5、魔術師と暴れ牛(中編)
「へえ……凄いね。どんな現象でも起こせるんだろう? もしここに辿り着いていたときにオレやティフェが死にかけていたら、どういう嘘をついたんだ?」
好奇心からか、少年はそんなことをきく。
「さすがに人命とお金なら人命を選ぶよ。死にかけているなら、偶然治療の魔法の使い手が通りかかって治してくれるとか、いくらでも嘘のつきようはある」
ただ、すでに死んでいる相手を生き返らせるというような、死者の復活の嘘をついたことはないけれど、と付け加える。どうなるのか少し興味があったけれど、残念。
「目の前でしっかり死を確認しちゃった後だと難しいんじゃないかな。嘘のつき方が思いつかない」
「確かにねえ」
わたしと鞭使いの少年が納得する一方、女剣士の方は別のことが気になっているようだ。
「今の『お金より人命を選ぶ』が嘘の場合、人命が危険なら賞金を手放すように自分の性格まで書き換えられたことになるわけか……」
からかうようなそのことばに一瞬キョトンとしたあと、アインは少し心外そうに頬を膨らませ首を振った。
「それは嘘じゃないし、それに嘘が実現するのは一日に一回だけなんだよ。とにかく、今は誰の人命も危険にはさらされていないし、賞金はちゃんと山分けだからね!」
四人で分けたとしても五〇タブラ。一ヶ月くらいは食べていける金額だ。食べるだけならの話で、出費はほかにも色々あるけれど。
こういうときにどう依頼完了を知らせるかだけれど、退治した相手の身体の一部を持っていく。ティフェ、という名前らしい女剣士が剣で角の根元から切り落した。角に番号が彫られているのを見つけ、これなら十分な証明になるだろうと踏んだ。
それにしても、番号があるということはもともとは飼牛だったんだな。どこかの牧場からでも逃げ出したのだろうか。しっかり管理してほしいものである。
「どうせ嘘をつくなら、『炎を見て興奮した末に心臓麻痺で死んだ』ことにでもすれば、美味しい焼肉が食べられたかもしれないのに」
アインのコートの袖から黒猫の姿をした精霊タウが顔を出してぽつりと言うと、驚く女剣士と鞭使いの少年をよそに、アインは凍りついたように動きを止めた。
なるほど……それは思いつかなかったな。
「ああ……そうだった。この岩、どけられないよね」
「さすがに無理だろうな」
「きっとすぐに岩が崩れて、美味しいお肉が姿を見せるはず」
「嘘は一日に一回だけだって、自分でさっき言ったろ」
言われるまでもなく理性ではわかっているのだろうけれど、岩を押してみるという無駄な努力を始めるアイン。しかし大きな牛を圧し潰すほどの岩なんて、魔法でもなければビクともしないのだ。
それにこうもペシャンコだと、肉も圧縮されて固くておいしくない状態になっているんじゃないだろうか。
「あきらめてもう行くよ。もらった賞金で焼き肉を食べればいいさ」
ティフェの苦笑交じりのことばに、渋々アインは岩を離れた。まあ、彼としては〈タダで〉食べられる、という部分が大事だったんだろうけれど。
目的も済んだことだし、わたしたちは坑道を戻り始めた。途中、ティフェが置いたらしい燭台のロウソクを回収していく。このロウソクのおかげでわたしは助かったのだが、わたしの魔法の弱点については必要以上に口にするものではないし黙っておいた。
歩く間に聞いたところによると、女剣士のティフェと鞭使いの少年ケトはもともと親戚同士で、先に旅をしていたティフェに二年前から、旅暮らしに憧れたケトもついて歩くようになったという。
「案外浅いんだね、あんたたちの方は」
そりゃ、こちらはまだ出会って二日だ。
しかも、彼についていく目的のひとつである彼の魔法の正体も先ほどわかってしまった。――と言っても、魔法で何を起こせるのかわかっただけで彼の魔霊具などは知らないままだけれども、普通は魔霊具が何かなんか誰にも教えない。
それがなぜか、少し寂しい気がした。ついてく理由だけなら、宝探しとかマッチがあるからとか、いくらでもあるのだけれど。
「ほら、外だ」
アインの声で我に返る。もともとそう深く坑道に入ったわけでもないし、早くも行く手に光が見えてきた。
その光が、少しチラチラと揺らぐ。
「誰かいるのかね。少し気になるな」
気にするほどではないのでは、と一瞬思ったけれども、それはティフェの剣士としての勘かもしれない。
「出口に近づいたらボクが見てきてあげるよ」
タウが黒いコートの袖口から顔を出して言い、出口まで十歩くらいのところに至るとそれを実行した。獲物を狙う猫のような低い姿勢で壁に沿って歩いていく。黒猫そのものの姿は影に入ると闇に溶け込むようで、もう人の目で追うことはできない。
やがて行ったときと同様、音もなくアインの足もとに戻ってくる。
「赤いマントの魔術師がお待ちかねだよ」
――ああ、そうだ。
何か忘れているような気がずっと続いていたけれど、思い出した。わたしとアインは顔を見合わせる。
「そう言えば、先に入ったはずの魔術師がいたんだっけ」
彼も今それを思い出した様子。
「赤いフードにマントだったわね……」
どこかに隠れていて、わたしたちを先に行かせて外に出たのだろうか。となると、相手の目的はおそらく。
「待ち伏せして、こっちの成果を横取りするつもりなんだろ」
ケトが肩をすくめ、腰に固定していた鞭を両手にかまえる。
出口から出たところを強襲される可能性が高い。出るのを少しずらした方がいいとアインが提案し、最初にティフェとケト、少し間をおいてわたしとアインが出ることになった。
「行くぞ」
左脇に牛の角を抱え、剣の柄に右手をかけたティフェが小さく言い、坑道内の暗がりから光の中へと踏み出した。ケトも鋭く目を周囲に光らせながら並ぶ。
その瞬間。
出る時間をずらすというのも無意味だったらしく、視界が白い霧に閉ざされる。アインも、坑道の岩肌も、外の景色も――何も見えない。
「アイン? タウ?」
となりに声をかけてみるが、少し待っても何も反応はない。
――精神攻撃、かしら。
アインの魔法のような、可能性とか概念を変えてしまうような魔法が最も強力だと思うけれども、対象の精神に効果を表わす魔法というのもかなり厄介だ。もちろん、精神のないものには通用しないのだけれど。
そのうち、パチパチと小さく何かが爆ぜるような音が聞こえてくる。続いて、焦げ付くような匂いと肌をなぶる熱。
周囲を取り巻くのはいつの間にか、霧ではなく白い煙になっていた。その煙が漂う合間に薄っすらと、紅が揺らめくのが見える。
それは煙が薄くなるとはっきりと、見覚えのある木造の建物を焼いているのがわかった。
なるほど、嫌な記憶や恐ろしい記憶を引き出して精神攻撃を行う魔法らしい。しかし、わたしにとってこの記憶は嫌なばかりの思い出じゃない……まあ、好きで集めていた押し花の栞や綺麗な布の切れ端もすべて焼けてしまったのは、当時のわたしとしては酷く痛手だったけれど。
それにしても、物凄く細部まで頭の中では再現されるものだ、と思う。家の外壁の木目、その外壁の焦げ付き方まで、しっかり現実そのままを再現しているように見える。普通に思い出すだけでは、いくら頑張ってもここまで思い出の中のままの姿を再現することはできないだろうに。
昔、気まぐれで読んだ医学系の本の一文を思い出した。本来は人間は体験したことのすべてを覚えているが量が膨大過ぎるので、ただ思い出しきれないだけなのだ、という。
実際わたしは、家の窓の配置はあんなんだったかな、あの木はあんなに背が低かっただろうか、と、周囲の風景は曖昧にしか覚えていない。ただ、そこで何があったのかは結構覚えている。
昔、野良猫を追いかけてあの木の枝に登って落ちたことがある。遊びに行って帰ってきたときには、ほぼいつも窓からお祖母ちゃんが手を振ってくれた。ここからは見えないけれど、あの壁の裏辺りには幼いころに近所にいた友だちと一緒に落書きをして、しこたま怒られたのだった。
そんな幼いころの思い出が詰まった家が焼け落ちていくのを眺めていて何も思わないでもなかったけれども、今更、衝撃を受けるほどでもない。
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