第19話 夕焼けが染まる

「今日、ティティア様は一つ嘘をつきましたね」

「うそ……? ついてないけど……」

「ならば隠し事をしている。と言い換えさせてもらいます」


 真剣なマルカの言葉に、ティティアは己の心臓が縮まったような心地になった。何も、悪いことはしていないはずだ。困ったように眉を下げるティティアへと、マルカは小さい子供に言い聞かせるように言葉を続ける。


「味覚が、ございませんね」


 マルカの言葉は、ティティアの体温を下げるには十分だった。

 顔を青ざめさせ、マルカに握られた手を逃げるように緩く引く。しかし、許してはもらえなかった。まるで獲物に狙いを定めるのように、マルカは真っ直ぐに目線を合わせてくる。


「あの時、クリモモを口にしてあなたは甘いねと言いました。ですが、あなたが選んだ果実はまだ青かった。いくらクリモモでも、青臭さが前に出て顔を顰めてもいいはずです。ティティア様、いつからです」

「ま、マルカ……」

「カエレス様のお子を孕む母体です。何か一つ損なうことは許されません。それを理解した上で、隠し事をなさったのですか」

「そんな、つもりじゃ」


 鏃のようなマルカの言葉は、ティティアの喉元に鋭くつきつけられる。何も言い返すことはできなかった。

 カエレスの番いならば、間違いは犯してはいけない。

 己の不調もカエレスの不利に繋がるというのは、持つべき自覚だったはずだ。後ろめたい事実をいけないと思いながら、ティティアは味覚がないことを隠してしまった。

 緊張と、後悔が心を追い詰める。カエレスには知られたくない秘密が晒された。迂闊さが招いた結果は、けして覆ることはないのだろう。


「……わかりました。このことはカエレス様に報告させてもらいます」

「い、嫌だ」

「言い過ぎだマルカ、悪いが介入させてもらう」


 身体に影が差す。気がつけば、マルカと壁を作るようにヘルグが立っていた。

 動揺を煽られ、忙しなく跳ね回る心臓を宥めるように、ティティアは胸元に手を添えていた。

 青い顔のままゆっくりと呼吸を繰り返すティティアへとロクが駆け寄ると、眉を寄せるようにしてマルカを見た。


「ティティア様? 何があったのです」

「……素晴らしいことですね、ティティア様は顔色一つで人を動かせる。確かに上に立つ者の才能はあります」

「お前、それはどういう意味だ」

「全てあけすけに言えば宜しい……あなたの一言で、状況はたやすく変わるでしょう。少なくともこの場の二人はあなたの味方をするでしょうしね」

「マルカ、大人気ないことを言うな」


 マルカの瞳は、侮蔑を含んでいた。

 カエレスを一番に考え、ティティアよりも長い時間仕えてきた群れの一員だからこそ、嘘をついたティティアが許せなかったのだろう。

 そんな忠誠心のつよいマルカへと、ロクとヘルグの鋭い視線が向けられる。ティティアが隠し事をしなければ、何の問題も起きなかっただろう理由でマルカが一人責められている。

 

(俺が、いるから)


 夕焼け色の瞳に、じわりと涙が滲んだ。それを、慌てて手で抑えるように堪えた。今ここで泣けば、余計にマルカは針の筵になりかねない。謝らなくては。そんな怯えを残したまま顔を上げるティティアへと、マルカは吐き捨てるように言った。


「顔色を窺い、人に合わせる王妃がいるものですか……当然のことを伝えた私が責められる道理はございません……‼︎」

「っ、マルカ待って!」


 裾を翻すように、マルカはティティアの目の前から走り去る。サンダルの音が石畳を叩く音がして、血の気が引いた。

 もうすぐ夕暮れで、あたりは暗くなるだろう。そんな中を、女性が一人でいるのはダメだ。

 ティティアはマルカの影を追いかけるように駆け出した。せっかく仲良くなれたのに、嫌われたくないと言う気持ちもあったように思う。

 背後でロクとヘルグの声が聞こえた。それでも、今はマルカを連れ戻すことしか頭に浮かばなかった。

 まだそう遠くにはいっていない、すぐに見つけたらごめんなさいをして、ロクとヘルグにも謝って。それからカエレスに正直に伝えよう。

 足りない頭で、考えながら地べたを蹴った。背後で叫んだヘルグとロクの声にも振り返らずにだ。

 細い路地へと消えていく、女性の足に追いつくのは難しいことではないとも思っていた。だから、視野が狭くなっていたのだと思う。


「マルカ……‼︎」

「来ないで! あっちへ行って!」

「だ、ダメだよ! 女の人なんだから! お、襲われたりしたら!」

「……私は、あなたを責めたのに。優しいんですね」


 マルカを追いかけて、狭い路地へと迷い込んだ。ティティアに背を向けるようにして佇む姿は、姿勢正しい普段のマルカから想像もできないほど丸くなっていた。


「マルカは、お、俺に優しくしてくれたから、だからっ」

「ええ、気にかけてくれてありがとう……でも、もう遅いわ。私が戻る場所なんてないもの」

「一緒に帰ろ、俺もヘルグとロクに謝るから、だからっ」


 ティティアの声が、路地に寂しく響く。空は次第に赤らみ、間も無く夜を連れてくる。暗くなる前に帰らないと、ロクもヘルグにも迷惑がかかる。

 小さな焦りを感じ取ったのか、マルカは困ったような表情を浮かべて振りむいた。


「結局、あなたが来なければ今まで通りの日常だったのよ」

「え」


 マルカの言葉の意味がわからぬまま、立ちすくむティティアの背後で影が動いた。女性らしい白い手が羊の獣人独特の巻き角に触れたその瞬間、ティティアは首の後ろに強い衝撃を感じた。

 脳が揺れ、視覚と認識がゆっくりとずれる。地べたに倒れなかったのは、背後から男の腕に抱きすくめられたからだ。

 薄れゆく意識の中、マルカは目の前で羊獣人の証である角を外した。それが、ティティアが見た最後の光景だった。

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