第29話 幸せのしっぽ

 まるで地獄のような現場だったと、カエレスの部下は口を揃えていった。

 明け方、今まで聞いたことのないようなカエレスの絶叫が城に響き渡ったのだ。もしや、まだヴィヌスの信徒が紛れ込んでいたのか。それぞれの役割の場所にいたハニたちは、慌てふためく侍従たちを取りなして、ティティアの部屋へと駆けつけた。

 濃厚な血の匂いに真っ先に気がついたのは、先ほどまでヴィヌスとマルカを拷問にかけていたニルだった。血の匂いが、己の体からするものじゃないと気がつくなり、切羽詰まった表情で扉を蹴り開けた。

 いつもの軽口すらこぼさない、呆然と立ち尽くしたニルの横に並ぶように、ウメノを背負ったロクが遅れて到着すれば、目にしたのは言葉を失うほど凄惨な光景だった。


 真っ白な部屋の寝具の上で、血塗れのティティアを抱きしめるカエレスがいたのだ。




「本当に、生きててくれてありがとう」

「覚えてないけど、大変だったんだねえ」

「いや他人事がすぎるだろ。心臓に毛でも生えてんのか」


 寝台近くの床にあぐらをかいたニルが言った。その横では、恐ろしくやつれた表情のカエレスが、ショリショリとリンゴの皮を剥いていた。

 耳心地のいい音と爽やかな香りに、ティティアの腹がくるりとなる。一週間の昏睡状態から目覚めてみれば、寝起きに勘弁してもらえないだろうかと思うほど大騒ぎになってしまった。


「俺知らないうちに出産終わってたのかと思ったよね」

「いやまだ確認できてない。ほらカエレス様、いつまでも泣いてないで早くリンゴ剥いて。ティティア様お腹すいたって‼︎」

「この一週間で、カエレスの扱いすごく変わってない?」

「いいんですよティティア様。今この部屋でいちばんの権力を持っているのは、紛れもないあなたなんですから」


 ウメノに言われて、大きな体を丸めながらリンゴをすりおろす。まさかカエレスのそんな姿を目にすることになるとは思わなくて、まじまじと目線を向けてしまった。


「い、っ……て……」

「っ、ティティア」

「首動かさないで‼︎ 治癒したけど折れてたんだよ⁉︎」

「嘘でしょ俺なんで生きてんの!」


 見たこともない形相でウメノが怒るのも無理はない。カエレスとの行為で、ティティアの体はボロボロになっていた。

 予想通り、股関節は外れていただけでなく、会陰まで裂傷していた。カエレスが本能に抗えず強く噛んだ頸はしっかりと肉を穿ち、首まで折る羽目になったのだ。

 強く抱きしめたせいで両腕は圧迫骨折。内臓破裂はしなかったものの、精液を受け止めた腹は不自然に膨らみ、光を失った瞳でぐったりするティティアの様子は、まるで崖から落ちたと言っても騙されるほど酷い状態だったのだ。

 ウメノによる治癒が三日三晩。その間カエレスは一睡もせず、おうおうと泣き叫んで本物の獣のようだったという。

 過去に唯一番いがいた王様も、同じように番いを抱き潰して大怪我を負わせたことがあった。その時も、城にいた侍医やその部下が三日三晩寝ずに治癒を施してことなきを得たという。

 そんなわけあるか、大袈裟だろうと小馬鹿にしていたが、全くもって大袈裟なんかではなかった。おかげさまでアモンはウメノの魔力タンク代わりにされて、おとなしく瞳の中で眠っている。

 治癒に使われた特殊な陣が残っていて本当に良かった。詠唱破棄が可能なウメノが陣を描いたのは、初めて魔術を学んだとき依頼だとぶすくれていた。

 こんこんと眠り続けている間に、どうやら城は大きく変わったらしい。ウメノによって、顔以外の殆どを冗談のように包帯だらけにされたティティアは、事後の蜜月にしてはあまりにも薬品臭い中で囲われていた。


「まず見たことのない寝具に変わってる……」

「事故現場もかくやと言わんばかりの凄惨さでしたからね。カエレス様がトラウマにならないようにと変えられました」


 神妙そうな顔つきで宣う姿を前に、もしかしてロクも寝れていなかったんだろうかと思ってしまった。

 ところどころ体に包帯を巻いている様子から、率先してカエレスから体を奪ってくれたのはロクなのかもしれないと思った。答えを求めるように目線をカエレスに向ければ、ぎこちなくそらされた。どうやら完全に黒らしい。


「あ、そう……ちなみに俺はいつ動けるの」

「すまないがまだ心配なんだ。だけど世話は私に任せてくれ」

「それはもう、部下の俺が引くくらい献身的でしたよ」

「ひぇ……」


 ハニにも忙しくさせてしまったようだ。諸々の家具の手配などをしてくれたらしく、あれだけ白かった部屋には色付きの家具が置かれるようになっていた。


「俺、違う部屋に移動されたのかと思ったよ。だってもとの部屋めちゃくちゃ白いし」

「白くすれば、ティティアが怪我をした時にもすぐ気がつけるかと思ったんだ」

「今さらりとでっけえブーメラン放ちましたねえ……」

「シッ、ニル黙って。カエレス様が落ち込んだら面倒臭いの知ってるでしょ!」


 ハニとニルの久しぶりのやり取りに、随分とアホらしい話が混ざっていたような気がしたが、ティティアは無言でロクに目を向けるだけに留めた。しっかりと頷かれたので、どうやら冗談ではなく本気の話であることは明白のようだ。

 なんだか頭が痛くなってきた。体は治癒してもらったはずなので、単純にカエレスの過保護に対しての頭痛だろう。とは言っても、まだ数日は床上げを許されないだろうが。

 

「ゲンナリとしてんとこ悪いんだけどよ、起きたんなら仕事の話がしてえんですけど」

「はいニルさんどうぞ」

「ダメだ。その話は私が聞く。今は遠慮してくれ」

「あんたそれ絶対ですよ。こっちは許可待ちでずっとヤキモキしてんすから」


 ポカンとするティティアを置いてけぼりにして、寝台から離れる二人の背中を見送る。ニルの様子から、どうやらティティアが絡んでいることらしい。なんとなく気にはなったが、必要ならカエレスが後から話してくれるだろう。

 カエレスがいない間にウメノがこそりと耳打ちしてくれたのは、どうやら床上げ自体はいつでも大丈夫と言うことだった。

 

「一応、明日の朝に検査するよ。これでしっかり妊娠していたら、ますますカエレス様の執着が激しくなりそうだけど……まあがんばれ」

「待って、がんばれ以外のアドバイスってないの」

「…………」

「満場一致で無いみたいな顔しないでよ……!」


 きっとこの場にニルがいても結果は同じなのだろう。頭は痛いは気恥ずかしいやらで、表情に困るというのはこういうことを言うのだなと思った。



 結局、宣言通り甲斐甲斐しい介護を受けたティティアはその夜。獣に転化したカエレスを枕がわりにするという贅沢を味わっていた。

 まだその頬は少しばかし赤みを帯びている。まさか己の世話が、食事の介助以外にも及んでいるとは思わなかったのだ。まあ、あらぬところをまざまざと見られているので、恥ずかしいからと言える退路はたたれていたのだが。


「魔力の放出は、止まったの」


 天鵞絨の毛並みに埋もれたまま宣う。カエレスの静かな呼吸を背中で感じながら、ティティアは組んだ前足に顎を乗せるカエレスをくしくしと撫でる。

 胸の上に回された、ふわふわで毛並みのいい立派な狼の尾がパタリと揺れる。金糸水晶の瞳にティティアの横顔を映したカエレスが、くるりと喉を鳴らした。


「ああ。私の魔力は、ティティアの中に落ち着いた。私の命は、君の手で救われたんだよ」

「そっか……、じゃあ、検査しなくてもきっといるね」


 ティティアは、少しだけ気恥ずかしそうな声色で呟くと、そっとぺたんこの腹へと手を伸ばした。カエレスの魔力の放出が止まったということは、妊娠しているということだろう。まだ実感は湧かないが、カエレスの命を繋ぐのは子を孕むことだと聞いていたからだ。

 穏やかな顔をして腹を撫でる。そんなティティアを前に、カエレスの尾っぽは勢いよく膨らんだ。


「うわっ、な、何」

「ティティアの治療ですっかり頭がいっぱいで……失念していた。そうだな……私の魔力の放出が止まったということは……そういうことなのか」

「わかんないけど、多分そうだと思う。俺、カエレスの魔力の色一回しか見てないけど、好きな色だったよ」

「そうか……、そうか……うぅん……」


 どうやら照れているらしい。パタパタと忙しなく尾を振り回すものだから、先ほどからティティアの顔の上をもふもふが往復する。可愛いけど、少しだけ息苦しい。もしかしたらこういうのが幸せの苦しいに近いのだろうかと、少しだけ頭の悪いことを思った。

 頭の背後で、嵐でもきそうなほど、カエレスのご機嫌の雷が鳴っている。前足で顔を隠すように静かに喜ぶ姿が愛おしくて、ティティアは思わずふかりとした尻尾を抱きしめるのであった。






 

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