9、魔術師と世にも美しき宝(後編)

「誰か来たみたいだよ」

 黒猫の金色の目が、通路の向こうの闇を見通す。

 明かりを手に歩いてくる姿は、シャナンナさんでありながらシャナンナさんではないように見えた。黒い目に短く切られた黒髪、顔かたちは昼と変わりないけれど――顔にはあの穏やかなほほ笑みはなく、目には怜悧な光をたたえている。印象はずいぶんと精悍なものに変わり、そしてそれは昼間よりもずっとしっくりくるのだ。

 まるで別人になった、というより、変わっていたのが当人に戻ったような変化。

「セラスさんですね?」

 アインがそう声をかけた。

「ああ、そうだ。話は妹から聞いている……というより、昼間、妹と一緒に聞いていた。キミたちには見えなかっただろうが、わたしも近くにいたのでね」

 見えないのに近くにいた、とは。

「わたしの魔法は、応用すれば精神体だけで活動することもできる、自分や他人の精神を操る魔法だ。そしてわたしが留守の間、肉体の成長や老化は停止する」

 こちらが疑問を口にする前にそう説明してくれる。そうか、精神体で近くにいて聞いていたということか。そして、なぜ外見が若いままなのかの謎も解けてしまった。

「まあ、そこの精霊には見えていたらしいが」

「精霊も本来、精神体だからね」

 タウが猫そのものの仕草で後ろ脚を上げて耳をかく。

「シャナンナさんは今はどうなってるんです?」

 これは気になった。セラスさんは自分の魔法で肉体を離れられるけれど、妹さんも偶然同じ魔法の使い手、なんていうことはなかなかあり得ないのではないだろうか?

「今は眠っているよ。この頭の中でな」

 その声色も昼間のシャナンナさんと同じもののはずなのに、セラスさんの張りがある喋り方ではずっと凛として聞こえる。

 ともあれ、朝になればセラスさんが肉体を出て行ってシャナンナさんが目覚め、夜にはセラスさんが肉体に帰ってくる、という生活であることは理解できた。

「町では、姉の方が亡くなったという話を聞いたけれど……亡くなったのは妹さんの方なんですね」

 不意に、アインがそんなことを言った。

 確かに、妹さんよりも今いるセラスさんの方が、目の前のこの肉体に合っている気はするけれど……妹の方が亡くなったなら、あのシャナンナさんはどうやって存在しているんだ?

 セラスさんは目を細める。

「ほう。キミも見た目通りの年齢ではないのかもしれないね。まあいい、ついてくるといい。話しながら案内しよう」

 言って、再び通路へ歩き出す。置いていかれないよう、わたしたちは慌ててそれを追った。

「シャナは再生の魔法の魔術師でね。昔は医師としてふもとの町へもよく下りていた。この身体になってからは行かなくなったが」

 彼女は、洞窟のより深い部分へと向かっているようだ。

「二〇年ほど前だったか……わたしは行きがかり上、聖剣を盗み出そうとする一団と戦った。その中の一人が聖剣を手にしたとき、赤く輝きだした刃を見て思い出したよ。あの聖剣は一度手にしたら、持ち主となった者の精神力を吸い、別の誰かに握らせるか、もしくは誰かの心臓を刺さない限り手から離れず、次の満月の夜には正気を失い狂人と化すと」

 うわ、呪われているとしか思えないな。

「それは、聖剣というより魔剣では……」

「もともと、あの聖剣は隣国の保管している聖剣とひとつのものだったらしい。それを無理に二振りにしたから力が不完全なんだ。ただ、元の一振りだと、それはそれで強力過ぎて危険な代物らしいな」

 その剣、一振りで国を滅ぼす――

 そんな一節をどこかで読んだ気はする。

「聖剣を手にした男が一般人を殺しかけたとき、わたしはとっさにそいつから剣を奪った」

 通路の行く手が明るくなってきた。日光ともロウソクの火とも違う、青白い光が洩れてきている。

「ほかに方法を思いつかなかったよ」

 振り返ることなく歩き続けながら彼女は語る。

「帰ってシャナに相談したが、二人で行きついた手段はひとつだけ。シャナの意識を肉体と切り離し、痛覚を消して、シャナが胸をつらぬかれながら自分自身の魔法で血と傷を再生し続ける。魔法を使った特殊な装置の中ではそれを維持することが可能なのだ。そして、わたしはシャナの精神体をわたしの肉体の中に封じた」

 明かりが強くなってくるとすぐに、視界が開けた。まぶしさに目を細めるが、目が慣れてくると、むしろ視線を外すことのできないまま、そこにあったものにことばを失う。

 広い空間の中央に、半透明な青の石柱がそびえていた。地面と天井をつなぐ大きな石柱の中には、胸をつらぬかれた女性の姿。ゆったりした服をまとい、緩やかに波打つ栗色の長い髪を持つ綺麗な女性は、静かに眠っているように見えた。

 その胸をつらぬくのは、刀身が血のような赤に染まった剣。赤の中で、解読不能な文字列が白く輝いている。血は一滴も流れていないし傷口も見えないものの、どこか不気味で凄惨で――神話の一場面を切り取ったかのようで、神秘的で美しい光景。

「ああ……あの森の中の屋敷の主人の父は、おそらく、この光景を見て、〈世にも美しい宝〉と言ったんだろうね」

 アインの推理にわたしは納得してしまった。聖剣だけでは決して美しいとは言えないだろう。

 これを運び込む場面でも見たのか、この洞窟にたまたま迷い込んで見たのか、経緯は不明だが。

「〈世にも美しい宝〉か。妹は喜びそうだ」

 セラスさんの表情は喜びからは遠い。この状態のシャナンナさんが喜ばしいわけはなく、当然だ。

「このまま、剣を抜くことはできないので……?」

「剣に触れずに抜くことは可能だが、剣が力を失わないまま対象の心臓から剣を抜けばわたしは狂人となるらしい。あの剣が吸い取った精神力が消えて、自然に抜けるのを待つしかない」

 さらに説明されたところによると、この石柱は〈停止〉の魔法を使う魔術師が作った封印らしい。その中で剣が力を失うには、永遠に近い時間が必要だという。

「何か方法はないかと毎日探してはいるが……なかなか難しいものだ。こんな形とはいえ、わたしもシャナも生きているだけでもマシと考えるべきなのかもしれないな」

 そう言って彼女は苦笑する。

 そりゃあ死ぬよりはマシかもしれないけれど。そして、彼女としてはそう言って自分を慰めるしかない気分だったのかもしれないけれども。

「でも、この生活になって失ったものも多いんでしょう?」

 わたしが訊くと、彼女は表情を曇らせる。

「それはそうだ。シャナはわたしの身体で怪我もできないからあまり出歩かなくなったし、ふもとの町にも下りなくなった。わたしとしても無茶はできない」

 姉妹で身体を共有していると、出来ることは二人分から一人分になるわけだし。精神体のセラスさんはシャナンナさんを見られるだろうけれど、シャナンナさんからは昼間のセラスさんは見えないし、何より、お互いに触れることもできない。

「しかしまあ、さすがにこの生活にも慣れてきているさ。どうにかする方法があればいいが……難しいなら妥協するしかない」

 剣から力を奪う。まったく触れずに。

 簡単にできることではない、セラスさんが何十年探しても方法を見つけられずにいるそれを、やってのけられる人物をわたしは知っていた。

 わたしは隣に目を向けた。

「アイン……わたしたち、一宿一飯、ならぬ一宿二飯もいただいちゃっているわけだし」

 そう切り出すと、彼はうなずいて膨らんだコートのポケットをぽんぽん、と叩く。

「お宝は手に入らなくても、お腹が膨れる物も労力に見合うだけいただいたことだし……うん、大丈夫。そろそろ聖剣は力を失って、シャナンナさんは元に戻るよ」

 ことばの後半はセラスさんにも聞こえるように言う。

 途端、魔法のように――いや、魔法なんだけれど。

 わたしたちが見ている中、シャナンナさんの身体の胸をつらぬいていた刀身は赤い輝きを失い、本来の色らしき銀色の刀身に変わる。

 さらに剣は滑るように抜け落ち、封印の外へまで出て、カラン、と岩の地面に当たり高い音を鳴らした。

 それは幻聴か、転がったままの剣と傷の塞がった妹の身体は幻覚か。

 と疑うかのように、床に転がる剣と封印の中の妹の身体を何度も交互に見て、セラスさんは目を見開く。

「幻術……ではないよな? そんなことをする意味もないだろうし。今のは魔法なのか?」

「一日に一回だけの奇跡だよ」

 黒いコートの袖からタウが顔を出し、そう言った。


 翌朝、二人の美女がわたしたちを見送ってくれた。

 黒目黒髪短髪の動きやすそうな黒尽くめの女性と、ゆったりした草色の服をまとった、緩やかに波打つ長い髪の女性。

「似てない姉妹だね」

 何の気なく言ったタウのことばは少し失礼かもしれないと思ったものの、二人は笑っていた。

 失礼と思いつつも、ことば自体には内心同意する。外見も雰囲気も口調も、とても血を分けているとは思えないのだもの。

 シャナンナさんは昨日、セラスさんの魔法で精神と身体を融合した直後は立つのもやっとだったものの、今は少しふらつきながらも歩くことはできている。封印の力で筋力はかつてのままとはいえ何十年ぶりで自分の身体に戻ったのだから、慣れるまで少し時間がかかりそうだ。

「血のつながった姉妹というわけではないからな。義理の姉妹のようなものだ」

 セラスさんはそう説明する。

 なるほど、血がつながっていないのなら顔立ちからしてまったく似ていないのも納得がいく。

「キミたちに頼みたいことがあるんだが」

 黒髪の女性魔術師は、背後の岩に立てかけてあった布に包まれた棒状のものを手に取る。その形、長さからもしやとは思っていたが、彼女がチラリと布をずらした下から覗くのは、銀色に日光を照り返す刃。

「これを北の〈火走りの谷〉にいる、魔術師ヨドに渡してほしい。停止の魔法の使い手だ。彼ならこれを厳重に封印してくれるだろう。セラスに頼まれたと言えば、説明しなくてもやってくれる。彼は以前にもこの剣も見ているからな。やってくれるなら報酬は払うぞ」

 提示された依頼料は、五〇〇タブラ相当の宝石の原石。

 セラスさんは精神体になってどこへでも飛んで行けるので、何十年もそうやってあちこちを飛び回っていると、希少な宝石の原石の在り処も発見できてしまうらしい。

 精神体になれるってどういう魔法なのかあまり理解できていなかったけれど、少しうらやましい。

「もののついでだし、引き受けよう。でも、わたしたちが依頼料だけもらって聖剣を適当な場所に捨ててしまう可能性もあるだろうけれど、それは考えないんですか?」

 アインの質問は確かに。世の中には前金だけ受けて逃げるのを繰り返すような、前金泥棒と言われる者たちもいるくらいだ。

 すると、シャナンナさんが笑みを深くする。本来の顔でのそのほほ笑みは昨日よりも明るく優しげに見える。

「昨日の一日だけでも、お二人がそういう人種ではないことはわかりましたの。他人をどうでもいいと思うような方なら、一日一回だけの魔法など使わずに、わたくしの身体のことなどほうっておきますの」

 もし、他人をどうでもいいと思っていたら――一宿二飯の恩義など感じることもなく、自分たちのために魔法を使っていたかもしれない。

「それに、他人からすれば危険過ぎる依頼だが、キミたちの場合はそこまでではないだろう?」

 セラスさんの言うとおり、仮にアインやほかの誰かが聖剣を触ってしまっても、アインの魔法で救うことができる。

 そう考えると納得してしまった。

「では、頼んだぞ」

 そのことばに、アインははっきりうなずいて言った。

「ええ、確かにお渡しします」

 魔法は使わずに済むならそれに越したことはない。アインは万が一にも触れないように二重に聖剣を包み、さらにその上から革紐をしっかり巻き付けてコートの内側の腰に吊るした。

「気をつけて行ってらっしゃい」

 手を振って見送るシャナンナさんと、軽く手を挙げたセラスさんに応え、わたしたちは洞窟を後にした。

 ――洞窟は後にしたものの、すぐには山道を下りない。アインは仕掛けた罠を忘れてはいなかった。

 森の近くの草むらに近づくと、何かがバタバタと動く音。

「なんだ、こいつか」

 もしかして待望のボタン鍋か、と思ったらそうではなく、仔ウサギが罠に後ろ脚をひっかけている。

 仔ウサギの肉を使った料理というものもあるし、それを好んで食べる人もいる。本当に飢えているときは仔ウサギでも食料になっているところだけれど、今は腹も満ち足りているし必要以上の殺生はよくない。という意見の一致で逃がしてやった。

 罠を解体すると、アインはコートのポケットからセラスさんにもらった依頼料の包みを取り出し、手のひらに広げる。

 そこには三つの宝石の原石が転がる。小さいけれど最も高価な青い半透明な石、大きな緑色の石、親指の爪くらいの大きさの赤い石。

「レシュ、欲しい石はある?」

 唐突だな、と思った。

 一目見てわかるだろうけれど、わたしはアクセサリーの類をひとつも身に着けていない。紺のローブにマントという暗く地味な格好。……だからかもしれないけれども。

「価値はどれも似たような値段らしいね」

 わたしが言うと、アインはがっくりと肩を落とす。

「そうじゃなくて……身に着けるとしたら」

「わかってるわ。一番高価な物を選んだりはしないわよ……わたしが身に着けるのなら赤がいいと思う」

 その色が一番、わたしの格好にも似合うと思った。派手過ぎず透明感のある、暗めの赤だったから。

 思ったところで視線を外す。想像しながら見ていると、欲しくなってしまう。アクセサリーなど腹の足しにもならないというのに。

「じゃあ、赤は最後まで取っておいて、余裕があったら何か装飾品にしてもらおう」

 と彼が言うと、襟もとからタウが顔を出した。

「余裕がなくて売ることになる可能性大だね」

 アインは苦笑したが、わたしは黒猫に内心強く同意する。

 山道を下り始める。黒いコートの後ろ姿を自然についていく。どうであれ山道は下りなければいけないんだから当たり前だ。でも、宝を見つけるという目的は果たしてしまった。

 それでも言い訳はいくらでも作れる。セラスさんから依頼を受けたのはアインだけでなくわたしも同様なのだから、一緒に行動するのは当然のこと。〈火走りの谷〉にも興味はあるし。

 それにしても、赤い宝石を最後まで取っておいて余裕があれば装飾品を作る、ということは、それまでずっとわたしが一緒にいることを想定していてアインもタウもそれを当然と思っているのだな。

 それがなんだか嬉しいような気がする自分がおかしい。ちょっと前までは、一人旅こそ最上だと思っていたくらいなのに。一緒に行こう、という誘いを断ったこともある。

 誰も見ていない中、わたしは思わず苦笑していた。

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