第2話 ウラドの塒

 ロクに急かされるように逃げ出したティティアであったが、ない体力が仇となって、途中から担がれるように神殿を後にした。

 鬼族の身体能力の高さをまざまざと見せつけられた。梯子が必要なほど高い壁も、ロクはティティアを担いだまま跳躍をして乗り越えたのだ。

 心なしか、満月が近くに見えた気がする。それを口にするとまた、そんなことあるわけないでしょうと一蹴されるのだろうが。


「ロク、ロクまって、俺もう走れるよ!」

「いけません。草ばっか食って生きてきたあなたの体力なんてたかが知れています。俺はあなたに傷一つつけてはいけないのです。大人しく運ばれてください」

「運ぶって、ねえこれ誘拐⁉︎」


 素っ頓狂な声でギョッとするティティアを気にもせず、ロクはひたすらに走った。

 夜の暗闇の中、身を隠す木々もないほどの乾いた大地だ。

 背後では岩壁を削り取って作られた神殿が、にわかに騒がしくなり始めていた。

 声が聞こえたわけではない。しかし、ロクが乗り越えた壁の内側で、光線のように強い光が空をかき混ぜるように蠢いていた。このままでは、明日を迎える前に異変に気がつくだろう。


 角砂糖のように並ぶ街並みを、ロクが素早く駆け抜ける。人が寝静まる夜だ、ティティアは久しく見ていなかった街の光景を記憶に刻みつけるように視界に収めていた。

 ずっと乾いた砂の国だと思っていたアテルニクスにも、緑があるのだ。

 逃げている身だと理解はしていたが、ついそう思うほど、壁の向こうの街並みはティティアの想像を超えていた。

 青々と茂る木は、どこから水を得ているのだろう。そんな興味に誘われるように視線を動かした時、恐れていたことが起こった。

 

「な、なんのおと……」

「チッ」


 ロクの小さな舌打ちが、まずい状況だということを知らしめる。

 空気を震わせるように響いたのは、神殿の異常を知らせるサイレンだ。耳に残る嫌な高音が、ティティアの鼓膜を伝い体を震わせる。切迫感は、ロクの様子からも理解できた。

 真っ直ぐに城壁を目指して走り抜けたロクが、家屋の隙間を縫うように細道へ入る。

 頭上では異変を聞きつけた住民が、何事だというように窓の外から顔を出していた。

 

「壁を抜ければ、俺たちは犯罪者です。覚悟を決めてください」

「ーーーーっ」


 細道の出口に光が差し込む。細長い槍が、まるで獲物を待つかのように向けられた。出口を塞ぐのは、二人の屈強な神官兵であった。


「っロク‼︎」

「黙って」

「わ、っ」


 ロクの強い口調とともに、微かな重力を体に感じた。あっと思う頃には、石造の屋根の破片が空中を舞っていた。

 視界が一気に開ける。浮遊感に慌ててしがみつくと、ティティアの知っている街並みが逆転した。

 夜空に落ちるように視界が回ったのも束の間で、悲鳴をあげる間も無く元に戻ると、再びロクは走り出した。

 神官兵の頭上を飛び越えたのだ。驚愕で声も出ないティティアを背中に張り付かせたまま、ロクは家々の屋根の上を一気に駆け抜ける。

 こうして、深夜の大捕物を一目見ようと家から出てきた住民達の不本意な協力もあり、神官兵を撒くようにしてアテルニクスの外へと逃亡した。

 





「まだ遠くでサイレンが聞こえてる……、風で足跡が消えてればいいけど」


 砂混じりの風がティティアの黒髪をさらう。

 夜の砂漠は冷える。ロクが取り出した砂よけの布を体に巻き付け膝を抱えると、朽ちた荷車に凭れるように空を見上げた。


「もうすぐですよ、もうすぐ迎えが来る」

「迎え?」


 ティティアの隣に腰を下ろし、同じく朽ちた荷車に身を隠すように座るロクは、ただ静かに砂の海を眺めていた。

 砂を固めた岩のようなものが、幾つも砂漠を突き破るように生えている。その一つはロクの高い背を超えるほどだ。まさか外の世界に、こんな奇妙な場所があるとは思わなかった。


「ウラドのねぐらと呼ばれています。人間は避けて通る」

「え、俺たちはいいの」

「俺は人じゃないですから」


 人ではなければ危険ではないと説明をされて、ますますティティアは己が人間ではないと言われているような気になってしまった。

 ぶすりとむすくれるティティアの様子に、ようやく失言だったことを理解したらしい。ロクは眉間に皺を寄せると、小さくすみませんと呟いた。


「なんというか、俺にはあなたを人として扱うのは難しいというか」

「知ってる、この腹のせいでしょ」

「いえ、臓器云々の話ではなく」


 生真面目なロクが、気難しそうな顔をして宣う。ティティアがよく知っている、ロクが反省をしている時の顔だ。

 長い付き合いで、この鬼族の青年がいい意味で真っ直ぐだというのを知っている。ティティアに向けられたロクの言葉も、悪い意味ではないのだろうとわかってはいるが、それを慮り受け止めるには心が幼すぎた。


「ティティア様、あなたは」

「え?」


 ロクのコランダムの瞳に真剣な色を宿す。先ほどよりも硬質さを帯びた声色に、ティティアがほんの少しばかし身構えた時。二人の座る砂の下で、何かが大きく蠢いた。

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