嘘の魔術師

宇多川 流

プロローグ

 わたしはパタンと、書き終えた旅日記を閉じた。

 最初は毎日書いていたが、それだとすぐに荷物が旅日記で満載になることに気づき、必要あれば要点だけ書くようにして、記録として残すべきところだけ読みやすい小説形式で残す形に変えた。それでも何年も旅を続けていれば本の一冊分は書き終えてしまうけれど。

 次で、旅日記は三冊目。新しい本の表紙をめくるとき、少し改まった気分になる。

 しかし、わたしの旅は一人旅、旅日記に出てくる主要登場人物はわたしだけ。いくら旅日記のページが進もうとも、これだけは変わらないだろうな。

 何しろ、わたしが旅に出た動機のひとつが一人の時間を得るためだ。家は大家族で、弟も妹もいるし父方と母方の祖父母も一緒に住み、親戚も近くに住んでいた。今となっては煩わしいとまでは思わないが、とにかく口うるさい、他人のことにお節介だと思ったことも何度もあった。

 家族はいつも賑やかで、賑やかなのが好きな人が多かった。その中で一人の時間が好きなわたしは変わり種だっただろう。そんなわたしだけが家族の中で魔術師になったのは、何の因果か。

 旅日記をすべて鞄にしまい、部屋のベッドを直す。窓からは青空がのぞいていた。その向こうには、薄っすらと黒いものも浮かんでいるが。

 部屋を出て一階に向かう。ここは一階が食堂になっていて二階に宿泊可能な部屋がある、よくある宿屋兼食堂という形態だ。階段を降りると、すでに朝食をとりに来ている地元の者や旅人、商人などが雑談するざわめきが聞こえてくる。

 わたしはカウンターの端の席に座り、メニューを見る。路銀はまだ多少あるけれど、先のことを考えると節約しなければ。

「お嬢さん、ひとりかい? 見たところ、魔術師のようだけれど」

 店の主人が話しかけてくる。このわかりやすい姿を見れば、大概の人はわたしが魔術師だと言い当てる。

「そうよ。ずっとひとりで旅をしているから、余計な心配はしなくても大丈夫よ」

 女一人旅をしているのを見かけた人は、わたしが魔術師だとわかってすらお節介を焼いてくることが多い。それは苦手だった。

「そうか……そりゃ、その若さでずっと一人旅をしているなんて、なかなか腕のいい魔術師さんなんだろうね。こんな小さな町じゃなければ、きっと何か仕事もあるんだろうけれど」

 そう、旅先に魔術師向けの仕事依頼が掲示されていることがあるのだけれど、この町にそれがないことはすでに把握していた。そうやって掲示されている仕事を引き受けるのは、旅をする魔術師にとって重要な収入源のひとつなのだ。

 魔術師それぞれに使える魔法は異なるが、その中でも、わたしが使う魔法はなかなか応用も利いて役に立つ部類だと思っている。

 ――路銀を稼ぐためにも、もう少し大きな町に向かわなければ。

 この辺りの近くで大きな町を調べると、森を抜けた北の方にある大きな神殿のある町か、北東の方にある運河の町か。近くと言っても、どちらもそこそこの距離はあるけれども。

 地図を見ると、北東よりは北の方が少し近いらしい。

「とりあえず北の方に行くつもりなんだけれど、あの北にある森は迷いそうなところはあるの?」

 この町の北にしばらく歩いたところには、小さな森がある。針葉樹の集まっているらしい刺々しい森だ。

 少し離れているが、この町の者にはあそこへキノコや木材を目当てに向かう者もいるという。地元のことは地元の者に聞くのが最善だろう。

「いや、ほぼ一本道だよ。ほぼというのは、あの森には一軒だけ屋敷があってね。その屋敷への分かれ道はあるが、あとは北に抜ける道しかないから、迷うようなことはないはずさ」

 世の中には〈迷いの森〉のように形容される森もいくつもあるが、人も済んでいるらしいしちゃんと道も手入れされているようだ。

「危険な動物や毒蛇なんかが出たという話も聞いたことはないな。まあ、あんな小さな森だからね」

「そう。ありがとう」

 礼を言って、安い朝食を注文する。

 ここはごく一般的な食堂だ。町には特に名物らしい名物もなく、地元産の物といえばキノコと野菜くらい。まあ、手持ちがなければ名物があったところで注文できないのだけれど。

 わたしが頼んだのは、自家製パンとハーブティーとサラダという朝食らしいメニューのセット。

 食事が来るのを待つ間にも、周囲の客は入れ替わる。その中から、近くのテーブルの二人の客のやり取りが耳についた。

「だいぶ天気が崩れてきそうな様子だけれど、本当に大丈夫なのかい? 期日は今日の夕方までなのだけど」

 一人はそばに大きな荷物を下ろした、商人らしい男。

「平気、平気。急げば半日もあれば抜けられるくらいの小さな森だ。雨が降ってくるまでまだまだある」

 もう一人は軽い口調で言う。動きやすい服装からして、こちらは輸送か何かを請け負う仕事でもしていそうだ。

「では、今から出発すれば余裕だね」

「ああ、これから出発しても昼過ぎくらいまでには森を抜けられるだろうし、夕方には充分間に合う」

 二人は食事を終えたところのようで、出発のために身支度を始めた。

 これはいいことを聞いた。

 こちらへと迫ってくる黒雲にはもちろん気づいていたけれども、どの程度道中に影響してくるのかまでは予想がつかなかった。北の森を通り抜ける間、果たして天候が持つのかどうか。

 ――さっさと朝食を食べ、昼食用のパンのひとつでも買ったら出発しよう。あの黒雲が森の上に届く前に森を抜けてしまうのだ。

 この決断がわたしにひとつの不幸とひとつの大きな幸運をもたらすことを、このときのわたしは知るはずもなかった。

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