第33話 あなたがいる場所

 カエレスに連れられて来たのは、城の中にある塔であった。曰く、昔は備蓄品やら、敵が攻めてきた時に籠城するために造られた場所らしいが、今はほとんど使われていないようだ。


「とは言っても、私が王になってからはほとんどが隠れ家のようになっているね」

「カエレスの隠れ家?」

「そう。ティティアは私が連れてきてあげるから、一人できてはいけないよ」

「うん。……隠れ家って響き、かっこいいね」


 扉を開いて、中に入る。塔は頭上に向かって階段が螺旋を描いて続いていた。その中のいくつかに小部屋に繋がる扉があり、見張りをするものが寝食できるような簡単な設備が整っているのだという。

 塔は、地上から見える部分以外にも繋がっているという。城には秘密の部屋がいくつかあるんだと告げたカエレスに、ティティアは少しだけワクワクした。

 

「流石に屋根の上は危ないから登らないけど、上の窓から見える夜空はなかなかのものだよ」

「屋根の上登ったことあるの?」

「若い頃にね」


 今も十分若く見えるが、カエレスはティティアと種族も違うのだ。外は少しだけ肌寒かったが、カエレスの体が暖かくてちょうど良い。体温の高い体にぴとりとくっついたまま案内されたその場所は、夜のアキレイアスを一望できる場所だった。

 窓枠が、額縁のようにも見えた。夜の暗闇に紛れて、営みの灯りが星座のように点在する。カエレスはティティアを抱いたまま一脚の椅子を窓に寄せると、華奢な体を膝に乗せるようにして腰掛けた。


「寒くないかいお姫様」

「俺嫁だもん」

「からかっただけだけど、思いの外可愛い反応が見れた」

「しっぽご機嫌だねカエレス」


 クックッと笑う。カエレスの瞳が優しく細まって、ティティアの頬に擦り寄る。狼の鬣に触れるように細い腕を首に回すと、感触を楽しむようにワシワシとカエレスの頭を撫でる。

 一国の王に、こんなことをしていると知られたら顰蹙を買うだろうか。そんなことを思って、ちょっとだけ笑う。そのまま肩口に頬を寄せるようにして落ち着くティティアに、カエレスが用意した毛布を優しくかけてやる。


「疲れた時は、ここでお茶を飲むんだ。小さい国だけど、街並みはぎゅっと詰まってるだろう?大国も確かにいいかもしれないけれど、私はみんなの声が近いこの国が好きだよ」


 金糸水晶の瞳に、営みの灯りが映り込む。夜の色を吸い込んだカエレスの瞳は、小さな宇宙のようにも見えた。

 きっと、カエレスには暑いだろうに。ティティアの体に毛布をかけてくれる。柔らかで大きな手のひらが黒髪を梳くように撫でるのが心地よくて、気を抜けばまどろんでしまいそうだ。


「俺ね」

「うん」

「カエレスがいるこの国、好きだよ」

「……あんなに、怖い思いをしたのに?」


 心なしか、少しだけ参っているような声だった。それに気がついたのは、体を通して感じるカエレスの魔力が、少しだけ不安定になっていたからだ。

 きっと、怖いんだ。カエレスは、ティティアがこの国にきたことを後悔しているんじゃないかと思っている。そんなはずないのに、普通を振る舞うカエレスの声色に、いつもの穏やかさは感じられなかった。


「何か、あった?」

「ん?」

「俺、難しいことわかんないけど……、話聞くくらいなら、できるよ」


 カエレスの首筋に顔を埋めたまま、もごりと呟く。本当は顔を見て言えばいいのだろうけれど、近い距離で言うには随分と勇気のいる言葉だったのだ。

 顔を見なければ、言えることもたくさんある。勢いのまま口にするには、恥ずかしい思いをしそうな素直な言葉も。


「俺ね、もっかい言うけど、カエレスがいるこの国が好き」

「……うん」

「コップ一つとってもおっきいし、馬車だって俺にとっては住めるほどの大きさだし、ベットから降りるのも、たまにうまくいかない時もあるけど」

「わかった、床に一緒に寝よう」

「それは嫌だけど……」


 真剣な声で、王様が床に寝るという。そんな、少しだけティティアのことになるとおバカになるところも好きだ。

 もぞりとみじろいで、ゆっくりと顔をあげる。ツンと尖ったお耳に、スッと通った凛々しい狼の口吻。ネメスを被ると人に戻るのも、あの夜初めて知った。

 小さな手のひらが、そっとカエレスの口元に触れる。つるりとした牙を指でなぞれば、困ったを表すように星屑の瞳で訴えかけてくる。


「ふぃふぃは、あぶはいから、あめあさい」

「俺、この牙の味まで知ってるのに」

「……ふぃふぃ」

「なんで隠し事するの。やだよ……俺、カエレスの全部知りたいのに」

「は……」



 ごくり、と唾液を飲み込む音がした。暖かいカエレスの口内に触れる。この身を穿った牙を撫でれば、グルル、と喉の奥から音がした。人の舌よりも分厚いそれが、指先に触れる。

 つるりとした白が、飴細工のように甘そうに見えた。ティティアは思わずカエレスの口元に顔を寄せると、ぺしょりと舌で牙を舐めた。


「っ、やめなさい」

「う、っ」


 カエレスの手が、ティティアの口元を抑える。ぐるぐると喉を鳴らしながら、顔を背けるようにして距離を取る。尻の下に感じるカエレスは確かに主張をしているのに、何かから逃げるように怯えている。


「……俺だって、男だから。す、好きだと、口付けたくなるよ」

「く、ち付けは、……そうだな、確かに、私が教えたんだった……」


 不機嫌な空のようにゴロゴロと鳴る喉を治めようとする姿に、少しだけむすりとした。カエレスが最初にしてくれたように、勇気を出してしてみたつもりだった。それなのに、明確に拒否をされてはティティアだって悲しくなる。

 カエレスは、顔をグッと逸らしたまま、こちらを見ようともしない。意地悪をされているのか、本当に嫌だったのかがわからなくて、ちょっと泣きそうだ。

 胸の真ん中がジクジク痛くなって、思わず肩にかけられた毛布を握りしめた時だった。



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