8話 人の時間を奪う勇気

「そういえば香織さんって他のクラスだよね。仲良しなんだ」

「うん。幼馴染で……」

「そういうの憧れるな。私の家庭引っ越しが多くて、そのたび初めましての人しかいなくて」

「僕も……香織以外はみんな……知らない人ばかりで」

 

 雨音は僕らの会話を遮らないほどにはちょうどよかった。アスファルトを蹴るお互いの足音は傘の中で響きあう。僕のバクバクと鳴る心臓の音も聞こえてしまっているのだろうか。


 好きな人と2人並んで歩いているだけでこんなにも幸せな気持ちになることを僕は知らなかった。


 不意に彼女は歩幅を縮めて、傘の影からこちらを覗いてきた。


「急に変なこと聞くけどさ、優一くんって恋人とか好きな人っているの?」

「っえ……」


 突拍子もない質問に思わずたじろいでしまう。好きな人は目の前に、とは言えるわけがない。そもそもこんな無愛想な僕なんかに恋人がいるかもしれないという可能性が、あるわけがないだろう。


「いないけど……」

「そっか」

「どうして……そんなこと」

「なんてことないよ。もし恋人とか好きな人がいたら、その人にどんな気持ちを抱くのかなって気になってさ」


 その口ぶりからするに、彼女は人を好きになったことがないのだろうか? 彼女ほどの綺麗な人が、大勢のかっこいい人に言い寄られても少しも好きな気持ちが湧かないのだろうか。


 とはいえ噂が本当なら、歩璃は入学してから既に10人以上に告白されている。しかしその返答は「恋愛に興味がない」だったらしい。しかし彼女の今の質問は、まるで興味があるかのようだ。


「多分……その人のために生きたいって思うこと……かも」


 そう答えると彼女は目を丸くさせた。


「なんかそれ、凄く良いね」


 思っていることをただ口にしただけだが、彼女はそれに感銘を受けているらしい。それが少しだけ嬉しく思えた。


「じゃあさ、どうやったら人を好きになれると思う?」

「そればっかりは……無意識かな」

「無意識……か」


 どこか遠い目をして、考え事をしているようだ。


 愛を知らない人に愛とは何か、そんなことを教えてるような、なんだかむず痒い気持ちになった。そもそも、そんな質問を突然してくる歩璃はやっぱり掴みどころがない。


 とはいえ何か目的があるかのような話し方だった。好きな人がいるわけではなさそうだが、なぜそんなことを聞いてきたのだろうか。


「変なこと聞いてごめんね」

「いいよ……」


 なんてことない雑談をしているうちに、気づけば北神堂駅が見えてきた。体感ではいつもは数十分ほど歩いて着く感じだが、彼女と肩を並べて歩いている間は、時間なんてなかったかのように思える。


「今日誘ってくれてありがとう。楽しかった」

「……」


 改札までついて来てくれた歩璃。もう死んでも良いくらい幸せだった。僕はつまらない人間だ。こんな僕でも誰かを、人をを楽しませれる事ができるんだなと感慨深くなった。


「あの……良ければまた一緒に帰ろうよ」


 今日の僕は僕じゃないみたいに積極的だ。全て彼女が原動力になってくれている。僕はその人のために生きたいというよりは、その人に生かされているのかもしれない。


 しかし彼女はわずかにうつむくだけで何も返してこなかった。












 翌朝、窓を叩きつける雨音によって目を覚まされた。カーテンを開けても部屋に光は差し込んでこない。こんな日でも学校はある。


 てきとうに身支度を済ませ、外に出た。


「おはようゆーちゃん。雨凄いね」

「……うん」


 相変わらず香織は迎えに来てくれる。朝の部活を休んでまで。うるさい風の音は必然と僕らの間にある沈黙の気まずさをなくしてくれた。


「それじゃバイバイ」


 香織と教室前で別れ、僕は自分の席に向かっていった。林間学校は目前だ。もうグループワークの授業はないが、当日は歩璃と同じ班で過ごせると考えるだけで心が踊る。


 頬杖をつき、いつものように窓の外を眺める。濃い曇り空から大きな雨粒が地面に落ちていく。


 なんなく午前中の授業が終わり、昼を迎えたので教室を出た。当然今は屋上なんていられないほどの悪天候だ。だから屋上の階段室で時間を潰そうと思った。


「あんた、神城優一だっけ」


 ひとけのない廊下を歩いている時、背後からそう声をかけられた。振り返ると、どこかで見たような短髪な少女の顔がそこにあった。名前は思い出せない。


「はい……そうですが」

「あのさ、もう香織に関わらないでくれない?」


 思い出した。あの日、路地裏で中学生の少女を不良たちから助けた日、駅前で僕は香織と遭遇した。その時彼女の横に数人いた同じ部員の1人だ。


 とはいえそんな注意に僕は動揺もしなかった。だって当然のことだから。


 香織は元気で愛嬌もあり、常に周りに人が集まっている。部活でも実力が評価され、慕われているのだ。そんな彼女の友人と部活で過ごす充実した大切な時間を、僕は奪っているのだ。


「香織はいつも部活や私たちよりもあんたを優先してた。あんたのこと楽しそうに話してくれるから私たちは気にしてなかった」


 ひとけのない廊下ではその少女の声はやけに大きく聞こえる。分かりやすく感じる彼女の怒りを含んだ喋り方。


「でもさ、駅前で初めてあんたを見た時、あんたの態度を見た時、全部香織の一方的な気持ちだったんだなって理解したよ。きっと香織だって本当は気づいてる」


 怖かった。僕はただ誰にも干渉されず、教室の隅でひっそりと時間が過ぎて行くのを待っていたかっただけだ。人と関わるのが嫌で、何も望まず、何も行動せず、そしてただ謙虚に生きていただけだ。


 それなのにどうして人の怒りを買わなければならないのだろうか。


「あんたがどういうつもりか知らないけど、香織の時間を奪わないであげて欲しい」

「……」

「言い方きつかったかもだけど、そういうことだから」


 そう言い残すと、彼女は去っていった。ぐうの音も出ないほど正論だ。僕が心の中でなんとなく思っていたことを彼女がハッキリと言葉にしてくれただけだった。


 




 午後の授業は上の空、ただ歩璃の横顔を見ているだけで時間は過ぎていってしまった。ホームルームが終わり、教室中は大雨の中どうやって帰るんだよと嘆く声ばかり。


 僕は騒音から逃げるようにすぐに教室を出た。玄関とは反対の方向、屋上の階段室へと向かう。そんな階段を上がっている時だった。


「ゆーちゃん、どこ行くの?」


 ドキッと心臓が跳ね上がった。どうしてこのタイミングで香織が現れるのだろうか。ずっとつけてきていたのだろうか。

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