12、魔術師と乾いた村(後編)

 日が昇り村が起き出すころには、雲はどこかに散り散りになっている。濡れた世界が朝日を受け、きらきらと輝く。

 朝食は野菜を挟んだパンとハムエッグ、朝に飲まれることの多い爽やかな系統のハーブティー、ミントティー。ミントの香りと晴天の朝の空気もあって、わたしたちは清々しい気分で馬車に乗り込む。

「昨日、どこに出かけていたの? 言いたくないのなら別にいいけれど」

 昨夜、帰ってそれぞれの部屋に戻り、しばらくしてからのこと。

 もう大抵の人が寝静まっているような時間帯に、そっと部屋のドアが押し開かれたのを聞いた。窓の外を見ると、再び傘を借りて宿を出て行く闇に溶け込むような姿がチラリと見えた。

「ああ、見てたのか」

 アインは少し恥ずかしそうにも見える苦笑を浮かべる。

「ちょっと、届け物を届けにさ」

「届け物?」

 誰に、と言いかけるが、この村で向かう先なんて一か所しかないはずだ。彼もこの村を訪れるのは初めてのはずだし。

「あの兄妹のところに、何を。食べ物ではないはずよね」

 そう、嘘が実現するなら食糧問題は今日解決するはず。しかし、食糧以外の何を届けるのかも想像がつかない。

 いや、あの兄妹に何が必要かというと色々な物が必要なのだろうけれども。新しい服、暖かい毛布、食器――食糧が足りて落ち着いたら、あの馬小屋の主が気を回してくれるといいのだけれど。

 アインの答えはわたしの予想と外れたもの。

「本だよ。病人には必要な物さ」

 なるほど、そういうことか。

 かつては病弱だった彼がいつも手にしていたもの、それは本。メムを見てそのことを思い出したのだろう。本があればメムも退屈せずに済むだろうし、本は憧れにも生きる希望にもなり得る。

 一応書いておくと、この大陸は識字率は高い。

 しかし、その肝心の本は一体どこから来たのだろう。お店もあるらしいがそこに寄るような時間はなかったはず。

「アイン、本は持っていたの? それとも……」

 森の中の屋敷では彼はマッチくらいしか持っていなかった。それ以降、本を買ったような場面も見なかったはず。

 まさか、いくらあの兄妹のためとはいえ、盗んだり何か汚い手を使うはずもないし、残る手段を考えると……。

 ――もしかして、今日の嘘をそのためにすでに使ったのだろうか。彼が出て行った夜中がすでに今日に当たるかどうかは不明だけれども。

「いや、本は買ったんだよ」

 そう答えて、わたしがさらに質問する前に彼はとある一角を指さした。それは荷台の隅に置かれていた本だ。そこから一冊が消えている。確か消えたのは『勇者セヴァンティン・ニドレーの冒険』。あれは冒険物の子ども向け小説で、結構子どもから大人まで幅広い層に人気がある。

「ああ、それか」

 手綱を握り振り向いた御者が声を上げた。

「暇なときに読もうと思ってもらい物や拾い物の本を積んでおいたんだけど、結局読まないままだよ。それを欲しいっていうんで、昨日の晩、安く売ったんだ」

 そういうことか。

 戻ってきた後のアインは御者から本を買い、皆が寝静まったころにそれをケテルとメムの兄妹のもとへと届けに行った、というのが一部始終のようだ。

 納得したところで、馬車は動き出す。宿屋に併設された馬小屋から朝日の下へ。薄暗い馬小屋の中から出た直後は少し眩しい。

「そう。あの子たちも喜んでるでしょうね、きっと」

「もう寝ているようだったからドアの隙間に差し込んできたんだ。だから本当に喜んでくれるかわからないけれど、そうだったらいいな」

 アインは照れたように笑った。その笑顔は、朝日よりも眩しく思えた。

 道はまだ水を吸っていてぬかるんでいるが、忠実な馬たちはかまわず進んでいく。

 とはいえ、車輪の方はあまり泥がつき過ぎると動きにくくなったり回らなくなったりするため、御者はあまり泥を跳ねないよう、ゆっくりめに馬車を走らせた。

 村を出る手前で、行く手の方向から来た馬車の姿を見つける。

「ずいぶんと大きな馬車だねえ」

 御者の言うとおり、シルエットが大きく見える。近づくと、その馬車は荷台に荷物を満載しているのだと気づく。

「ああ、あれか」

 となりでアインがつぶやく。

 こちらが村を出るころには、向こうの正面に二人の人間が乗っているのが見えた。荷物の詳細も見えてくるが、大部分は野菜だ。籠いっぱいの野菜や果実、積み上げられた木箱、液体が入っているのであろう大きなタルに、重ねられた大鍋や料理道具に食器。

 その大荷物を、大きく筋肉質な馬たちが牽いていた。こちらの馬車の馬とはそもそも種類が違うようだ。

「いやあ、凄い荷物ですね」

 すれ違いざま、御者が声をかけた男は、意外に若い男だった。

「ええ、飢えた人々のいる村があると聞きましてね。ありったけの食材をかき集めてここまで飛んできたのです。腕によりをかけて炊き出しをいたしますよ。まあ、わたしは料理人ではありませんが」

「へえ、料理人ではなくても料理がお得意なんですね」

「ええ、これでも農作物についてはそんじょそこらの人には引けを取らないつもりです。野菜の旨味をいかに引き出すかについても、それなりに熟練しているつもりですよ」

 若い男は、胸を張って豪語する。

「ほう、それは食べてみたかったな。しかし、我々はもう行かなくてはいけない」

 御者は残念そうに肩を落とす。

「ええ、機会があればわたしの作った野菜を食べていただきたいものです。では、お気をつけて」

 彼は手を振って見送ってくれた。

 村の中心部へと、どんどん大きな馬車は姿を小さくしていきやがては見えなくなる。こちらも村から遠ざかり、小さな村はやがて地平線の彼方へと消えていった。

「これであの兄妹も安心かな」

 村が視界から消えてなくなるまで眺め続けていたアインが、ほっと息を吐く。

「今頃、炊き出しが始まっているでしょうね」

 目を閉じると瞼に浮かぶのは、大張り切りで大鍋に野菜や食材を入れて料理する農業の伝道師やそれを手伝う少し体力の残っている村の大人たち、列を作って受け取る人々の姿。その列の中には、ケテルとメムの兄妹もいるはずだ。

「それにしても、やっぱり凄い魔法ね。来るはずのなかった人を村に呼ぶ。ある意味、あの農業の伝道師は行く予定のなかったはずの場所へ行くように運命を書き換えられたわけだし」

 わたしは改めて思う。運命を操れるのなら、それはもう神に等しい力なのではないかと。

「そこまで劇的ではないんじゃないかな」

 アインは首を傾げた。

「農業の伝道師は世界に一人だけというわけじゃない。何人もいる中から一番近くにいたあの人に声がかかっただけ、という程度の運命の辻褄合わせかもしれないよ」

「必要最低限の調節ってこと?」

「そうでないこともたまにある……けれど、実際のところはわからない。わたしが無意識のうちに、実現することを嘘のつもりで話しているだけかもしれないし」

 ――確かに。

 ある意味、アインの魔法というのはどこまで行っても、それが魔法の効力だと証明しようのない魔法だ。あの農業の伝道師だって、アインが何もしなくても今日、あの村を訪れることになっていたのかもしれない。

 まあ、森の中の屋敷で手紙を出したのはそれでは済まないかもしれないけれども。無理矢理こじつけると、アインはだいぶ昔に手紙を受け取ったのをすっかり忘れていて、どこかにしまい込んでいたそれが脱ぎ着した拍子にコートのポケットに滑り込んだ――というのが考えられる。彼が語った内容も、無意識では覚えていた昔の手紙を届ける依頼の内容そのままだったとか。

「そうなると、アインの本当の魔法は〈予言〉になるのかもね」

 タウが顔だけをコートの袖から出す。

 嘘をついているつもりで未来を予言している――確かにそれでも、現状とは何も変わりない。

 アインは少し驚いた顔をしたものの、すぐに笑いだした。

「どちらでも結果は一緒だし、どっちでもいいよ。わたしは自分で望んだ嘘をついた気になっているだけだとしても、そのわたしの望みが叶っていることは事実なんだから」

 人は結局、自分の認識で自分の世界を作っている。アインの中では魔法が嘘か予言かはどうでもいいことだ。彼が自分の魔法は嘘だと思っていればそれは嘘なのだ。

「ま、嘘だろうと予言だろうと、ボクらも恩恵に預かれるからね」

 事実を追求するようなつもりはないのか、アインの膝の上で丸くなった。

 そこでこの話は終わり、と思っていると。

「でも、わたしの魔法が嘘の場合、嘘をついたつもりでもともとそうなるはずだった状況では、魔法は使ったことにはなってないはずだね。魔法を使わないまま、何も知らずに一日が過ぎたこともあるはず……ああ、もったいないな」

 その発想がなんだか彼らしくて、わたしは密かに笑ってしまった。

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