3、魔術師と森の人形屋敷(後編)

 一体、なんのためにこの人形を作らせたのか。

 思い出すのは、商人が話していたあのウワサ。気に入った旅人を人形にする――とはいえ、目の前に並ぶ人形はどれも旅装には見えない。幼い少女もいることだし。馬車でも使うんじゃないだろうか。

 それに、『気に入った』旅人、と言うには好みがバラバラ過ぎないか。

「うーん、材質は樹脂かなにかかな。少なくとも人間の匂いはしない」

 人形の匂いを嗅いだタウがそう断定する。

 やはり、ウワサはウワサ。

「ここを見つけられてしまいましたか」

 死角から突然の男の声。執事のものではない。

 この部屋はどこか別のところからもつながっていたのだろうか。息を殺しじっと見守る角の向こう、身なりのいい初老の男が姿を現わす。その正体はおそらく――。

「あなたは……この屋敷のご主人さま?」

 と、商人。

 悪戯を咎められた子どものような居心地の悪さを感じる。そりゃあ、あれだけ親切にしてくれた相手の屋敷の隠し通路を暴き、中までこうして侵入しているのだから。追い出されても文句は言えない。

 しかし、相手は穏やかな笑みを浮かべたまま。

「ええ。いやあ、あの部屋にご案内することになった時点でこうなる可能性は考えておりましたが、本当に見つけてしまうとは……さすが魔術師さまがたですな」

「ボクらが盗賊じゃなくてよかったね。ここであなたを殺して金目の物を持ち出していたかもしれないよ」

 タウの物騒なことばに、屋敷の主人は肩をすくめた。

「いやまったくです。しかし、ここには見た目は派手でも大した値のつかない物の方が多いですけれど……ほとんどは、父があちこちから気に入った物を買って来た物なのですがね」

 彼が手を広げる先にあるのは、品のある骨董品や置物など。

「この人形たちはどうなんです? ずいぶん精巧に作られているようですけれど」

 材質は樹脂でも、見かけはまるで生きている人間そのもののようにすら見えるほどだ。その正体が知りたくてわたしは問うた。

 すると主人は息を吐きながらうなずく。

「ああ……確かにお金はかかっていますが、その像に作るための値段以上の価値を見出す者はわたしくらいでしょうね」

 作るための値段以上の価値、ということは、やはり出来合いの像を購入したとかではなく、職人に注文して作らせたものか。

「わたしは一度病気をしてから物忘れが激しくなりまして、恥ずかしながら、家族の顔すら少し離れていれば忘れてしまうありさまです……亡くなった妻に、少し遠くへ嫁に行ったジェーンと行方不明のグラン、幼くして亡くなった末娘のメリアです」

「なるほど……ご家族でしたか」

 商人が納得の声を上げる。言われてみれば若い像、特に青年の像は屋敷の主人に似ていなくはない。

 旅人が人形にされるという噂話は完全にガセネタだったようだ。人形が運び込まれるのを目にした者か、あるいはわたしたちと同じようにこの部屋に辿り着いた者が、何か勘違いでも起こしたのが原因かもしれない。

「娘とはときどき会いますので、人形の頃より年を経ても忘れませんがね。息子は十年も前にこんな森の中で暮らすのは嫌だと出て行って以来、便りもなくどこで何をしているのかもわかりません」

 皴の多い手が、青年の人形の滑らかな頬を撫でた。

「だいぶ人相もこの頃とは変わっているでしょうな。もし町ですれ違ったとしても、わたしは気づくことはないでしょう。寂しいものです」

 家族の顔を忘れてしまうとは、確かに寂しいことかもしれない。わたしは故郷の家族のもとへは数年帰っていないけれど、全員の顔を覚えている。

 どこか物寂しい空気の中、アインが口を開く。

「実は……わたし、息子さんから手紙を預かってきたんです。息子さんは最近新しい家族もできて、近いうちにお子さんを連れてこちらにも顔を出したいとか」

 唐突だ、とわたしは思う。しかし彼は確かに、コートのポケットから白い封筒入りの手紙を取り出した。

 でも、それもおかしくはないだろうか? 確か彼のコートのポケットには何も入っておらず、その何も入っていないポケットを出して見せて以来、手紙を入れるような素振りもなかったはずなのだけれど。

 でも、彼から手紙を受け取った屋敷の主人は目を見開いて喜ぶ。

「おお、確かにあの子の字だ! 顔は忘れても、昔この屋敷にいた頃あの子がくれた手紙の字は決して忘れはしません。何度も何度も読み返しているのですから……」

 彼の目から、一筋の光が流れ落ちる。

 それを見たら、わたしは違和感を覚えたことについて何も言えなくなってしまった。


 ベッドにも遜色ないふかふかのソファーで眠り、朝食までしっかりごちそうになった上、簡単なサンドイッチとはいえ弁当まで渡されたわたしたちは、昨日が嘘のようにすっかり晴れ渡った青空の下で玄関の外へ出た。旅立ちには申し分ない朝だ。

 出発前に、執事やメイド、それに屋敷の主人までが見送りに出てくる。

「すっかりお世話になりまして」

「ご飯はおいしいし、寝床は柔らかくて暖かかったし」

「贅沢な雨宿りになりましたよ」

 わたしたちが口々に礼を言うと、屋敷の主人は笑顔で首を振る。

「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。手紙のお渡し、本当にありがとうございました」

 雨宿り、ということばでわたしはアインと会ったときのことを思い出す。

 彼がこの屋敷に来たのは雨宿りのためにたまたまのはずで、手紙を届けるためじゃない。その話が本当ならもっと早くに手紙について話しているはずだし。やはり、彼は嘘をついている。

「大したお礼にもなりませんが……昔、父が若いころに東の山の中腹で世にも美しいお宝を見た、と言っておりました。何かのお役に立つ情報ならいいのですが」

「へえ、おもしろそうだね」

 目を輝かせたのはタウだ。

 〈世にも美しい〉と言われると、確かに一目見てみたくはなる。

「宝探しは、わたしには少し厳しいですね」

 と、商人は少し及び腰だ。行商人には危険を冒し、自分で発見した何かを売るような者もいるが、この商人はそういう系統の人間ではなさそうだ。

 わたしはというと、アインが行くなら、と決めていた。

「そうだね。宝と聞くと、心惹かれるものがあるね」

 少年は精霊に同意する。

「道中、お気をつけて」

 手を振る屋敷の皆に見送られて、わたしたちは屋敷に別れを告げた。

 青空の下の森は、闇の中とは違う表情を見せる。涼しいそよ風が時折抜ける木々の間に、鳥たちの耳に心地よいさえずりが響いていた。実に朝らしい風景。

 土肌の道はまだ水分を含みドロドロだが、ブーツは後で拭けばいい。打ち付ける雨と強風がないだけで、旅はどんなに快適になることか。

 一本道なので迷うはずもなく、出口は拍子抜けするほどすぐに訪れた。

「地平線が見えると開放感があるね」

 遠くの山並み、道が地平線まで続く平原。木々に遮られない視界を手に入れてアインは息を吐いた。

 道はただ真っ直ぐ続いているだけではない。森の入り口で北と東に分かれている。山並みに向かうのは東、平原を行くのが北だ。

「わたしはここまでですね。北の方の町に届け物の依頼もありますので」

 商人は北の空に目を向ける。

「そうなんだ。また、どこかで」

「ええ、そのときはもっといい商品を取りそろえておきますよ」

 商人は手を振り、荷物を担ぎ直して歩き出す。

 わたしはアインと二人きりになった――いや、正確にはタウを入れて二人と一匹だけれども。

「わたし、しばらくあなたについていくわ」

 もう何年も旅をしているけれど、今まで、自分から誰かの旅に同行したいと思ったことも、それを申し込んだことももちろんない。気楽な一人旅こそが最上、ひとり誰にも気兼ねなく過ごせるのも旅に出た大きな目的そのものだから。

 それでもなお、わたしは彼に興味を引かれていた。正確には、彼の使う魔法にかもしれないけれども。

 単刀直入に言うと、アインは少し目を丸くした。

「それまたなんで……? マッチが欲しいから?」

「それもあるけれど、あなたの魔法に興味があってね。あの手紙はどこから来たのか。それに、雨宿りだったはずが手紙を届けるために変わったのもおかしな話ね」

 そう指摘すると彼は悪さがばれた子どものように頭を掻く。その代わりのようにタウが口を開いた。

「なかなかちゃんと見ているね。まあ、いいんじゃない、一緒に来れば。見ていればそのうち気がつくだろうよ。アインの魔法がなんなのか」

「そうだね……別に異論はないよ、ついてくるのには」

 と、笑顔でアインは言い、

「ただしお金はないから、自分の食事は自分で用意してね」

 と続けた。

 サンドイッチをとても大事そうに懐にしまい込んだのも見ていたけれど、本当に食に関しては苦労してるんだな。

 わたしは笑いを押し殺しながらうなずく。

「それで大丈夫よ」

「よろしく――レシュ」

 ずっと一人旅を続けていたわたしのつけている旅日記の中に、初めて同行者が現われる。

 こうして、わたしとアインとタウの旅が始まった。

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