第14話 二人だけ


 ティティアの味覚異常は、幸い誰にも知られることもなかった。ウメノに相談することも頭に浮かんだのだが、話が大きくなることを恐れてやめた。

 本当は、この異常に名前がついてしまうのが怖かったのかもしれない。

 あれから、味覚が戻らないかとティティアなりに色々試したのだ。薬草摘みでは、徐にカエンジクの実を口に含もうとしてロクにこっぴどく怒られるほどには。


(拾い食いはいけませんって、怒られたな。無意識って怖い)


 あの時のロクの怖い顔と言ったら、今思い出しても身が引き締まる。久しぶりにロクの種族を思い出したほどであった。

 しかし、ロクが怒るのも無理はなかった。味覚がないからと言って、それが食えるものかも確認せずに口に運ぼうとしたティティアにも非があった。カエンジクの実は、寒冷地で作業するものが体温を高めるために口に含むものらしい。普段体温の高い獣人が口にするほどのものだ。ティティアが口にすれば、また体温が上がって倒れてしまうのは明白だ。

 そう懇々と説教をするロクに、お母さんみたいだと口にして怒られたのもご愛嬌だ。

 味覚が消えたことは不便極まりないが、食事以外は気楽なものだった。主なティティアの一日といえば、カエレスと寝食をともにし、薬草を持ってウメノの箱庭を往復するくらいだ。

 ティティアにできる仕事が少ないというのもあるが、それが終わればやることもなく城内を探検する。その姿が何故か不憫に思われたらしい。ある日マルカから城外へ行ってみませんかと提案をされた。


(もしかしたら、こうして会うための口実を作ってくれたのかもしれない)


 外出はティティアの一存で決められるわけではない。それは、なんとなく理解していた。ニルやハニからは、決まりごとが多くて嫌になったりしないのかと聞かれたこともあった。

 心配をしてくれているのだろう。不器用な二人から城に来たことを後悔していないかと、遠回しに気に掛けられているのだと知って、少しだけ嬉しかったのは秘密だ。

 カエレスの執務室の前で立ち止まる。大きな扉の取手は、ティティアにとっては胸の位置にある。辺りを見回して、誰もいないことがわかると気合を入れ直した。

 

「せーの……っ!」


 グ、と取っ手を掴んで、上半身をそらすようにして力を入れた。ハニやニルが簡単に開けられる扉も、ティティアには重いのだ。足に力を入れて、後退りするように少しずつ扉をずらしていく。そんな時、ティティアの体に影が刺した。


「え、ぅわっ」

「すみません、時間がかかりそうだったんで」

「ロク!」


 突然扉が軽くなり、尻餅をつきかけた体を受け止められた。見上げれば、ロクが扉に手をかけている。どうやら見かねて開けてくれたらしい。


「ちょうど良かった!」

「次から一言声をかけてください、入りますよカエレス様」


 ロクが開けてくれた扉の向こうでは、ティティアの訪問に目を丸くしているカエレスの姿があった。羽ペンを片手に仕事をしていたようで、机には積み重なった本が幅を利かせていた。


「もしかして、その扉は重いのかい?」

「あ、いや重いっていうか」

「人の力には無理ですよ。これ、鉄が入っているじゃないですか」


 扉を拳で軽く叩くロクを前に、ティティアはようやく納得した。この部屋はカエレスの執務室だ。いざとなれば籠城できるような作りになっているのも、理解できる。どうやら己が貧弱ではないとわかって、少しだけホッとした。


「それで、私のところへ来たのだから何かあるのだろう? 何か相談してくれるのかな」


 ロクの言葉に、何かに納得するようにカエレスが頷いた。静かに本をとじ、羽ペンを台座にさす。丁寧な動きは、獣の手のひらからは想像しにくいものだ。机の上で手を組んだカエレスが、真っ直ぐにティティアを見つめる。

 なんて事ないことないはずなのに、ティティアはじんわりと耳の先を赤くした。

 もしかしたら、これはおねだりになるのかもしれないと思ったのだ。意を決して、マルカから言われたことを口にする。背中に添えられたロクの手が、励ましてくれているようだった。


「あ、あの……、市井を見て回るのもいいんじゃないかって。カエレス、マルカと行ってきていい?」

「……マルカと?」

「うん、たまにお喋りするんだ。二人がダメならカエレスもついてきていいから」

「く……っ、ティ、ティティア様それは」


 執務室へと顔を出したティティアを前に、豊かな尾を揺らしてご機嫌を現していたカエレスの様子が分かりやすく沈む。

 大きな執務机の前で、そわそわと様子を伺うティティアは実に可愛らしかった。それでも、背後のロクが珍しく表情を崩すくらいには妙なことを言ってのけたのだ。

 唇を真一文字に引き結んだカエレスが、ロクへと目配せをする。言いたいことがわかったのか、ロクは無言でこくりと頷いた。


「一応、一国の王であるカエレス様が城外にお出になるには、共のものつけねばなりません。ただでさえ屈強な兵を侍らせることで目を引くというのに、市井に現れたら騒ぎになるでしょうな」

「一応は余計な一言だと思うのだが」

「そっか……、じゃあマルカと二人で行くよ……」

「安心してください、俺が共に行きます」

「え、ほんと?」


 ロクの言葉にカエレスはティティアと真逆の反応を示した。目を輝かせて期待の眼差しを向けるティティアの死角で、カエレスが口吻に皺を寄せるように悔しがる。

 珍しい表情を見ておきたい気もするが、ロクとて下心があって申し出たわけではない。

 ロクは己の真下にいるティティアを見下ろすと、コクンとひとつ頷いた。


「手芸屋に用があるので」

「ああ、ロク好きだもんね」


 嘘だろう。と言ったポカンとした表情で見つめるカエレスを置いてけぼりに、どうやら二人の間で話はまとまったようである。

 ふくふくと嬉しそうに笑うティティアの笑みが己へと向かないことに、カエレスが不満げな表情を浮かべる。だが、立場は理解している。大きな手のひらで顔を覆うように溜め息を吐く。今ほど王という窮屈な立場を悔やんだことはなかった。


「ロク、すまないがティティアと二人きりにしてくれないか」

「はい。それではティティア様、日程はまた後ほど」

「あ、うん。ありがとうね」


 コランダムの瞳を緩ませたロクが、一礼をしてその場を辞す。ロクは寡黙だが、ティティアに対してはどことなく母性のようなものを滲ませる。

 カエレスはそんなことを思いながら、ロクの礼に手をあげるようにして応えた。

 ティティアと寝食を共にするが、周りに人がいない状態での二人きりというのは随分と久しぶりな気がする。金糸水晶の瞳で己の番いを捉えると、カエレスは椅子をずらすようにしてティティアへと体を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る