第27話 獣の本能

 視界いっぱいに広がるのは、黒鉄の毛並みだ。寝具を大きな手で剥がされたせいで、火照った肌は少しの寒さを感じる。それなのに、カエレスの金糸水晶の瞳で見つめられると、ティティアの体は内側から熱が溢れるように湧き上がってくる。

 自分の体のはずなのに、意思が効かない。発情期は経験しているはずなのに、これがどういうことなのか。皆目見当もつかなかった。

 ティティアには、カエレスの体から滲み出る黒いモヤのようなものが見えていた。これが、漏れ出ていく魔力なのだろうか。おぼろげなそれに手を伸ばす。滑らかな狼の頬に触れれば、掠れた声でカエレスが呟いた。


「……何が見えている……?」

「くろ、の……けむ、り?」

「これが、私から奪われる魔力だ。そうか、もう見ることができるのだな」

 

 低い声だ。それも、威圧を感じるような重々しさがあった。それでも、カエレスの瞳は変わらず優しくティティアを映していたから、怯えることはなかった。

 大きな手のひらが、体温を確かめるように細い首筋に手を添える。少しだけ冷たくて、それが気持ちが良くて、思わず吐息が漏れた。


「私は、すまないが、……あまり、堪えられそうにない。ティティアの、……体を、労われなかったら」

「いい、けど」

「けど?」

「い、いっぱい、……」


 夕焼けの瞳の中に、怯えた色を宿すカエレスの姿が映っていた。

 ああ、またこの人は俺のことを心配している。カエレスを拒絶するなんてあるわけないのに。ティティアの手のひらが、言葉の代わりに後頭部に伸ばされる。柔らかな毛並みを撫でるように触れれば、カエレスの瞳が窺うようにティティアを映す。

 周りはカエレスの表情が読めないというけれど、澄んだ金糸水晶の瞳は実に雄弁であった。

 顔を引き寄せるように、鼻先に唇を落とした。ぐるりと治安の悪い音がして、今にも噛みきそうな狼の顔がおそるそる近づいてくる。本能を堪えようとしているのか、体の毛は逆立っているというのに、押し潰さないように気を使って身を寄せる優しさが好きだ。


 この綺麗な瞳は、いつだって密やかにティティアを想ってくれていた。きっと、種族が違うもの同士。カエレスもまたどうしていいかわからないことも多かっただろうに、ティティアがやりたいことを尊重してくれた。

 一緒に眠る夜の暖かさも、見た目の割に丁寧な口調も、感情に素直な可愛いところも、ティティアのことになるとすぐに拗ねるところも。

 好きを向けられることの、全部が苦しくて嬉しいものだと教えてくれた。

 忙しなく相手を思い、感情が揺さぶられることも、カエレスが教えてくれたのだ。二人の間の繋がりは嘘みたいな神話の話だけなのに。細い糸を包むようにして、ティティアに心を寄せてくれた。


「俺、す、好き。カエレス……いっぱい、好きだよ」

「人の姿の方が」

「全部……好きだよ……」


 獣の姿でも、人の姿でも、ティティアにとって、そんなもの些末事でしかない。カエレスが狼姿のまま触れることに怯えるのなら、ティティアはそれを払拭してやればいい。

 真っ直ぐな言葉を前に、カエレスの大きな体はゆっくりと重なった。上等な毛皮に包まれながら、濡れた鼻先が首筋に埋まる。肩口に感じた呼気がくすぐったくて、無意識に熱い吐息を漏らした。足元でパタパタと寝具を叩く音がして、カエレスが無言で喜んでいるのを感じた。


「可愛いね」

「本当に、ティティアは魔性だな」

「あ、っ」


 それは、照れ隠しにも聞こえた。そんなカエレスの反応に小さく笑えば、喉元をベロリと舐められた。体の奥、ティティアのやかましい鼓動が一際跳ねたのがバレたらしい。大きなお耳をヒョコリと向け、窺うような顔で見つめられる。

 カエレスの鼻先と、ティティアの鼻先がくっついた。ご挨拶にも見えるそれは、角度を変えるようにゆっくりと口付けに変わった。犬歯が見える濡れた唇を、カエレスを真似るようにペショリと舐めた。


「ん、む……っ」


 ティティアの狭い口の中に、そっとカエレスの舌先が差し込まれた。厚みのあるそれを頬張るように、甘く吸う。与えられた唾液をこくりと飲み込むと、大きな手のひらが首筋を撫でるようにして後頭部に手を添える。

 熱い体温が重なって、気持ちがいい。カエレスの匂いが安心させてくれるから、もう怖いものなんてなかった。


「はぁ……、ティティア……」

「う、」


 寝具の擦れ合う音がして、カエレスの切ない声が腹の奥を刺激する。大きな口で首筋を甘噛みをされても、恐怖はない。手は無意識にふかふかの耳へと伸ばされて、褒めるようにくすぐる。

 可愛い、可愛いなあ。きっと、こんなことをしながら向ける言葉じゃないのだろうけど。カエレスの手のひらが遠慮がちに薄い腹に触れて、唯一着せられていた長衣の中に侵入する。

 やかましい鼓動はもうとっくのとうにバレているから、開き直って仕舞えばどうとでもない。爪をしまった指先が、ティティアの胸の粒に触れる。普段慰めない部分を柔らかな指先でふにりと押されて、くすぐったくて身を捩る。


「んっ……」

「いい匂いがする。……ティティアからは、紅茶のようなふくよかな香りが」

「うそ……」

「花の香に例えると……ゼラニウムかな」

「あ、っい、言われるの、は、恥ずかしいね……」


 喉奥で笑う。カエレスの尾がご機嫌に揺れている。ティティアでも知らぬ発情の香りを検分されるのは少しばかし恥ずかしい。ゼラニウムって、どんな香りなのだろう。そんな具合に思考を飛ばしかけたのを窘められるように、親指で胸の粒を摩擦された。


「ぅあ、ま、……っ、まだ、で、出ないから……」

「きっと、孕ませる自信しかない。ティティアが私のものである時間は短い。だから、好きに触れたい」

「ぅ……ず、ずるい……」


 そんなに可愛い顔でおねだりをされたら、断れないじゃないか。丸い瞳が、熱っぽく見つめてくる。そのくせ手は了承も得ぬままに好き勝手を振る舞うのだ。言っている言葉と行動がチグハグなのには、きっと気がついていないだろう。

 胸から撫でるように背中へと回された手のひらは、背筋を辿るように下へとおりた。指先がティティアの下着に引っかかる。つい膝を閉じて仕舞えば、するりと抜き取られた下着が膝に溜まった。


「好きにしてていいよ、私も、そうするから」

「え、あ、ちょ……っまっ」


 鼻先で辿るように、カエレスの口吻が薄い腹へと降りてくる。手のひらは柔らかさを確かめるように尻を包み、ティティアが思わず閉じた両足は、あっという間に肩に担ぎ上げられた。

 夕焼けの瞳が、真っ直ぐに上等な雄を収める。体を離すように起き上がったカエレスが、穿いていたボトムスの前に手を伸ばした。

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