5話 やけくその一歩
どのくらい歩いていただろうか、気づけば人通りが少なくなってきた。そして、少女の叫び声が聞こえたのはそんな時だった。薄暗い路地裏の出来事で、中学生と思われる制服を着た少女が、数人の男に囲まれている
「悪い事はしねえ。ちょっとだけだ」
「離して! いや!」
世も末なのだろう。今日だけでこのような現場を見るのは2度目だ。絶対にあってはならないこの光景を、僕は今日だけでなく何度も見てきた。
もちろん見慣れたわけではない。でも、僕にはどうすることもできない。関わりたくないから、これ以上、嫌なことは増やしたくないから。
そしてその場を離れようとした。
「返して! だめ、見ないで!」
「誰だこの子? 友達? めっちゃ可愛いじゃん」
「離してよ!」
胸がはち切れそうになった。卑怯極まりない。ただでさえか弱そうな少女に、人数差、それに力の差を見せつける大人げない男たち。ただそれが許せない。
僕はお前たちとは違う。絶対に一緒なんかじゃない。僕は……
もうやけくそだ。
「……何だお前、見せ物じゃねぇんだけど」
僕はその男たちの前に立ちはだかった。この先のことなんて目に見えてる。でも、もう見ているだけで何もできないのは嫌だった。
もし僕にもっと力があれば。
「嫌がってるじゃ……ないですか」
「あ? 聞こえねぇよ」
「やめてあげて下さい!」
こんなに声を上げたのはいつぶりだろうか。恐怖心からくる鼓動がかつてないほど速くうるさい。相手にも聞こえているのではないかと疑うほどに。
当然だ、相手によっては殺されるかもしれない現
場だ。僕はそんなところに堂々と立ち向かっている。
「今日こいつでよくね?」
「まぁ程々にしねぇと、あいつに蹴り殺されちまうからな」
「しゃーねぇ、おらァ゛」
僕は抵抗もしなかった。滑稽だ。威勢だけ良く、ただ立ちはだかったものの、それだけ。あとは時の流れに身を任せている。
「何だこいつ? やられっぱなしかよ」
ただ、これで僕はお前らとは違う。そして、見て見ぬ振りをして、手を差し出さず、ただ哀れむだけの偽善者であるお前たちとも。
もちろん悪いのはこんなことをする奴らだ。それでも僕はただそれを証明したかった。自分がまだ価値のある人間だということ。
「なんかつまんねぇ。金も持ってなさそうだし行くぞ」
「そうだな」
この開放感だ。いつ終わるか分からない苦痛の暴行。それが終わった後のこの開放感。僕は胸を撫で下ろす。もちろん慣れているわけではない、でも耐性はいくらか付いている。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさ──」
唖然と座り込んでいたその少女は、腰を抜かしたのか、立ち上がることもできず涙声でそう言いながら這い寄ってきた。
「──っ! 救急車!」
ハッとした様子の彼女はすかさず携帯を取り出すが、僕は僅かな体力でその手を掴んだ。
「僕は大丈夫」
「ダメです! すぐに!」
「……お願い」
救急車を呼ぶか否かの重症度は自分がよく分かっている。こんなくらいじゃ数日後には普通に登校できるくらいにはなれるだろう。
それにただでさえ目立ちたくはないんだ。母にも誰にももうこれ以上迷惑はかけたくない。
そんな僕の想いが通じたのか、彼女はそっと携帯を閉じてくれた。
「……待ってて下さい、今血を拭きます」
カバンからハンカチを取り出し、僕の額や身体のあちこちを拭いてくれた。
「っ!」
「ごめんなさい」
彼女はまたカバンから小さなポーチ取り出し、乱暴に開き、地面に散らばらせた。その中から絆創膏を拾い、僕のあちこちの傷口に丁寧に貼り付けていく。全部使い切ってしまったようだ。
だいぶ息も落ち着いてきて、少し痛むが体を起こせるまでには回復した。
そして薄暗い路地裏で、ようやく僕は彼女の顔を初めてちゃんと見た。
「痛くないですか?」
「……うん」
「本当に本当にごめんなさい。私のせいで」
共感なんてしたくないが、あの男たちが襲いたくなるほどの魅力が彼女にはある。恐ろしい程の美形だった。
とはいえ、この顔を僕はどこかで見た事がある気がする。しかし全く思い出す事ができない。
「……ありがとう」
「やめてください! 感謝するのこっちの方です。本当になんてお礼をしたら……」
彼女は律儀に土下座なんてしてしまっている。
「僕は、君に謝らせたいわけじゃない」
「ですが!」
「お互い助かった……それでもう」
そうだ。僕はもう死ぬことまで覚悟していた。だが今は五体満足、というわけにはいかないが最低限の生活はできるくらいには無事だ。
「……そっちこそ無事なの」
「おかげさまで無傷ですよ。ですが……」
少し間を置き、彼女は申し分なさそうに口を開く。
「財布を取られてしまったみたいです」
丸く収まるにはまだ時間がかかるようだった。とりあえず、まず交番に行こうと彼女に提案し立ち上がろうとするが、当然彼女は止めようとする。だが僕は無理矢理立ち上がり、強がってみせた。
「無理しないでくださいよ」
「……うん」
驚く事に財布は近くの交番に行ったらすぐに見つかった。ちょうど先ほど、見知らぬ女性が届けてくれたらしい。中を確認するよう彼女に催促したが、お金は抜き取られてなかったらしい。
露骨に財布を盗まれたのにお金は取られていないなんてことがあるのだろうか。いや……まさかとは思うが最悪の可能性が脳裏に浮かんだ。
「……良かったね」
「はい」
彼女を不安にさせないように、僕はその可能性を伝えることはやめた。ただどうしても言っておきたいこととして、これからこんな道は通らないように真っ直ぐに帰るんだ、と伝えたら、また律儀に「助言ありがとうございます」と頭を下げてくる。
どうやら彼女の家は近くの高層マンションに住んでいるそうだ。駅前の高層マンションに住んでいるという事は裕福な家庭なのだろう。きっとセキュリティーも万全のはずだ。
彼女は僕を改札の所まで送ってきてくれた。
「お大事になさってください」
「……ありがとう」
本当に律儀な子だ。最後の最後まで深く頭を下げている。僕は身を翻して改札を通った。彼女はまだ中学生だ。この出来事がトラウマにならないことを願うばかりだった。
そんな時だった。
「あのっ! 待って下さい! お名前を!」
思い出したように出された声だった。
思わず僕は立ち止まった。そういえばお互い自己紹介をしていなかった。まぁそんなことをするほどの余裕はお互いなかったから。
感謝された事は素直に嬉しい。でも僕は彼女に、例え偽善者であろうとそんな行動を起こし、助けてくれる人間だって存在するんだ、と知って欲しかっただけ。
僕の名前なんていい。僕はただ世の中の誰かの小さな希望の一つになればそれでいい。
彼女の声に振り返らず、再び歩を進めた。もうしばらく道草を食うことなんてないだろう。
彼女と会うことは、もう、きっとない。
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