7話 一緒に駅まで帰ろうよ

 息を荒くさせながら屋上に出た。僕を出迎えてくれたのはどこまでも汚れた灰色の曇り空だった。噂の情報だと明日には台風が訪れるらしい。テレビも見ず、携帯も所持していない僕に天気の情報源は噂しかない。


 ただでさえ今の気分は最悪なのに、曇り空の追い討ちはだいぶ響く。まだ青空に煽られている方がましだ。そしてコンクリートの地面に大の字に寝転がる。


 今すぐにでも雨が降りそうなほど雲が敷き詰められている。折り畳み傘を持ってきて良かった。


 しばらく横になっていると、階段を上がってくる足音が聞こえた。とくにやましい気持ちはないが、屋上で1人何もしないで居座っているのを見られるのも変だ。


 僕は慌てて物陰に隠れた。



「あのクソ2年がヨ゛ォ!!」


 そんな怒鳴り声と、鉄格子を殺人的な威力で蹴散らした男は拓馬だった。柄の悪い友人を連れている。隠れて正解だった。


「顔がいいだけで調子に乗りやがって。ぶっ殺してやりてぇ」

「確かになぁ。俺も来世はあんなイケメンに生まれ変わりてぇよ」


 状況は大体飲み込めた。先程の颯太先輩が歩璃を呼び出す現場を、拓馬も見ていたのだろう。彼は僕にグループを変わって欲しいとせがむほど歩璃のことが好きなのだ。そんな彼女が颯太先輩という2年の桁違いのスペックの持ち主に呼び出されたのが不快でたまらないのだろう。


 僕自身もとても不愉快だった。でもそれはもう定めだと思ってもいい。生まれつき人は平等ではない。金も容姿も地位も全て不平等。時間だって僕は誰よりも不幸せに与えられている。


「今度現れたらぶん殴る」

「いやぁやめといたほうがいいって。あいつ取り巻き多いし、拓馬がよくサンドバッグにしてる優一とかいう奴で我慢しときなって」

「あいつマグロみてぇだしボコしてもつまんねぇんだよ」


 ひどい言われようだ。だがぐうの音もでない。僕がいじめに遭っているのは教室でも薄々気づいてる人はいる。でも僕の人望はもはや皆無。誰が声をあげてくれるというのだろうか。


 




 放課後、ホームルームが終わると共にすぐに教室を出る学生達。僕は掃除当番のため少し教室に残った。


 屋上で拓馬は僕に暴行することをつまらないと言っていた。だからか、ここ最近拓馬に絡まれる機会が減ったように思う。確かに僕の反応は人間味がない。痛いけど痛がるのも面倒だから。自分でも自覚はある。


 黒板消しの汚れを落とし、掃除は終わった。既に教室からは誰もいなくなり、窓の外からは部活動に励む者のかけ声が聞こえて来た。


 バッグを背負い教室を出ようとした時だった。


「優一くん、残ってたんだ」


 正常だった僕の心拍数は、目の前の彼女によって1秒も立たず限界になった。


「歩璃……さん」

「今帰るところでさ、玄関まで行かない?」

「……え?」


 誘われてしまった。あの歩璃に。


 その誘いだけで僕は心からもうこの世に未練はないなと思ってしまう。人を好きになることの素晴らしさを、高校になって僕は初めて実感した。





「今日天気良くないね」

「……うん」

「明日台風で大雨らしいよ」

「気を……つけないと」


 緊張からか、うまく会話を広げられない。とはいえそもそも僕にそんな能力はない。相変わらず歩璃は表情が変わらず抑揚なく話すので、何を考えているのか感情が汲み取りにくい。


 僕は窓の外に視線を送る。


「そういえば優一くんってどのあたりに住んでるの?」

「僕は──」


 僕がそこから二駅跨いだ南雲駅から徒歩数十分の所に住んでいると言うと、彼女は「駅までの道は一緒だね」と返してきた。彼女は学校の最寄り駅である北神堂駅付近に住んでいるそうだ。


 そして僕は昨日のことを思い出した。本来の自分だったらしない行動。もうやけくそだ。


「僕と……駅まで……帰らない?」


 我ながらすごい頑張ったと思う。僕に積極性はない。だから自分から誘うのはとても苦手だ。それに僕の相手はあの歩璃である。だからそんな相手を誘うなんて最難関の試練のはずだった。


「え? うんいいよ」


 やはり意外だったのだろうか、彼女は心なしか目を丸くさせていたようだった。生きていてよかった、そう思わせてくれる彼女のことを僕は本当に好きなんだなとつくづく思う。




 靴を変え外に出ようとした時だった。


「ああ、やっぱり雨降ってきたね」

「うん……」 


 カバンから折り畳み傘を取り出す。彼女もカバンを開き、中をゴソゴソとし始めたが、やがてその手を止めた。


「ごめんね、教室に傘置いてきたみたい。取ってくるね」

「ゆっくりで……」

「ありがとう」


 そうは言ったものほ歩璃は、早歩きで教室に戻っていった。


 まだ雨はそこまで強くないが、ほとんどの外部活の人たちは片付けを始めていた。そういえば香織は今日オフの日だ。とはいえ別にいつも一緒に帰る約束をしているわけではない。ただ彼女は同情から僕に付きまとっているだけで、本音は放っておいてほしいのだ。


 しばらくその場で歩璃を待っていると、歩璃とは別の少女の声が聞こえてきた。


 噂をすればというやつだ。


「あれゆーちゃん。もしかして待っててくれたの?」

「え、あ……」


 心なしか目を輝かせている香織に言葉が詰まる。


 そう捉えられていても無理はなかった。オフの日はいつも彼女は僕を見つけて一緒に帰ろうとしてくる。だが今日は先約があるので無理だ。どんな言葉で断ればいいのだろうか。


「えっと……今日は──」

「ごめんね。おまたせ優一くん。えっと……そちらのお方は?」


 言葉を探している間に歩璃が戻ってきた。僕らの様子を伺って口を開く。


「え、あ、初めまして。星野香織です。桐崎歩璃さんですよね?」

「はい。どうして私の名前を?」

「校内ですっごい美人だって話題なんですよ」

「……そんなことないですよ」


 きっと今までに数え切れないほど可愛い、美人だ、と言われ続けてきたのだろう。彼女自身もきっと自覚はあるのだろうが、謙虚な姿勢は崩さないようだ。


「そういえば、どうしてゆーちゃん……優一と一緒にいるんですか?」

「駅まで一緒に帰るので」

「……え? ……あ、そうなんですね!」


 わずかに言葉を詰まらせた香織の豆鉄砲を食らった表情が見て取れた。待っててくれたの? という彼女のわずかに頬を緩ませていた顔を思い出して申し訳なく思った。


「ごめんね……」

「うんん。じゃあ私帰るねゆーちゃん」


 邪魔しちゃいけないから、と言わんばかりのそそくさと傘を差し玄関を出て行く香織の背中は、雨の中へ消えていった。


「香織さん。元気な子だね」

「うん……」


 それから僕らもお互い傘を差して、校門を出た。

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