6話 好きな人は、だいたい誰かも好き

 ここ数日間、やけに得体の知れない視線が強くなってきた気がする。家の中にいても、どこにいてもその視線はついてくる。


 なんだかんだ僕は学校を休むことはほぼない。だから平日の朝、身支度をせずにベットの上で寝転がっていることに違和感を感じる。


 母は何の仕事をしているのか分からないが、とりあえず平日の昼間からリビングで泥酔ができるような仕事にはついている。僕が学校を休んだことについて、言及はしてこなかった。


 しかし相変わらず香織は迎えにきてくれた。僕は額の傷を隠しながら、今日は体調がすぐれないから休むと言った。


「そっか……お大事にね」


 彼女からはそんな心配そうな返事をもらい僕は玄関を閉めた。ただ、嫌な予感がしていたが、それは案の定。


「あんた! 人様に迷惑かけないで!」


 リビングから出てきた母は、テレビのリモコンを僕に投げつけてきた。


「ごめ……なさい」

「もう、早く消えて!」


 母からはよく色々なものを投げつけられるが、その中でこれが一番痛い。僕はすかさず逃げ込むように2階の寝室に戻っていった。





 明日も休むつもりだったが。また香織に体調が悪いと言うのはもう勘弁だ。母にどれほど叱られるのか分かったものではない。


 無理矢理にでも学校へ行くしかないのだろう。いや、そもそもどうして香織に合わせなければいけないのだろうか。香織が僕の家にさえ来なければいいだけの話だ。


 彼女がから僕を気にかけてくれているのは明確。つまり僕はただ彼女の青春の邪魔をしているだけだ。彼女の貴重な時間を奪っている。母の言う通り、僕は人様に迷惑をかけすぎているのだ。だったらやる事は決まっている。





 結局翌日も休む事にした。幸いにも母は家にいなかったため、訪れてくれた香織に今日も休むと伝え、怒られることも避けた。


「明日には行けそう」

「それはよかった。安静にね」


 ベットに横になり、色々な事を考える1日だった。結局家にいる間は何もやる事がない。嫌な事を考えてばかりだった。


 部屋の棚に何段も並んでいる漫画本も、床に倒れているゲーム機も、もう埃をかぶっている。あれほど大好きだったのに今では何もそそられない。


 変わってしまうものだ。




 

 翌日。家にいれば母の虐待、学校に行けば拓馬の暴行。どちらも地獄だが、強いて言えば学校の方が僕にとっては断然マシだ。グループワークがない日でも、僕は歩璃の横顔を見ることができる。そのことだけで心が軽くなる。


 そして今日はグループワークの日。体も完全に完治したわけではないが、こんな日に学校を休むわけにはいかない。



 


「2日も休んでたみたいだけど、大丈夫だったの?」


 驚いた。歩璃が僕が欠席していたことを覚えてくれているとは思わなかった。僕が休んでる2日間はグループワークはなかった。たしかに朝のホームルームの時間に1人1人点呼を取るが、僕みたいな影の薄い人間が欠席したことをいちいち覚えるだろうか。


 いや、そうだった。彼女はそういう人だ。いつだって周りが見えている。


「もう……大丈夫」

「無理しないでね」


 彼女に心配をかけてしまった。人様に迷惑をかけるのは本当に申し訳ない。母親にも言われたことだ。


「それ、どうしたの?」

「……転んじゃって。ドジだよね」


 僕の額に貼ってあるいくつかの絆創膏を指すと、再び歩璃は心配そうに声をかけてくる。周りから聞こえてくる噂のように、彼女は本当に笑いそうになく、微笑む様子も素振りもない。


 感情の表現が苦手なのかは分からないが、比較的乏しいと思う。でもそんな彼女の心配げな表情を見る事ができた。とても間近に。確かにそんな顔をしたくなる程の絆創膏の量だ。それでも彼女の真顔じゃない顔を見られたのは得した気分になれる。


「転んでそんなになるものなの?」

「ちょっと……ね」


 愛想笑いを浮かべる。同じようなやりとりは2回目だ。前にも心配されたが、同じようにちょっとねと濁した。だからそれ以上は追求されなかった。




 正直、僕の現状は誰にも話したくない。でもその反面、心の奥底では歩璃には知ってもらいたいと言う天邪鬼な気持ちがあった。でも彼女はきっと悲しんでくれそうな気がする。だから僕は彼女にそんな顔をさせたくない。


「ってか歩璃。林間学校まで1週間だぞ」

「そうだね」

「歩璃と周るオリエンテーリング楽しみだな」

「うん」


 真斗の歩璃に対する好意はもう顕著だ。グループの他のメンバーも心なしか空気を読んでいる。



 こないだ歩璃に林間学校を楽しみかと聞かれた時、あんまりと答えた気がする。でも今の僕は何気に林間学校を楽しみにしている。


 当然、歩璃と長い間近くにいる時間が多くなるからだ。僕はグループの端っこで一人浮いている想定だが、それでも彼女と同じ空間にいられるだけでいいのだ。


 そんなグループワークの授業が終わったあとの、お昼の出来事だった。


「待って! あれ颯太先輩じゃない!?」

「どうしてこんなところに!?」


 昼食を食べない僕は、いつものように誰もいない屋上へ、時間をつぶしに行こうとした。だがその現場に目を釘付けにされた。


「歩璃、呼ばれてるよ!」


 教室の入り口には、そこに頭上がぶつかりそうなほどに身長が高い男が立っていた。2年生の颯太先輩。恐ろしいほどの美形だ。


 彼は、席に座りながら友人たちとお昼を摂っている歩璃に向かって手招きをしていた。


 彼女は私が? と言わんばかりに疑問符を浮かべている様子だった。


 キュッと、急激に胸が痛くなった。この出来事は必然といえば必然なのだろう。彼女ほど綺麗な女性を、彼ほどかっこいい男が放っておくはずがないのだ。


 下心からの誘いに違いない。しかし、彼女は誰にでも平等に接する人間。「恋愛に興味がない」と言うのならば、彼とそう言う関係になる事はないだろう。きっとそうだ。彼女は顔では選ばない。




 全部、余裕がなくなった自分を落ち着かせるための正当化、自己暗示に過ぎないことは分かっている。


 だから僕はその場からすぐに逃げた。

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