2、魔術師と森の人形屋敷(中編)

「どこかの館では月に一度は旅人を人形にして、邪心への生け贄に捧げている……なんて現場は見たことがあるけれど、この屋敷は今のところ、宗教色のようなものは感じないね」

 スープの残りを飲み干し、アインが彼の経験を披露する。

「遠いどこかの国では、旅人を人形にして体質を変化させ、その身体の部位を医療に使うと聞いたことがあるわ」

 内臓が悪い金持ちがいれば人形の同じ内臓を買い取り換える。魔法と進んだ医療技術を組み合わせればそんなことも可能だとか。

「でも、この屋敷の中にはそんな医療施設なんてあるようにも見えないし、近隣の町にもなかったはずね」

「まだ屋敷の一部しか見ていないし、ボクらはここの主人にも会ってないけどね」

 安心したい心理、というものがあったのは否定できない。そんな人間たちの思惑にトゲを刺すような黒猫の声。

「ま、心配し過ぎてもよくないけどね。少なくとも、食事に毒は入っていなかったんだから」

 なるほど。

 この屋敷の者がわたしたちに何か害をなそうというなら、まず食事に毒でも仕込んでおくのが手っ取り早い。だからタウが毒見していたのだろうか。精霊には毒も効かないし。

 そこに気づくと、わたしは毒の可能性に気がついていなかったことを反省する。寒さでだいぶ頭も鈍っているようだ。

 すでに全員食事を終え、上着も乾いている。空の食器はどうしよう、ベルを鳴らして誰か呼ぶべきなのか?

 そう思い始めた途端、狙ったように執事が入ってくる。

「皆さん食事を終えられていらっしゃいますね。お口に合いましたか?」

 この問いかけにわたしたちは、

「ええ、とっても」

「美味しかったよ、ごちそうさま」

「とても美味でした」

 それぞれに同じような返事をする。パンは香ばしく中はふわふわ、スープも塩気が丁度良くてハムエッグも肉汁の旨味が出ているし、ジャムも甘過ぎず酸っぱ過ぎず――と、美味しかったのは本当だし。

 それを聞いて、執事は笑みを深くした。

「それは良かった、コックも喜びますよ……寝床の準備ができましたのでお知らせに参ったのです。あいにく書斎しか空いておりませんで、ベッドもありませんし、お三方一緒になってしまうのですが……」

「わたしはかまわないわ」

 書斎にも暖炉や燭台くらいあるだろう。火が近くにありさえすれば、わたしは誰が相手でもどうにでもなる。

 ――短い付き合いとはいえ、この少年と商人が危険人物には思えないけれども。

「それはありがたい。どうにかソファーを運び込むくらいはできましたので、そちらでお休みください。ベッドほどではありませんが、寝心地は悪くないかと」

 贅沢は言ってられない、雨に当たらない場所で眠れるだけでも御の字だ。執事に先導され廊下を書斎に向かう。

 廊下を見渡してみても、特に異質に感じる部分はない。等間隔に壁に掛けられたカンテラの灯が揺れ、時折、木製のドアが見える。壁紙も絨毯も高価そうだがそれほど派手さはなく、模様に宗教色も見えない。

 よくある一般的な屋敷の廊下から、よくある一般的な書斎に辿り着く。

「どうぞ、ごゆっくり」

 頭を下げて去っていく執事を、わたしたちは礼のことばで送り出す。

 暖炉のある一角のほかは、壁一面に本棚。端に読書用空間なのか机と椅子が並び、暖炉の近くに長いソファーが三つ。ソファーのそれぞれに暖かそうな毛布と枕の代わりとして充分過ぎるクッション。ソファー自体も適度な弾力があって座り心地もいい。

「これもベッドとして高級なくらいだな」

「まったくね……」

 アインのことばにしみじみと同意する。

 旅をしていれば、天井は空に枕は自分の荷物、ベッドは草むら――なんて経験も一度や二度じゃないくらいするものだ。しかも窓から見える外の豪雨と比べれば、まさに天国と地獄。

 自分のベッドと決めたソファーに座ると、ようやくほっと安堵の気持ちがこみ上げる。親切な人の屋敷で雨宿りできて良かったなあ、と。

 なんとなく振り返ると、乾いたコートを着直したアインが丸くなっていた。目を閉じて黙っている姿を見ると、華奢で綺麗な、年下の美少女のように見える。普通ならばあまり一人旅に向いている外見ではなさそうだけど、だからこその魔術師か。

 あまり他人の顔をじっと見つめているのも失礼か、と視線を上に向ける。

 すると、ある絵画がすぐに目を引いた。大人ひとりの大きさよりなお大きい、立派な額縁に入れられた美女の絵だ。背後では黒雲の切れ目から光が差し込み、荒野に悠然と立つ美女を照らしている。黄金の揺らめく髪をなびかせながらほほ笑む美女は松明を右手に掲げていた。暗くてよく見えない中でも、その絵の華やかさには目を奪われる。

「いやあ、立派な絵画ですね。絵は専門外ですが、なかなか値の張りそうなものです」

 同じく壁を見上げていた商人が感想を洩らす。すぐに値段に興味が行くのは職業病のようなものだろうか。

「神話の一節だね、あれは」

 少年はチラリと薄眼を開けて見た程度だが、その顔のそばで丸くなっていた黒猫が金色の目を輝かせた。

「勝利と炎の女神が、戦いで傷ついた世界に命の炎をもたらすという場面を描いたもので、このモチーフは様々な芸術作品に使われているよ」

 どうやらこの精霊は、芸術にも詳しいらしい。

「しかし、奇妙だね。普通ならこの絵の女神は、頭上に炎を模したアカシアの葉の冠をかぶっているはずなんだけど、この絵では何もかぶっていないね」

 確かにタウのことばどおり、この絵の女神は豊かな金髪を頭頂部までさらしている。

「ん……同じモチーフの絵がたくさんあるなら、差を出すために別の描き方にしたりするんじゃないの?」

 あまり関心なさそうなアインが眠たげに言う。でも、確かに彼の言うことももっともに思えるのだが……。

「アカシアの冠は勝利者の目印にもなっていて、その冠をめがけて天から導きの光が差してくるんだよ。ここで冠を省くと意味が変わってくるし、絵の〈縁起〉も変わる。この絵は持ち主の勝利や発展を願うための絵なのさ」

「なるほど……ただ描き忘れたとかでもなさそうだね」

 よっこらしょ、とアインもようやく身を起こして例の絵画を見上げる。

「ただ描き忘れたとか差別化したいとかじゃないのなら、何か意図が込められているわけで。作者の意図か、絵を注文した人の意図か……作者の可能性は薄いかな。注文者も気づくような変化なら、少なくとも注文者も把握していないと」

「なんで冠がないんだ、こんな絵は買えない、と言われてしまいそうですからねえ」

 注文者が普通にあの神話の一節を注文したのなら当然冠はかぶっているだろうし、もっと大雑把な注文だとしても、わざわざ「縁起が悪いから買わない」と言われそうなことはしないだろうな。

 ということは、何らかの意図があって絵の注文者がこう描かせたのか。すでに描かれたものを買ったという可能性もあるが、その場合もこれを選んだことに意図がある可能性は否定できない。

「とりあえず、もっとよく見てみましょう」

 わたしは魔法を使った。と言っても、実際にやった仕草は指先を軽く動かす程度である。その仕草も単なる癖のようなもので、何もしなくても炎はわたしの意のままに動く。

 暖炉の炎から手のひらに収まる程度の大きさの火球が宙に舞い上がった。それはふよふよと絵のそばを上昇していく。

「おお……」

「近づけ過ぎて燃やさないように気をつけてね」

 感嘆する商人と、忠告するアイン。もちろん、距離には充分に気をつけているつもり。

 火球は絵を下から上へと強く照らし出す。女神の白い服から伸びた脚、くびれた腰、風になびく黄金の髪。そして冠があるはずの頭上へ。

 そこに、炎にあぶられるようにして文字列が浮かび上がった。

「あれは……?」

 青白く浮き上がる文字は、この大陸の共通語ではない。ただひとつ、文字列の最初に記された記号は下向きの矢印に見える。

「あれは古代語だね。絵の下に入り口があるってさ」

 と、タウ。

 絵の下にあるものと言ったら、書斎にありがちな本棚がひとつ。

 もしや。

 と、同じことを思ったのか、アインと商人が立ち上がって本棚の脇に行く。

 二人がかりで行く必要もなかった。少し押すだけで軽く本棚は横に滑っていく。本棚が塞いでいた壁に開いたのは、人ひとりくぐれるくらいの長方形の入り口。

「ほほう……」

「隠し通路、か」

「なんとも興味深いわね」

 勝手に案内された部屋から隠し通路に入るというのは、失礼に当たるかもしれない。でも、人並みの好奇心ある者で、目の前に現れた隠し通路をそのまま見なかったことにすることができる者なんていようか?

 それに、案内された部屋を出たわけではないし。隠し通路はこの部屋の一部と言えないこともないかもしれない。

 などと内心で言い訳しつつ、すでにわたしは立ち上がっていた。目を見合わせると、他二人も同じ表情。タウも黒いコートのポケットに潜り込んで準備万端。

 わたしは火球を頭上少し上の高さに飛ばして照明代わりにしながら、先を行くアインと商人の後を追った。隠し通路は壁と同じ石造りで、飾り気も何もない。

 通路はすぐに終わる。抜けた先は広い空間。白い壁と天井に囲まれ、さまざまな芸術作品が並べられていた。壁には絵画、手前側より広くなっているらしい奥の空間の棚には壷や模様の細かく彫り込まれた皿など骨董品らしき物、そして左右の壁際に立ち並ぶ銅像と人形。

 特に、手前四体はかなり精密に作られているように見える。肌の細かなしわから爪の微妙な色合いまで。

「これはまた、なかなか見ないほど精巧な……」

 商人が目を丸くしながら、近くの小さめの人形を見下ろす。歳の頃は五つ六つくらいの少女だろうか。

 ほかには、大人の女性の人形がふたつと若い男の人形がひとつ。小さなしわや服の端のほつれまで再現され、どれも量産型とは思えない精巧ぶりだ。まるで人間をそのまま人形にしたかのような。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る