8、魔術師と世にも美しき宝(中編)

 翌日、宿を出るとわたしたちは近くで見つけた食堂で朝食を済ませた。そこは朝の時間帯限定の朝食セットというメニューをやっているお店で、そのセットを頼んで安く済ませることができた。

 朝食セットの内容もパンとジャムに豚の腸詰入りスープ、キノコと野菜の卵とじ、食後のハーブティーというそれなりの内容。充分登山の活力になりそうだ。

 さらに、朝食の後で昼食用に安いパンを買う。食糧が足りない分は現地調達だ。

 ――天気も悪くないし、山道を行くのに障害はなさそう。本にあった通りなら特殊な道具も必要なさそうだし。

 草の高く生い茂ったような場所では刈るための道具が必要になることがあるけれど、そのためのナイフやロープといった旅に必要な物はもともと持っている。

 とりあえず、看板で示された山の入り口は草も刈られて歩きやすくなっていた。低い辺りの山道には人が出入りしているのかもしれない。山に山菜やキノコを狙う登山者がいるというのはよくある話。

 わたしも、自然の多い場所を歩くときには山菜や食用キノコがあるかどうか、注意して眺める。それが食料になったり、収入にもなっていたり。

「こんな快適な山道がずっと続けばいいんだけど」

 山の上の方を見上げ、アインが溜め息を洩らす。

 この辺りはまだ視界が開けているが、上の方は緑の針葉樹が密集していて、道がどこにあるのかも見えない。

「急ぐ必要もないし、休みながら行きましょう」

 とはいえ、あまり遅いと夜の山道を帰ることになる。

 できるだけ速足で、わたしたちは山道を登った。しかし周囲を林に囲まれた辺りで一気に足場が悪くなる。倒れた木や落ちた枝につまづかないよう、気をつけて歩かなければいけない。

 日が高くなってきて暑くなりそうなところ、林の木々の枝葉に日光が遮られるのはいいのだけれど。

「大変だね、人間は」

 アインのコートに潜んでいるだけの精霊は気楽なものである。

 虫の音や鳥のさえずりが増える中、休憩を挟みながら歩き続ける。木々が増えて森になるころには、道も人ひとりがやっと通れるくらいの獣道と化していた。

 たまにある丈の高い草を踏み倒しつつ、森の奥で少し開けた場所に出る。そばには澄んだ小川が流れていた。

「ちょっと休憩しよう」

 空を見上げて提案するアインの綺麗な顔にも、少し疲れの色がにじんだ。

 感覚的にはかなり時間がかかったような気がしていたけれども、まだまだ太陽は低い。

 手近な倒木を椅子代わりに脚を伸ばす。

 そして少し脚が休まると、小川の水に危険がないのを確かめ、喉を潤して水筒に水を補給し、わたしは昨日買ったハチミツのお菓子を取り出した。アインにも一つ渡す。

「ありがとう、甘いものは疲れているときにいいね」

 彼はそれを落とさないよう、大事そうに口に入れていた。

 わたしもナッツ入りのハチミツのお菓子を包む滑らかな木の葉をほどき、菓子を口に入れる。ハチミツは一気に食べると少し甘過ぎるので、少しずつ舐めて味わう。素朴なお菓子だけれどこの甘さが身体に優しい。

「腹いっぱい食べられる、っていう嘘は今までについたことないの、アインは?」

 ふと思いついて尋ねてみる。

「特に何事もなく一日が終わりそうなときに、ついたことはある。でもそういうときって、つい気が緩んでどうでもいい冗談を言ってしまったりすることの方が多いね」

 そう言って、彼はいくつか実例を挙げた。『今にあの雲がわたあめになって降ってくるよ』という嘘で谷にわたあめを降らせたときにはちょっとした騒ぎになったとか、『ここの木には牛肉が生るんだよ』と言ったらその木の枝の先に気持ちの悪い肉の塊のような実が生り始めたとか。

 前者はほほ笑ましいかもしれないが後者は勘弁してもらいたい。

「もっと計画的に嘘をつけばいいのにね」

 黒猫は冷静に指摘する。

 週に一回とか、定期的に収入が入るような嘘をつくことができれば、苦労することもないだろうに。

 ――それとも、こんなことを思いつくわたしがあさましいだけなのだろうか。

「腹いっぱい食べられる、とか食料が手に入る、みたいな嘘はわたしが得をする代わりに誰かが損をする場合が多いから、本当に困ったとき以外は多用したくないね」

 確かに、ご馳走する側、食料を渡す側が損をすることになるか。

「もっと頭のいい嘘のつき方をすればいいんだよ」

 再びタウが口を挟んだ。

「例えば、そこの木の裏にとても高価で珍しいキノコが生えているよ、とか、あそこの岩場の合間にとても高価な宝石の原石が落ちているよ、とかなら誰も損はしないんじゃないかな」

「なるほど……相変わらずタウは頭がいい」

 賞賛して、アインは黒猫の頭をなでる。

 それなら自然のものだから、確かに誰にも迷惑をかけてはいない。正確には自然の住人には何か影響を与えるかもしれないけれど、わたしたちが気にするものでもないし。

 わたしは自身、せこいことを考えると思っていたものの、たぶんこの黒猫にはかなわない。彼はせこいと言うより合理的なだけなんだろうけれど。

「機会があったらやってみよう。でも、嘘じゃなくて普通にあるのが理想なんだけどね」

 そのことばには心から同意する。

「それはそうよね」

 嘘をつかなければ、魔法を使わなければ幸運はやってこない。腹いっぱい食べられることもない――なんていうのは、悲しい話。

 この先何があるのかわからないので、アインはまだ日に一度の魔法を残したいのだろう。ことば少なく休憩を終えた。

 再び歩き出してしばらくすると、急に周囲の木々は途切れ、ほとんど道のない草むらが続く。辛うじて他より草の背丈が短いのが道の痕跡になっているくらいだ。もう長年人が通ることがなかったんだろうな。

 それもやがてはどこが道かそうでないかもわからなくなってきて、適当に通れそうな部分を踏み倒して上へ向かう。幸い草は徐々に減ってきて岩が目立つようになってきた。

 見上げると、上は崖のように岩が重なり合った壁になっているが、岩の大きさの差が階段のようになっていて、歩いて登れそうだ。出っ張った岩が視界を遮り、そこから上の方はここからは見えない。

「落ちないように気をつけてね」

 黒いコートの襟もとから黒猫が忠告する。

 岩をいくつか上がったところだったわたしは、振り返って驚いた。そんなに高く登ってきた自覚はなかったけれど、ふもとの町がだいぶ小さく見える。あそこまで落ちることはまずないが、足を踏み外せば結構な大怪我をしそうだ。いや、落ちる場所や当たりどころが悪ければ怪我では済まないかもしれない。

 進むのに難易度は高くない道だけれども、出来るだけ重心を低くして岩肌に手を置き、慎重に足を運ぶ。

 ゆっくり進んでいるので時間はかかったけれど、崖もそれほど長くは続かない。出っ張りを迂回してせり出た一番上に辿り着くと、やっと山の上の部分が見える。

「お」

 アインが声を上げると同時に、わたしの視界にもそれが入る。

「ここか」

「目的地に到着……ね」

 崖のさらに上に続く岩の丘の中心に、大人が二人並んで入れるくらいの洞窟が口を開けていた。さらにその近くの岩の上にはロウソクの溶け残った跡。岩の丘の回りは森になっている。

 魔術師の姉妹が暮らす中腹。それがここだろうか。

「誰かいるの?」

 洞窟に声をかけてみる。その声は不気味に内部に反響した。

 ここが姉妹の住処だとしても、生きて存在しているとは限らない。なにせ、十年以上も彼女らの姿を見た者はいないのだ。中を覗いたら、白骨化した遺体があったりするかもしれない。

 ――あまり、遺体の発見者にはなりたくないな。

 とはいえ、旅をしていると色々なものを目にしたりする。一度、行き倒れになった旅人の遺体を発見したことがある。あのときは町が近くにあったのでそこに知らせに行くだけで済んだが、遺体と一晩同じ洞窟内で過ごした旅人の話も聞いたことがあるし。

 しかし、わたしの心配は杞憂に終わったらしい。洞窟の奥から明かりが揺れながら近づくのが見える。

 待ち受けるわたしたちの前に暗がりから現れたのは、黒目黒髪の女性だった。若いけれどわたしより少し年上に見える。

 髪は首のあたりで切りそろえられ、動きやすそうな短めの黒いローブに身を包んでいる外見は、遠目なら美青年に見えそうな中性的な雰囲気だけれど、顔に浮かぶほほ笑みは柔らかい。

「いらっしゃい、よくここまでいらっしゃいましたの。わたしはシャナンナ・ローゼス。姉のセラスと一緒にここで暮らしています。お姉さまは夜になったら戻りますの」

「どうもはじめまして、アインです」

「わたしはレシュです、よろしく」

 自己紹介をしながら、わたしは内心戸惑っていた。

 ふもとで聞いてきた話では、数十年は姉妹はふもとに下りていない。ということは、姉妹は結構な歳のはずだ。わたしは姉妹の外見はもっと年老いたお婆ちゃんの姿を予想していた。

 しかし、どう見てもこの女性はわたしよりせいぜい五つくらい年上程度、少なくとも十も年上には見えない。

「ここまで歩いてきたならお疲れでしょう。お茶をご馳走しますから、どうぞ中へ。多分、ここまで来たからには何かお話したいこともあると思いますからお聞きしますの」

 そう言うと、彼女はこちらに背を向けて歩き出す。

 ほかに取れる選択肢もない。わたしたちは彼女の後に続いて、岩の洞窟の中へと足を踏み入れた。


 洞窟内は少し進むと広い空間になっていて、居住区として充分な広さがあった。クローゼットや机に椅子、食器棚といった調度品はどれも木製で、花が花瓶に活けられていたりもする。

 そして、天井には四角い穴に厚い透明な板がはめ込まれた窓があり、日光が室内に降り注いでいた。

 シャナンナさんはどこからかお湯を調達してティーポットに入れ、木のカップにハーブティーを注いだ。部屋はおそらくここだけでなく、洞窟は奥へと続いている。

「お口に合えばいいと思いますが」

 お茶だけでなく、クッキーが皿の上に並ぶ。

「いただきます」

 わたしはアインより先にクッキーと茶をいただいた。まさか毒でも入っていないだろうけれど、相手は初対面の魔術師。用心に越したことはない。屋敷のときのような油断はしない。

 クッキーはほんのり甘く、ハーブティーは爽やかですっきりした香りの漂うミントの葉を煎じたもので、街の店でハーブティーを頼むと出てくる可能性の高いもののひとつだ。

 じっくり味わってみても、おかしな匂いも味もない。

「おいしいです。ありがとう」

「あら、それは良かったですの」

 こちらの様子を注意深く見守っていた彼女は、ほっとしたように笑った。

「早速、お聞きしたいことがあるんだけれど」

 とりあえず、余計なことは詮索しないことにした。まずはここへ来た当初の目的を話してからだ。

「世にも美しい宝……? 聞いたことがありませんの」

 話を聞いた相手の反応は、小さく首をかしげることだった。

「かれこれ五〇年近くここに住んでおりますけど、宝とは無縁の生活ですの。必要に応じてお金を手にすることはありますけど、自分たちで作った木工細工や藁細工の物を売って糧にするくらいですの」

 確かに、周囲の調度品なども趣はあるが高価そうには見えない。多分、自分たちで木を切り出して作ったものだろう。シャナンナさんの身なりも質素そのものだし。

「ふもとの町で聞いた話だと、お姉さんは聖剣を盗み出したという噂があるようですが」

 一拍おいて、アインが訊いた。

 少々、不躾な質問だが、相手は気分を害した様子もなく思い出したようにうなずいた。

「ああ、確かに聖剣はありますが……装飾は美しいと思いますが、世にも美しいというほどとは……」

 と言いかけて、慌てて付け加える。

「あ、聖剣を盗み出したと言っても、お姉さまは決して私利私欲のために手に入れようとしたわけではないんですの。聖剣を奪おうとした悪党がいて、それを追いかけているうちに……詳しいことは、お姉さま自身から聞いた方が早いですの」

「でも、夜にならないと戻らないんでしょう?」

 アインが少し困ったように言う。夜まで待つということは、この獣や虫や色々な危険の真っただ中に囲まれたまま一夜を過ごさなければならない。熊が出る可能性もあるのに。

「それなら、泊っていけばいいんですの。大丈夫、最初は戸惑うかもしれませんけれど、結構快適ですのよ、ここ」

 彼女は笑顔で、岩肌の床を指さした。

 この洞窟は意外に広いらしい。最初に通された部屋の奥の通路から道は三ツ又に分かれており、右に折れたところにある部屋に案内される。ここの部屋にも天井に窓があった。明らかに人工的なもの。

「アリの巣のようだね、まるで」

 しばらく黙っていたタウが地面に飛び降り、匂いを嗅いで回る。たまに何もない空中をじっと見上げていたりする姿は、動物の猫そのものにすら見える。

 わたしは藁にシーツをかぶせたベッドに腰掛け、シャナンナさんの言うことはあながち嘘でもなさそうだ、と思った。

 部屋にはベッドが二つにテーブルと棚と机。机の上には花瓶に花が活けられ、棚には木製のカップや皿も並ぶ。岩肌の壁の出っ張りにはロウソクの立つ燭台もあった。

「どこも住めば都と言うけれど、暮らすには困らないくらいの設備には見えるわね」

「少なくとも、野宿とは天と地の差だよ。ベッドも柔らかいし」

 獣や虫の心配もない。やはり壁と天井は偉大だ。

 しかし、いくつか問題が。それは予定よりも早く辿り着いてここで一泊することになったので、時間が有り余っているということと、食事が足りないということ。

 そろそろお昼。昼食に、と買っておいたのは一番安かったん小さなパンが一つずつ。あとは自然の恵みをいただこうかと思っていたところ。

「シャナンナさんに言って、魚のいる川の場所でも教えてもらおうか」

 アインが立ち上がりかけた、そのとき。

 通路の奥から足音が聞こえてくる。すぐに、例にもれず木製のトレイを二つ手に持ったシャナンナさんの姿が見えた。

「そろそろお昼ご飯の時間ですから……お口に合うかわかりませんが、お客さんに料理を振舞うのなんて久々ですから、ちょっと腕によりをかけて作りましたの」

 自然の木目が綺麗なトレイの上に並ぶ皿には、川魚の煮つけに山菜キノコのスープ、薄焼きパンの上に溶き卵とチーズを載せて焼いたものが湯気を立てていた。

 ――これはご馳走だ。

「ありがとうございます。でもいいんですか、こんなに頂いて」

 驚いて訊くと、彼女は笑顔でうなずく。

「だって、久々のお客さまですもの。それに、ひとりじゃあまり食べないので駄目になってしまう食材もありますの。だから、食べてくださる方がこちらとしても嬉しいのですの」

 食材が多過ぎて駄目になるとは――ある意味、贅沢な悩み。

「では、ありがたくいただきます」

 心から、アインが礼を言った。嘘をつかなくてもご馳走が食べられるなんて幸運な日もあるものだ。あの森の屋敷の一夜もそうだったけれども。

 トレイをテーブルに並べたところで、シャナンナさんは、足もとに座って見上げている黒猫に気がついた。

「あらかわいい。猫ちゃんもお魚が欲しいのですの?」

 目線を合わせるように腰を落として声をかける。

「ボクは精霊だからね。人間の食べ物はいらないよ」

 タウがそうことばを返すと、女魔術師は一瞬目を見開く。しかしすぐにその顔に再び穏やかな笑みが浮かび、目には楽し気な興味の光をたたえた。

「精霊を見たのは初めてではないですけど、久々ですの……あの、可愛い姿の精霊さんですのね。なでていいですの?」

 目を輝かせる様子に、タウは溜め息を漏らしたように見えた。

「泊めてくれるお礼だからね。好きなだけなでるといいよ」

 それを聞いたシャナンナさんは嬉々として黒猫の全身を優しくなでつけ、気の済むまで感触を楽しんだ。さらにあまつさえ柔らかい肉球の感触をぷにぷにと揉む。

 その間にわたしとアインは昼食に手を付けていた。魚は甘みと塩気が丁度いいし、スープは出汁と具の食感がいいし、パンは味ももちろんのこと、見た目より腹持ちしそうな厚さだしチーズと卵のとろけ具合もパンとの相性が良い。

 こうしてできるだけ食事について詳しく旅日記に書いておけば、いつか自分が料理をする際に役に立つ――と書き始めた当初は思っていたのだけれど、いざ自分が料理を作る際には大抵、適当な物をぶち込んだスープか肉か魚を焼いて塩を振っただけのものになる。旅先で食材が限定されていればそんなものだ。

 まあ、理由あって旅の思い出を思い返す際にも、味というのは大きな切欠になったりすることだし。

 美味しい昼食を食べ終えたときには、すっかりお腹いっぱい。眠気が湧いてくる。

「時間もあるし、昼寝でもするか」

 シャナンナさんはとっくに姿を消しており、疲れ切った様子のタウはアインのベッドの端で丸くなっている。

 食べられるときに食べ、眠れるときに眠る。それもまた、旅人にとって重要な才能のひとつ。

「おやすみレシュ」

「おやすみなさい、アイン」

 他人と一緒の部屋で寝るのなんて昔は嫌で仕方がなかったけれども、アインはどこで一緒にいても全然気にならない。

 でも、そうしてまだ明るい中で眠れるのはせいぜい数時間。目が覚めると、日が傾きつつあるくらいだった。

 となりのベッドで、アインはすでに起きて道具を確かめている。

「ちょっと出かけようか。このままだと夜に眠れなさそうだし」

「そうね。ここでじっとしているのも退屈だし」

 部屋を、そして洞窟を出て周囲を散歩しながら、ついでに食材探しの旅に出かける。夕食まで、さらには明日の朝食まで昼食のようにご馳走になるというのは気が引けるし、少しでもお返しがしたいのだ。

 出てくるときにシャナンナさんに聞いたところによると、近くの川には魚がいるし森の中には食用キノコや山菜も豊富だという。

「動物もいそうだね」

 アインは草をかき分け、何か中型の獣の物らしき足跡を見つけた。イノシシか何かだろうか。

 旅暮らしが長いらしい少年は長い草を結び、罠らしきものを作る。旅をしていると雑学が身に付きやすいけれども、若いのに色々なことを知っているものだ。

「まあ、上手く引っかかるとは限らないけれどね」

 かかるとしても、いつ来るかもわからない。

 とりあえず、よくキノコが生えているという森の木々へと向かう。珍しいキノコを採って売ったり、食用キノコを文字通りに食用としたり――わたしもある程度のキノコに関する知識は持っているし、小さな図鑑を持ち歩いてもいた。昼食で食べたキノコなら、似ている毒キノコもないし、食用として料理の中にもよく見かける種類のものだ。

「それも食べられるよ」

 タウが匂いを嗅ぎ、黒っぽいキノコを示す。

 疑うわけじゃないけれど念のために図鑑をめくってみると、飲食店ではそれなりに値が張る高級キノコだ。

 ――今まで気がつかなかったな。覚えておこう。

「これはシャナンナさんも喜ぶかな」

 三本しか見つけられなかったけれど、料理に混ぜるくらいなら充分か。昼食で見たキノコも五本は充分な大きさのを収穫できた。

 時季が合ったのか。さらに、親指の先くらいの大きさの赤い木の実がいくつも落ち葉の上に落ちているのを見つける。わたしが昨日購入した木の実の詰め合わせにも入っている種類のものだ。拾いきれないくらいに沢山あったので、自分用にもいただく。

「自然は食料の宝庫だね」

 アインもコートのポケットをパンパンに膨らませていた。これでしばらくはお腹を空かせることもなさそうだ。

「もう、ここで暮らせばいいんじゃないの」

「それも……いや、わたしは旅暮らしが好きだからね。危ない危ない」

 うっかり、つかなくていい嘘をつきそうになったらしい。

 木の実拾いに夢中になっているうちに、思ったり時間が経っていたようだ。陽はだいぶ傾き、夕日が空を染めつつある。川にはシャナンナさんの手による罠が仕掛けてあって時折、川魚がかかるらしいが、これ以上食材を手にしたところで持てないし、草の罠を覗いてから帰ることにする。

「あぁ、空振りか」

 草むらにそっと近づくが、なんの物音もせず、覗いても残念ながら草を編んだ罠は離れたときのまま。

「まあ、そう簡単にはかからないでしょう。ボタン鍋には興味があったけれどね」

 思い返せば、わたしはイノシシ肉というのは食べたことがない。

「じゃあ、明日、帰りにもう一度見てみることにしようか」

 二種類のキノコがいくらかと木の実がたくさん。これでも、それなりに夕食の助けになるだろう。

 洞窟に戻ると、シャナンナさんは食材を見て喜んでくれた。

「このキノコも食用でしたか、気づきませんでしたの。この木の実はこれだけあればソースが作れますの。サラダやデザートに使っても美味しいし、本当にありがとうございます」

「いえいえ、食事も世話になりっぱなしだし」

 夕食は持ってきたパンを食べるのでそれほど量はいらないですよ、とついでに伝えておく。

 部屋に戻ると、窓からの日光で室内は夕日色に染まっていた。

「なかなか趣のある構造だよね、この部屋も」

 ベッドに腰を下ろしながらアインが言う。

「朝日と同時に目覚められるわね」

 ここの窓にカーテンというものはない。実際には角度の関係で、日が昇ると同時にまぶしいほどの日光が降り注ぐわけではないけれども。

 間もなく、シャナンナさんが夕食を運んできた。

「少し早いですけれど、夜になるとお姉さまが帰ってきてしまいますの。だから、先に出しておきます」

 姉が帰ってくるのを迎えるのにも、何かしらの準備がいるらしい。

 夕食は木苺のジャムに木の実とキノコのスープ、鳥の燻製と山菜のサラダだ。サラダのソースにはスープにも入っているあの木の実も使われている。個人的にはジャムがあるのがありがたい。安い単純なパンは、まあこれだけでも小麦の味はするのだけれど、もう何度もパンの素の味を味わっている身からすれば味に変化をつけられるものが欲しいのだ。

 スープにはあの木の実だけでなく、薄くスライスされたあの高級キノコも使われていた。スプーンですくって嗅いでみると独特の甘い果物のそれに似た良い香りがする。口に入れて噛みしめると、肉厚で、まるで肉の薄切りでも食べているような食感。品のある酸味を感じるのは、事前にそれが高級品だと知っているからか。

 鳥の燻製もおそらく自家製。塩気と肉の脂、山菜のシャキシャキ感、そしてソースの甘みと酸味がよく馴染んでいる。

 シャナンナさんはすでに、燭台に火を灯してから去っていた。今頃、姉を迎える準備でもしているのだろうか。

 夕食をとっているうちに、窓から見える外はだいぶ暗くなっていた。部屋はロウソクの火のおかげて明るいが。

「そろそろ日が暮れるね」

 タウが見上げながら言う。

 シャナンナさんの姉、セラスさんが帰ってくるのは夜。陽が落ちた頃、彼女は住処であるこの洞窟に戻ってくるということだろう。

 果たして、〈世にも美しい宝〉とは何か。

 あの屋敷の主人の父親が見られたのだから、公開されているものなのだろうか。でも、森のどこかにある、とかなら姉妹も心当たりくらいあるはずだし。何かの拍子に覗き見ることができた、と考えた方が良さそうか。

 そうでなければ、宝を持ち帰ることができる可能性もあるし。それとも、持ち帰れないほど大きなものだったのか?

 ――どうにしろ、見つけたところで金にはならなそうな宝だろうということは薄々感じてはいる。

「ご馳走さまでした」

 空になった食器を前に手を合わせる。洗い物はトレイごと出入り口近くの机の上の籠に入れておくよう言われている。

 お腹もいっぱいで少し眠くなってきたけれど、夜になれば帰ってくるというセラスさんに話を聞かなくては。あくびをして体を伸ばし、眠気を少しでも追いやる。

 天井の窓を見上げたところ、すっかり夕日色も消え失せて濃紺に染まりつつある。まだ少し、その色は薄いが。

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