第21話 本当の気持ち

 何を言っているんだろうと思った。

 目の前で楽しそうに笑うヴィヌスを前に、ティティアはキョトンとした顔をした。その名は耳にしたことがある。ただ、見知らぬ男を前に、どうしていいかわからなかったのだ。


「えっと、これ……とって欲しいんだけど」

「それは出来ない相談だ。だって僕は君とお話をしたいし、逃げるかもしれないし?」

「ヴィヌス、は……俺を連れ去って何がしたかったの」


 ヴィヌスは同じ年嵩くらいだ。もしかしたら、話せばわかるかもしれないという期待があった。目前の読めぬヴィヌスを前に、少しでも囚われている状況を良くしようと思ったのだ。


「俺ね、今までもずっとこうしてきたんだ」


 一本の縄のように長い三つ編みを、ヴィヌスが揺らすように歩み寄る。拘束されたティティアの足を挟むように跨ぐと、グッと顔を近づけ見下ろした。


「一緒に帰ろう、ティティア。神の国へとさ、俺たちの神に許してもらうためにも」

「……ヴィヌスは、いったい誰なの」

「一つ言えるのは、この身は今生の仮初の姿さ。だけど、始祖にこの魂を許してもらうためには、君を連れて行かなきゃいけないんだ。今までどおり、いや違うな。あるべき場所に戻すために?」

「ごめん、何を言ってるかよく、わからない」


 ヴィヌスのふしばった手のひらが、そっとティティアの両頬を包み込む。そのまま目線を合わせるように腰を落としたかと思うと、にっこりと微笑まれた。


「うん、だから一緒に死んでってこと」

「う、っ……」


 あっけらかんと言ってのけた。ヴィヌスの影から黒い蛇が姿を現す。顎の下を不自然に広げたそれは、砂漠に潜む魔物の一つであった。

 細長い体が、ヴィヌスの腕に絡むようにしてティティアの目の前まで迫る。長い牙を剥き出しにするように威嚇するその獰猛さに、ティティアは思わず体をこわばらせた。


「とは言っても、選択肢もあるけどね」


 息を詰めたティティアに満足をしたのか、ヴィヌスは楽しそうに笑う。

 蛇はそれ以上威嚇をすることもなく、シュルシュルとヴィヌスの首に巻き付くと、胸元から窺うように赤い目を向けていた。

 緊張感で体を固くしたまま、ティティアは瞳だけを動かした。死を唐突に突きつけられた体が、動きを鈍くするのは当然であった。

 しかしヴィヌスは困ったと言わんばかりに肩をすくめる。わざとらしい演技でも隠しきれない瞳の鋭さだけは、依然変わらないままであった。


「カエレスには一人で生きてて欲しいんだ。どうせ寿命で死ぬし、今回の君の嫁入りは本当に誤算なんだ。だってまさか供物が逃げるとは思わないじゃない?」

「ま、待ってよ、それってつまり」

「ああ、今までのオメガはみんな俺たちが知らないのか」


 子孫を残さなければ、カエレスは死ぬんだよ。そう言って、ヴィヌスは笑った。

 

「君は頭がいいねティティア。だから、自分の人生を諦めなかった。結果的に、周りに迷惑はかけたけど」

「あ、アテルニクスからきたの」

「違うよ、アテルニクスにもいるんだよ。もう堕ちた神に、本物の神の番いへ手を出させるわけにはいかないじゃん。わかる? 君にカエレスとくっつかれると困るんだ」


 ティティアの薄い腹に、ヴィヌスが手を添える。本来ならば男には存在しない異端の証、子宮がある位置を、グッと力を込めて押し込んだ。

 圧迫感に、息を詰める。ティティアが体を捩るように抵抗をすれば、ヴィヌスは腹を押したままティティアの首を掴み地べたへと縫い止めた。


「ねえ、発情期はまだ?」

「っ、くるし、どいて……」

「まだかって聞いてんの。ねえ、もうカエレスとはエッチした? その腹にガキ孕んだか聞いてんだよ」


 腰の上にまたがり、薄い腹に圧力をかけてくる。明確な悪意を向けられて、恐怖がティティアの身を苛んだ。ヴィヌスの妊む静かな盲信、それは神と同じ名を纏っているからこそなのだろうか。

 

「い、いやだ! 俺からカエレスを取り上げないで……!!」

「へえ」


 ティティアの悲鳴混じりの声に、ヴィヌスは口元を釣り上げるようにして笑みをこぼした。

 腹を押さえつける手のひらが、力を緩めた。ヴィヌスの手は優しく撫でるように、ティティアの服を捲る。長い髪が地べたにつくのも気にもとめずに、怯える顔を覗き込むように鼻先を近づける。


「この場所でお前が生きるのは、間違いなのに?」

「俺、か、カエレスの、血をつなげたいっ……から……」

「それが、呪いじみたすり込みだとしても?」


 夕焼け色の瞳に涙を滲ませたまま、ティティアはただ真っ直ぐにヴィヌスを見つめ返した。

 すり込みではない。カエレスへ向ける気持ちは、決してまやかしなんかじゃない。

 ヴィヌスの囁きに、気持ちが否定されるようで辛かった。なにより、カエレスの隠していた事実に触れて傷ついたことで、ティティアは己の心の本当を知った。


(俺……、まだカエレスに好きだっていってない)


この気持ちは、嘘偽りのない本物だ。


 ティティアの首を絞めていたヴィヌスの手が、ゆっくりと喉元を撫でる。そして歪な笑みを浮かべて宣った。


「子を宿したなら、死んでもらう」

「っ、」


 冷たい言葉が落ちて、乱暴な手がティティアの頭飾りを鷲掴んだ。狼の耳を模したそれをもぎり取ると、ヴィヌスは見せつけるように二つに割ってみせた。


「なんで生贄が頭飾りをつけてるか知ってる? それは、逃げた神子を始末するときのためなんだよ」

「何、それ……」

「まさか使うとは思わなかったけど、まあそういうこともあるよね」


 ヴィヌスの手により、飾り耳を開くように生まれた短剣は、部屋に唯一ついているランタンの光を浴びて鈍い光を放っていた。

 与えられた装身具は、ティティアの身を守るものではなかった。最初から生贄のために作られたもの。アテルニクスと出会わないように、人間側の都合でいつでも命を終わらせるように、生贄に許されるだけの死を纏っていた。

 知るもし得なかった事実が、ヴィヌスの手の中に握りしめられている。


「愚かで可愛らしいね。きっと、この国では生きるのも辛いでしょ」

「や、やめて……っ腹だけは……っ」

「呪いの子を増やすな。これはヴィヌスの思し召しだ」

「……っ」


 ヴィヌスの握りしめる短剣がゆっくりと持ち上がる。

 子宮を壊されたら、きっと子供は二度と孕めない。カエレスの命を繋ぐことはできないだろう。

 見慣れた飾りが、凶器に変わる。

 ティティアがカエレスのためにできることは、子供を産むことだけなのに。それすらも許されないというのか。

 もうダメだと、ティティアがキツく瞼を閉じた時だった。

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