9話 ごめんな。俺ら付き合ってるんだ
「部活は……どうしたの」
「今日なくなったの。台風だから早く帰れって」
静かな階段の下の踊り場から僕を見上げている香織。少し息が上がっている様子だった。
「どうしこんな所に? 帰らないの?」
「別に……」
無言でゆっくりと階段を上がってくる。
深い意味はない。ただ人いない所に行きたかっただけ。いつものことじゃないか。今は玄関が人だかりで行きたくないだけ。
「帰ろ?」
「……まだ……いい」
それに僕は香織とは帰られない。彼女の友人にも彼女の時間を奪うなと警告された。それがごもっととだから。
「あのさ、今更だけどさ。やっぱり私って邪魔かな? 昨日も歩璃さんと2人で帰る所に割り込んじゃったし」
動揺してしまった。心の片隅で僕は香織のことを鈍感だと思っていた。彼女は努力家だが、怠けている僕にテストの点数で勝ったことはない。
そして昔から何かと香織に知識をひけらかすことが多かった。僕がどんなてきとうな嘘を言ったって、彼女は目を輝かせて信じてくれていた。そんな彼女が今更何を分かった気になっているのだろうか。
「……別に」
「ゆーちゃんってさ」
香織は微笑んだ。
「本当のこと何も言ってくれないよね」
いつもと違い、落ち着いた口調だ。香織の本当の表情が汲み取れないが、心から笑っていないことは確かだった。彼女に真意を突かれ、動揺を隠すために僕は話題を変える。
「香織……もうあのことは気にしなくてもいいよ」
「……」
図星だったのか、黙り込んだ。でも彼女が悩む必要はないんだ。全部僕の責任だから。
「だからさ、もう……僕に関わる必要なんてないよ」
そう口にすると、香織は目を丸くし、消え入りそうな声で「え」と漏らす。
「どうして、そんなこと言うの?」
「……」
「どうして? ゆーちゃん? 私そんなつもりじゃ」
「……」
「何か喋ってよ」
香織はしつこく詰めてくる。うっとおしいと思う資格は僕にはない。それでもこれは彼女のためなのだ。
「やっぱり私……邪魔?」
香織だっていくらでも不満はあるだろう。僕といることが時間の無駄だって気づいているはず。変に距離を取ってもお互い気まずくなるだけならバッサリと切ってあげたほうがお互いのためだろう。
「そうだよ」
「っ……やっぱり邪魔だったんじゃん。今までもそうやって嘘ついてたんだ」
涙声だった。そんな香織はゆっくりと残りの階段を登ってきて僕の胸元を摘む。うつむきながら震えていた。
「分かった、晴れ晴れしたよ。これでやっと1人になれる」
吐き捨てるように香織はそう言い放ち、階段を降りていく。最後の段を降りた時、振り向きざまに彼女は口を開いた。
「前のゆーちゃんは、すっごく……」
尻窄むように声を小さく、掠れていく。最後までは言い切らなかった。薄暗い中でもはっきりと見えた頬を伝う涙。「バイバイ」と言う言葉とともに彼女は走っでその場を去っていった。
全部分かっていたこと。遅かれ早かれこうなることは。でも、いざ起きてみると正直かなりキツかった。
僕のとった行動が正解かなんて分からない。でも自分の意思で起こした行動だ。香織が解放されてくれたのならそれで良かった。
しかし胸にぽっかりと穴が空いた気分だ。でもこれも全部、自業自得なのだろう。僕に起きて当然の事だった。
相変わらず雨は止む気配がない。もうひとけもなくなっただろうと思い、僕は玄関へ歩を進める。廊下を歩いている時にふと教室の中に人影が見えた。
鼓動が早まった。華奢できめ細やかな長髪を揺らすその後ろ姿を僕が見間違えるはずがない。
「歩璃……さん」
「優一くんもまだいたんだ」
思わず教室に入り、声をかけてしまった。
「歩璃さんはこんな時間まで何を……」
「委員の仕事があって」
彼女の迫力は偉大だ。歩璃と話すだけで先ほどまでの虚無感が嘘だったかのように気持ちが晴れやかになる。僕の生きる理由だ。
「良ければ、今日も……駅まで帰らない」
「……うん。いいよ」
心なしか返事までに間があったような気がした。
しかし我ながら僕は成長したと思う。1度思い切って彼女を誘ってから2度目に誘うことのハードルが下がった。積極性が身に付いたのかもしれない。結局は自分で行動しないと何も変わらないんだなと実感した。
「雨強いね」
「……今日は傘持ってきた?」
「もちろん。私も舐められちゃったな」
歩璃にでも気が抜けている場面はあっていいと思う。彼女も僕らと同じ人間であることを思わせてくれるからだ。とはいえ入学して1ヶ月目で行われた中間テストで、彼女はトップの成績に食い込んでいた。
この高校はいじめが存在するものの、偏差値は高い。その中でも上位に食い込んでいるのなら歩璃の実力も本物なのだろう。
遠くからゴロッと雷の鳴る音が聞こえた。
「早く帰ったほうが良さそうだね」
「うん……お臍……隠しながらね」
「そんなこと言う人まだいたんだ」
渾身のボケだったと思う。あまり自分のキャラではなかったが、彼女を楽しませたいという思いから口走った。
彼女も彼女で、真顔でツッコミを入れてくれるのがまた面白かった。そんなはたから見たら少し奇妙な距離感で雑談をしている僕らは昇降口に着いた。
そして靴を履き替えようとした時だった。
「歩璃、メール気づかなかったのか? 待ちくたびれたぞ」
背筋がゾッとした。聞いたことのない声だったが、その声だけで持ち主の風貌がなんとなく想像できた。
「……颯太先輩」
その名前を聞いた瞬間に吐き気がした。1度しか見たことはないが、その時の衝撃は今でも覚えている。トップモデルと言われても違和感のない、高身長で凛々しい顔立ちの男。
先日、お昼休みに歩璃が呼び出されてから僕の知らない所でこんなに進展しているとは思わなかった。
出口の扉に背を預けて腕を組んでいた彼は、隣の僕を見て口を開いた。
「誰だそいつ?」
「同じクラスの神城優一くん」
「ふん。じゃあ歩璃借りてくわ、じゃーな」
颯太先輩は僕らのそばに来ると、さっと歩璃の肩に手を回し、そのままさらっていった。状況がうまく飲み込めない。何が起こっているのだろうか。彼女と帰る約束をしたのは僕だ。
「……待って、ください」
「んぁ?」
「歩璃さんと、帰る約束してるんです」
「あ? 歩璃こいつに言ってねぇのか?」
そうだ。彼女は律儀な人だ。僕と帰ろうと言った時、うんと言ってくれた。僕が先に約束をしたはずだから、彼女もそれを優先するはず。だからきっと彼女の口からも言ってくれるはずだ。
「……ごめんね。優一くん」
「……ぇ」
背を向けている彼女は振り向こうともせず、ただ小さな背中を僕に見せながらそう口にした。ごめんね……とはどういう意味だろうか。何がごめんねなのだ。
もう掠れた声しか出ない。
すると颯太先輩は僕を尻目に、勝ち誇ったような馬鹿にするような、何通りにも解釈できそうな笑みを浮かべた。
「俺ら1週間前から付き合い始めたんだ。ごめんな」
「──っ!?」
瞬間、目の前が真っ白になった。苦しい。気持ち悪い。吐きたい。身体中から全てのエネルギーが抜け、灰になったような気分だった。
「歩璃……さん。ほん……と?」
精一杯の力を振り絞って聞いた僕のその最後の質問に、歩璃は少し間を置いてただ一言、
「うん」
そう口にした。
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