7、魔術師と世にも美しき宝(前編)

 時間は、昼食時より少し早いくらい。食堂が繁盛しているのを眺めながら、わたしたちは大きな木の根もとで、森の中の屋敷でもらったサンドイッチを食べていた。

 賞金をもらったのだから昼食はお金をかけて、なんてやっていたらあっと言う間になくなってしまう。わたしは最近できた同行者ほど苦労はしていないけれど、決して贅沢できる経済状態ではない。

「そういえば、アインはあの赤マントの魔術師が恐ろしいものの幻覚を見せる魔法を使っている最中、何が見えたの?」

 ハムの薄切りと野菜のサンドイッチをかじっているとき、ふとそんなことが気になって同行者を見る。この少年魔術師が恐れるものといったら何なんだろう、と。

「いや、わたしはなにも。わたしにはああいう魔法は通じないよ。鈍いからかもね。タウも精霊だから通じないし」

「精霊は精神生命体だし、あの程度なら平気だよ」

 コートの襟もとから黒猫の姿の精霊が顔を出し、時折こぼれてくるハムの切れ端などを摘まんでいた。

「それをきくなら、レシュは何を見たんだね」

「ええ。隠すようなものでもないわ」

 わたしはあのとき見たものを説明した。燃え盛る我が家、立ち込める煙に紅蓮の炎。

「へえ、炎使いなのに炎なの?」

「それは炎使いになる前だったし、そのときは怖かったの。でも、今となってはそれほど悪い思い出じゃないんだけどね」

 そう、そのときの体験こそ、わたしが炎を操る魔術師になるきっかけだった。

 燃え上がる我が家を見上げた幼い日のわたしは、そのすぐ後、崩れてきた壁の下敷きになりかける。もう少しで圧し潰されそうなわたしを守ったのは、柱の切れ端のような小さな木片だ。不思議と、つっかえ棒のように立ったその木片から手前側には火も回ってこなかった。

 『この木には守り神でもついているに違いない』――大人たちは口々に言い、それをお守りとしてわたしに持たせた。そしてついには、お守りは魔霊具になったのである。

 見た目は、半ば黒く炭化した、大人の手のひらに収まりそうなくらいの大きさの木の柱の切れ端。それがわたしの魔力の根源。

「なるほど。たくさんの大人たちの感謝や信仰心がお守りに魔力を呼び込んだというところかな」

 サンドイッチを食べ終え、アインは指先をペロリと舐めた。彼はそんな仕草すら他人が見とれるほどに綺麗な顔をしている。たまに、本当にわたしが一緒に旅をしていていいのか迷うくらいに。

「でもいいの? そんなこと、赤の他人であるわたしに話して」

 周りの視線など、彼はどこ吹く風だ。

「一緒に行動している以上、魔霊具が何か、どこに持っているかなんて、当たりがつくでしょう。それにあなたの魔法なら、その気になれば魔霊具なんて簡単に奪えるんじゃないかしら」

 彼はその気にはならなそうだ、とわたしは踏んでいる。その気になりそうな人物だと思えば、当然、とうに彼から距離をとっていた。

「そんなことはしないけれどね。する意味もないし……他人の魔霊具を奪っても、その人の魔法が使えるようになるわけでもないし」

 そう、単に魔霊具を奪われた側が困るだけで、奪った側が得をするわけでもなし。

「それに、レシュの炎の魔法は便利だよね」

「でっかい牛肉が落ちていたときとか?」

 タウが茶々を入れ、アインが思い出したようにがっくりと肩を落とす。

 食肉にできるかもしれない牛を岩の下敷きにしてしまったあれはもう、彼にとってはかなりの不覚として記憶に深く刻み付けられているらしい。

「あれはもったいなかった……とにかく、魔術師はたくさんいた方が取れる手段が増えて助かるね」

 魔法は基本的に、魔術師ひとり人につきひとつ。なので当然だ。

 わたしにとっては、火種を持っているアインは便利。正確にはアインの持つマッチが便利なんだけれど。

「お宝探しに役立つならいいけれどね」

 昼食を終えると、例のお宝の情報収集に向かう。

 この町は煉瓦の壁に囲まれているけれど要所の公共施設以外の建物は、ほとんど木造で、屋根は植物性のなめし革を張り付けた、この大陸で良くあるものだ。光沢のある茶色の三角屋根が並ぶ。

 その中で屋根に大きな看板を張り付けた建物に向かう。人々が集まっている食堂などは食事するには混み過ぎではあるけれど、話を聞くにはいい。みんな待ち時間が退屈だからか、口が軽くなる。

 しかし、地元の誰に尋ねても山に宝があるという話など聞いたことがないという。ただ、この町の北の山の中腹には昔から有名な魔術師の姉妹が住んでいるということだ。

「もしかしたら、宝っていうのは聖剣のことかもしれないな」

「聖剣?」

 地元の炭鉱夫だという黒髭の男が発したことばに、すかさずアインが食いつく。

 相手は少し驚いた様子だが、綺麗な少女にも見える少年に見つめられて少し恥ずかしそうに答えた。

「ああ、何十年前だったかな……姉妹が聖剣を盗み出したとかいう噂が立ったことがあったな。それが本当で、聖剣がまだあそこに隠されているならそれは宝と言えるんじゃないかな」

「なるほど」

 礼を言い、一旦食堂を出る。

 確かに聖剣は宝とは言えるだろうが、それは果たして、〈世にも美しい宝〉とまで言えるものなのだろうか?

 聖剣そのものの正体については、思い当たる記憶があった。

 昔どこかで本を読んだ中に書いてあった、聖剣強奪事件。ここのとなりの大国の神殿に保管されていた聖剣が何者かに盗まれ、以来、行方不明になっていたはず。

「世にも美しい聖剣、なんてものの噂は聞いたことがないな」

 アインも、わたしと同じような疑問を抱いたらしい。

「あの屋敷の主人の父親は、美的感覚が他人とは少しだけずれていた、なんて可能性もあるよ」

 タウがそんな可能性を提示するが、隠し部屋で見た骨董品などはべつに趣味が他人とずれているようには見えなかったような。

「とりあえず、山道の地図でもあると心強いな。図書館でも探そう」

 大概の町や村同様、図書館は本の貸し出しはともかく、閲覧だけなら旅人などにも開放されている。

 図書館の場所を人に尋ね、町の中心街に向かう。ここは炭鉱夫が多いが、商人や旅装束の者、地元の者ではないとわかる姿とも多くすれ違う。旅の拠点にもなるような街のひとつだ。

 古そうな木造の図書館に入ると、そこで山道の地図を見つけて書き写す。わたしはついでに、必要そうな近隣の詳細な地図も写しておいた。もっと大雑把な一枚絵の地図は持っているのだけれど、これには細かい部分は載っていない。

「地図によると、とりあえず目的の山の中腹までは普通に歩いて行けるみたいだね」

 図書館の読書用の机の向かいの席で、アインが地図を広げて眺める。

 彼の言うように、幸い、特殊な道具で崖を登る必要もなければ、張られた命綱を使って危険な崖の細道を歩く必要も、吊り橋を渡る必要もないような、単純で一本道な山道のようだ。

「ただ、細い獣道で道が消えていることもあり、さらには半日近くかかるとあるわ。明日にした方がよさそうね」

「うん、夜の山道というのは避けたい」

 山について書かれた本を読むと、獣が出ることもあるようだし。野犬だって不意を突かれれば脅威になり得るけれど、あの山では熊の目撃情報もあるらしい。

「というわけで、安い宿を探そう」

 街の外に出てわざわざ野宿もしたくはないけれど、出来る限りお金は使いたくない。というせめぎ合いの妥協点が安い宿である。

 ――もちろん、どんなに安くても野宿よりはマシであってほしい。

 図書館の職員にも話を聞いて、町の南東部へと向かう。古い住宅地が多く、あまり治安のよくない地域だ。道を歩いていても、旅行者の姿はほとんど見かけない。

 妙に静かなのが不気味。と思っていると……。

「あれは人?」

 道端に誰かがうずくまっている。近づくと、白髪の老人のようだ。

「気をつけた方がいいよ。治安の悪い場所では、色々と物騒なことが多いからね」

 顔を出さないまま、タウがそう警告する。

 そう、精霊の言うとおり。あれも何かの犯罪の罠かもしれない。ああやって獲物をおびき寄せ、牙にかける犯罪者もいるのだ。

 何が来てもいいように心がまえをしながら、慎重に歩み寄る。どうやら老人は腹を押さえながら背中を丸め、うずくまっているらしい。

「お爺さん、お腹が痛いの?」

 相手から目をそらさないまま、アインが声をかける。

 老人が顔を上げた。老人のふりをした何者かなどではなくて、ちゃんと普通の老人のようだ。

「いや、腰の調子がちょっと……昔からの持病でね、ちょっと歩くともうこれだから。この先の診療所で見てもらおうと思ったんだけどね」

 言われて道の先を見ると、民家の合間に青いペンキを塗った看板を吊るした建物が見えた。あれが診療所だろうか。

「手を貸しますよ」

 特に怪しいところはなさそうだし、アインがお爺さんに肩を貸して、わたしも反対側から支える。

「いや、すまないね。この歳にもなると医者に診てもらいに行くのも一苦労だよ。昔はそんなことはなかったんだけども」

「まあ、人間は誰でも年を取るものですよ」

 若かった頃はこれくらいの道、平然と歩いて行けたものだ――という意味だと思ったのは、わたしの思い違いだった。

「いや、そうではなくてね。昔は患者のもとに来てくれるお医者さんがいたんだよ。綺麗な女の人で、多少の傷なら道具も使わずたちどころに治してしまうんだ」

 お爺さんはなんとも気になることを言う。

「たちどころに?」

 そこを、アインも聞き咎めた。彼が口に出さなければ、わたしが聞き返していたところだ。どんな優れた医者、最新の医療設備があったって、普通の医者に道具もなく傷をたちどころに治すなどできないはず。

 老人は嬉しそうな笑顔でうなずく。

「ああ、わしが肘に大きな切り傷を作ったときも、彼女が傷に手をかざすして回すと、十も数えないうちに痛みも傷も消えたよ。懐かしいな、もうあの女医さんは十年以上も見ていないな」

 それは、どう考えても魔法の力だ。魔術師というと、山に住むという魔術師の姉妹が思い浮かぶ。

 しかし、老人はそれ以上のことは知らないようだ。診療所の待合室まで送り届けて別れる。診療所も新しく、老人以上にこの町に長く住んでいそうな姿もなかった。

「もう少し、魔術師の姉妹に詳しい人がいないかな」

「うーん、昔からここに住んでいる人がいいけどね……歴史に詳しい人間がいるならその人でもいいけど」

 アインの襟もとからタウが顔を出し、頭をひねったあと、

「そうだ、古いお店や宿の人なら何か知ってるんじゃないかな」

 と提案する。

 この辺りにあるのは古そうな宿だけだ。とりあえず一番古そうな、悪く言えば一番ボロボロの宿の人に尋ねてみるが、この宿が古いのは建物だけで、宿を始めたのは数年前だという。

「この町で一番古い店なら、わたしが知ってる限りでは中央通りの食品店だね。木の実や駄菓子、保存食などを売っているお店だよ」

 保存食にも興味を引かれる。旅をしていると、お金があっても食事にありつけないということもある。少しはいざというときの備えも持っておきたいところ。

 中央通りへは引き返すことになるけれども仕方がない。情報は足で稼ぐ、と過去の偉人も言っている。

 教えてもらった店へ行くと、通りに面した棚に様々な種類の木の実が袋入りで並んでいた。それに干した魚や鳥の燻製なども軒先に吊るされ、店内にはハチミツを固めた物や野菜の瓶詰なども売っている。

 それぞれが独特の匂いを放ち、それが混じり合った上で漂っていて、何とも言えない香りを作り出していた。壁の一面が開放されている分、和らいではいるけれど。

 話を聞く前に、わたしは小さな麻袋に入った木の実の詰め合わせと、固めたハチミツの中にナッツを閉じ込めたお菓子を四つ買った。どちらも安売りしていたからだ。

「それはあまり長くもたないから、早めに食べてくださいね。木の実はせいぜい一ヶ月くらいかしら」

 一ヶ月もあれば十分な気がするけれど、保存食としては短いのか。

 代金を払って店主のお婆さんに話をきくと、確かに姉妹のどちらかは医者だったし、どちらも昔はたびたびこの町に下りてきていたという。それが、聖剣強奪事件で姉の方が亡くなった、と噂に聞いたころからぱったり姿を現わさなくなっていた。

「姉が医者で、亡くなったから下りてこなくなったのかな」

「妹の方も? 生きているなら、買い物にくらい来てもよさそうなものよね。こちらとは別のふもとに町でもできたのかしら」

 と言っておいてなんだけれど、そんな町があるという話は聞いていないし地図にも載っていない。

 情報をまとめるのは後にして、すぐに店を離れ、宿探し。と言っても、わたしもアインも情報をくれたあのボロボロの宿へ泊るつもりになっていた。宿の外見のわりに、宿の主人はしっかりしていたし。

 その宿はまだ改装中らしく、外よりは中は綺麗だった。宿代もお安いし、なかなか求める理想に合った宿だ。

「いや……よかったの、一部屋で?」

 わたしはアインと宿代を折半して、買い物した分のお金を浮かせることができた。

「昨日も一緒だったのに今更ね。それに、二人で野宿するのとなんの違いがあるの?」

「それもそうか」

 アインのもとを離れ、ソファーのクッションの上を占領したタウが納得の声を上げる。

 アインは同行者に悪さをするような人間ではない、とはすでに確認したこと。そして、わたしは身を守るすべは持っている。宿の部屋にもロウソクの一本や二本は夜通し燃えている。

 アインはというと、ここへ戻る途中に買ったパンの包みを広げていた。ここは食事付きではないので、夕食は自分で用意しなければいけない。

 わたしは露店のひとつで売られていた、チーズとハムのクレープを購入していた。安いおやつのようなものだが、これでも木の実を少し加えれば、空腹感を感じない程度にお腹は膨れる。もともと、夕食をしっかり食べる派でもないし。

「いただきます」

 アインのパンは昼間に食べたサンドイッチに近い、野菜と卵を炒めたものを挟んだ一番単純なパンだ。

「今から考えるのもなんだけれど、朝食はどうしようね」

 パンを一口かじって笑顔で噛みしめてから、彼は次の食事を心配する。頭の中の大部分が食で占められてそうだが、こういう生活をしていると一番の楽しみが食事になりがちなのも確か。

 それに、確かにわたしも朝食も自分たちで調達しないとならないのを失念していた。

「そうね……山に出発する直前だし、ちょっとくらいお金をかけてでもしっかり食べておきたいところね」

「じゃあ、どこか安い食堂を探そう」

 経験上、大抵の旅人がお金を使う行為には、〈安い〉という枕詞が必ず付くものである。

 窓の外もすっかり夜色になると、わたしたちは夕食を食べ終えて早めに寝た。部屋は天井や壁には古さがにじみ出ているが、ベッドや毛布といった寝具は新しく、気持ちよく眠ることができた。

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