た目だけでは産めるかどうかの判断もつかない。

 大切な王様に献上される予定なのだ。だからこそニルが己を疑うことは、無理もないだろうと理解していた。


「産めるよ」

「あ?」

「だって俺、発情期あるし」

「……そうかよ」


 ティティアの言葉に、ニルはばつが悪そうにした。隣にいたハニが小突くように脇腹を肘で押す様子からして、ティティアが返した言葉は効果覿面だったようだ。


「そんなこと言わせちゃってごめん」

「何、発情期のこと?」

「うん。俺たち獣人の雄が雌の発情期に触れると、配慮にかけるって怒られることの方が多いんだ」

「そうなんだ……まあでも、俺一応生物学上では雄だしいいよ」

「よくねえよ、……馬鹿にしたわけでも、ねえんだけど」


 ニルが口籠るように小さく謝る。ティティアからしてみればどうということのない話である。精通を迎えてから定期的にくる発情期を面倒臭いとは思うが、ニルの言葉に憤慨するということはない。

 ハニから渡された氷水を両手で受け取ると、ティティアはグビリと喉を潤す。アキレイアスにきてわかったが、この国のものはコップ一つとっても、随分と大きなものだ。

 人間ように作られてはいないのだろう。慣れない様子で下手くそに水を飲む姿を前に、二人がますます不安げな顔をしているのには気が付かなかった。




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