4、魔術師と暴れ牛(前編)

 屋敷のある森を出て分かれ道を東に向かい、しばらく歩く先に大きな町があった。山のふもとにある町だ。

 その入り口の門の前にて。



〈暴れ牛を退治してくれた方に賞金二〇〇タブラ差し上げます。

 西の坑道七番にて、暴れ牛が居ついてしまい仕事にならず困っています。

 腕に覚えのある方は力をお貸しください。

                              鉱山管理組合〉



 そんな張り紙がされていた。二〇〇タブラというのは、しばらく食べていくのに充分な額だ。

「宝探しにも軍資金が必要だね、うん。先を越されないように急ごう」

 張り紙に釘付けになっていた黒づくめの少年魔術師――アインは早口でそう言うと、つい今入ったばかりの煉瓦の門を出る。

「暴れ牛って言うから得体の知れない怪物ではないんだろうけれど、大丈夫なの?」

 魔法は魔霊具の性質によってさまざまな種類があり、荒事に向いている魔法があれば、当然向いていない魔法もある。

 わたしの炎の魔法は荒事、特に動物の相手は苦手ではない。

 でも心配事はそれだけではなかった。いつあの張り紙がされたかは不明だけれども、もうとっくに退治に向かっている者がいてもおかしくないのではないだろうか。多少の危険を冒すことになったとしても、二〇〇タブラはそれくらい魅力的である。

「大丈夫、大丈夫。ほら、あそこだ」

 ここは町自体が北半分を山に囲まれているようなもので、鉱山も東西に存在するらしい。切り崩された白っぽい灰色の岩肌を目指していけば、目的の坑道もすぐそこだ。

 岩肌がむき出しの崖に四角い出入り口が並んでいた。出入り口の上の岩には一から九までの番号が彫り込まれている。

 その七番の入り口の奥に、赤いマントにフードの背中が消えていくところだった。別の挑戦者か?

「急ごう」

 先を越されてはそれまで。アインの胸もとに顔を出した精霊に促されて、小走りで消えていった後ろ姿を追う。

 洞窟に踏み込むと、中は目が慣れるまでは薄暗く感じるが、慣れると奥にも光源があるのがわかる。

 外に比べて空気はだいぶ冷ややかで緊張感を煽る。一人旅を始めて間もないころのわたしなら動きが固くなっていそうな雰囲気だが、もうだいぶこういった空気には慣れた。

 壁や天井同様、地面も平らに整えられている通路を少し歩くと、壁に掛けられた燭台の上でロウソクが燃えていた。

 奥からはかすかに物音が聞こえてくる。

「奥で誰かが戦っているのかな」

 となりでアインが耳を澄ます。

 わたしはその邪魔をしないよう、音を立てずにそっと松明を取り出してロウソクの火を分けてもらった。火種があればわたしは百人力だ。この先に何がいようと対処できる自信があった。

 さらに奥へと進むと、複数の人間の声や獣の唸り声、衝突音のようなものが耳に届く。

「一旦退こう、ここは狭過ぎる」

「まずい、気づかれたぞ」

 続く、ドシンという振動。パラパラと天井から土埃や小石が落ちる。

 もちろん怪我はしたくない。わたしたちは慎重に音のもとへと歩み寄る。何かがいるなら気づかれないように。

 進むと、不意に視界が開けた。どうやらそこは十字路になっているようでほかよりは広い。

 開けた視界の中心に鎮座するのは、大きな角を生やし鼻息も荒く時折唸りを上げる、黒い牛。牛、と聞いて想像していた大きさよりも一回りくらいは大きい。

 その目が剣呑な光をたたえてこちらを向く。

「危ない、突進するぞ!」

 誰かが警告する。凛とした、たぶん女性の声?

 わたしはそれを聞くより先に魔法に集中していた。

 松明の火からオレンジ色の炎が宙に吹き付け、見えない壁の表面を広がるように上下左右に向かう。動物は火を恐れるものが多いが、たとえその常識の外にいるものだとしても、炎の壁には尻込みするだろう。

 案の定、突進のかまえを見せていた牛も動きを止める。

「いい足止めだ」

 角から姿を現わしたのは、長い金髪を束ね革の鎧と白いマントをまとった長身の女性。幅広の両刃の直刀を軽々と抜き放ち、牛の右後ろ脚に突き立てる。さらに、どこかから伸びてきた鞭がもう一方の後ろ足に絡みついた。

「ああ、気をつけて」

 後ろからアインが注意するなり、牛は大きく後ろ脚を蹴り上げる。その勢いで鞭の使い手は引きずられ、思わず手を放してしまう。

「いてぇ……」

 引きずられて現われたのはアインと同じくらいの年頃と見える栗色の髪の少年で、起き上がって地面に手をついた態勢の彼を、牛が獲物を見つけたように振り返る。そこを女剣士が引っ張り遠ざけた。

 どうやらこの二人はたまたまここで出会ったのではなく、もともと知り合いのようだ。

「手負いの獣は凶暴化することが多いから……」

 アインの言うとおり、暴れ牛はさらに名前の通り暴れ回り、所かまわず蹴り上げる。たまにそれが壁に当たると壁にひび割れを作り石を撒き散らす。これを繰り返していると、そのうち坑道が崩れるんじゃなかろうか。

 少し心配になりながらも距離をとる。向こうの二人もあちらの角の方に身をひそめた。

「攻撃もほとんど効いてないね。あんた、火の魔法が使えるんだろう? それであいつを燃やせないか?」

 角の向こうから女剣士が声を張り上げる。

 それに対し、わたしも角から顔を出さないまま、こちらから声を上げて答えた。

「できないことはないけど、一気にあんな大きなものを燃やすと空気が足りなくなったり、何か問題が起きるかもしれないわ。さすがに、この坑道で可燃性のガスが漂ってたりはしないでしょうけれど」

 そう、いつでもどこでも炎が効果的なわけではない。わたしは炎を操ることはできるけれど、炎自体は魔法の炎でもなんでもなく、その辺のロウソクや松明で燃えている炎となんら変わりないものだ。

 だから、燃やすならどこからどう燃やすかなどを考えなければ。

「大丈夫」

 言いかけたわたしの後ろで、今まで事態を見守っていたアインが緊張感なくそう言った。

「岩が落ちてきて、牛を圧し潰すよ」

 いつもの綺麗な涼しい顔で言ってのける。

 これまた、なんの根拠もないことを自信満々で言い切るけれど、そんな都合のいいこと、簡単に実現したりは――

 ドスン。

 後ろに気を取られちょっと目を離した隙に、大きな岩が天井から落ちてきて牛を圧し潰した。岩の下から覗いているのは大きな角と尻尾くらいだ。どうやら即死だったらしく、ピクリとも動かない。

 これはもしや。

「今の……キミの魔法か?」

 拾い直してあった鞭を握りしめたまま、唖然とした少年が切れ長の碧眼をアインに向けている。

 今のは確かに、偶然とは思えなかった。そう、彼があの屋敷で手紙を取り出したときと同様に、そんなはずはないのにまるで最初からそう仕組まれていたかのようだ。

 周りからの視線にアインは肩をすくめた。

「そう……それはわたしの魔法だよ。ついた嘘が現実になるという、そんな魔法」

 なるほど……。

 それなら、あの屋敷で起こったことも納得はいく。やはりアインは手紙を届けるために屋敷に向かっていたのではなく、ただ雨宿りをするためだけにあの屋敷を訪れたのだ。少なくとも、屋敷に着いた時点では。

 それが、彼が手紙を取り出したとき――嘘をついたときに、それまでの事実は書き換えられた。存在しないはずのものが存在することになり、人の運命さえ変えてしまう。なんとも強力な魔法だ。

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