3話 トラウマ

 それから、天国と地獄が交互に訪れるような日々が続いた。


 放課後は拓馬に人気のない所に連れられ暴行を受け、帰宅しても母に同じようなことをされる。それでも歩璃に会うため、グループワークで彼女と世間話をするために今日も生きている。


「優一くんはどこの中学校だったの?」

「優一くんは何か部活やってるの?」

「優一くんはいつも家で何してるの?」


 こんな彼女の質問に、僕の言動は緊張からおどおどするも、かろうじて返答する。そんな雑談をグループワークのたびに行なっているのだ。だからそんな僅かな時間でも僕は着実に彼女のことを知っていく。


 歩璃は部活に所属しておらず、趣味ははいが、料理は好きだという。僕の違い両親のちょう愛を受けて育ち、1人の妹がいるらしい。当然彼女からも家族構成について質問をされるが「普通の家庭だよ」と濁した。すると以上追求してこなかった。


「何、歩璃って妹がいるんだ」

「うん」

「絶対可愛いじゃん」


 2人で話していたのに、相変わらず真斗は会話に割って入ってくる。気づけば僕はまた孤立していて、歩璃と真斗の2人で雑談が盛り上がっていた。


 当然だが歩璃は誰とでも平等に接するタイプだ。そうでなきゃ僕なんかに声をかけてくれることはない。彼女はミステリアスじみている、言い換えると変わっている、というのはそういった所もあるのだろう。


 だから彼女が真斗と会話しているのを見ると、僕の心に奥に汚い感情が芽生えてしまう。


「──じゃあさ今日その店寄ってこーぜ」


 真斗が放った言葉だ。


 陽キャとは本当に恐ろしいものなのだ。どうしてそんなスムーズに女子を誘うことができるのだろうか。断られることが怖くないのだろうか。


「妹が帰宅するまでなら」


 その返事に僅かに心臓が止まった。嘘だ。普通こんな下心丸出しの誘いは断るべきだ。何をされるか分からないのだろうか。


 僕ははっきりと実感してしまった。これは独占欲。彼女が誰かと一緒にいる事に対して、僕はこんなにも不快な気持ちになるのだ。


「それじゃ、放課後な」

「うん」


 真斗は心なしか僕の方を見てほくそ笑んだように見えた。


 いつものように放課後は拓馬の暴行を受け、渋々と昇降口にたどりつく。清潔とはほど遠いボロボロの外靴に履き替え、玄関から外に出た。


 校庭中に響き渡る男たちの掛け声。熱心に運動している彼らはきっと不満などないのだろう。全くないとは言わない。


 ただ一晩寝れば忘れるような不満は不満とは言わない。僕のいる地獄の世界を彼らは一生理解することなんてないのだろう。


 そう思っていた矢先、少し歩いていると、どこともなく明らかに掛け声とは違う怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。


「このブタが」

「許してください!!」

「おめぇ自分で何したか分かってんのか?」


 校舎裏のその光景を見て、ただ悲しくなった。この世界は腐っている。この現場に出会したのはこれが初めてではない。街中を歩いていればたまに見かける事がある。それを見つけるたび、当事者の問題だから僕には関係ない。そう言いくるめて逃げてきた。


 性善説なんてものは存在するわけがなかった。生まれてから人は他種を見下す性質は変わらない。優しさというのは、その性質を理屈で押さえているだけ。


 現に僕はその数人の男たちに囲まれ、地面に這いつくばっている生徒を哀れでしまっている。


 僕はあんな奴らと一緒なんかじゃない。


 だからただ助けたかった。当然そう思うだけだ。僕にそんな度胸、行動力はない。これ以上地獄が増えるのはごめんだ。


 だから僕はそれを見なかった事にし、帰宅した。





 幸いにも家には誰もいない。空き缶やタバコの吸い殻、足場のないほどに散らかったリビングを尻目に僕は洗面所に向かった。


 鏡を見て頬のあざを確認する。だいぶ色は落ち着いていたが、僕の顔は日に日にやつれていってるような気がする。


 前髪で目はまともに見えておらず、とても覇気があるようには見えない。最近は食事もまともに摂っていないし、僕はそのうち餓死するのだろうか。


 寝室に入り、ベットで仰向けになる。ふと今日一日の出来事を巡らせたが、ただ気分が落ちていく一方だった。立ち上がり、気分を変えるように椅子に座る。


 そして僕はを手に取った。机に伏せてある写真立ての横にあるもの。



もう二度と動くことのないひび割れた腕時計。



 魔が差したのか、僕は軽い気持ちでそれを腕に巻いてしまった。


「──っ゛」


 途端にめまいがおこり、吐き気を催した。頭の中に巡る助けを求める声、絶望そのものの悲鳴。


「っひぃ……っひ」


 唐突に過呼吸になり、すぐにトイレに向かった。便器に自分の中身を全て吐き出したつもりだったが、出るものは何もなかった。


「ごめん……なさい」


 やがてして息もだいぶ落ち着き、水を飲んだ。僕はこのトラウマを一生背負って生きていくのだろう。そう考えただけでまた気分が落ちていった。




──




「ほら、優一も香織ちゃんを見習いなさい」

「はぁ? 大体算数なんて将来使わねーじゃん」

「ゆーちゃん、私たちもう中学生になるんだからしっかりしないとだよ」

「でもお前俺に点数勝ったことないじゃん」

「ぅう! 馬鹿にした!!」


 それが夢だと分かるのに1秒も要らなかった。3人でこたつに丸くなり、姉は香織に勉強を教え、僕はそばで寝転がりながらゲームをする。幼馴染の香織とは、昔はこんなに仲良かったんだなと思い馳せた。


 だから今でも香織が僕にしつこくまとわりつくのは、きっとに違いない。哀れんでいるのだ。そんなのだったら僕は1人でいい。


「ほんと優一は我儘だよね。だから私は──」


 だから……なんなのだ。僕は悪くない。僕は何も。


「あんたのせいよ。あんたが全部悪いの」


 違う。やめてくれ。




──




 古びた天井が真っ先に見える。もう見慣れた景色だ。カーテンを開ける。雲一つない澄み渡った青空も、小鳥のさえずりも、全部が全部僕を煽っているようだ。


 階段を降りるとリビングの電気が付いていた。母が帰って来ていた。僕はなるべく顔を合わせないように洗面所に向かおうとするが、気配で気づかれたのだろうか。


「あんた」


 振り返ると、リビングから出て来た母はお札を床に落としてリビングに戻っていった。僕と同じようにやつれている様子だった。


 これはお小遣いでもなんでもない。母にとって僕が飢え死にすることがめんどくさいからだ。最低限の死なない程度の金額。当然そんなもの受け取りたくない。でも人に備わっている鬱陶しい本能が死ぬなと訴えかけてくる。


 僕はそれ拾い、ポケットにしまった。





「おはようゆーちゃん」

「……」


 香織の出迎えと共に僕は学校へ向かう。始終無言で、見るからに楽しくなさそうな香織とも昔は笑い合っていたのだ。僕はその事実に驚いている。


 昔はどんな会話をしていたか、心に余裕がないせいかうまく思い出せない。なぜ当然のように楽しく会話ができていたのだろうか。


「朝練は」


 久しぶりに聞いた質問に、香織は硬直して目を見開いた。


「あっ、えっと……朝練は自由参加だよ」

「そう」


 僕が質問したくらいで驚いている。だが同時に僕は知りたくないことまた知ってしまった。


 彼女は昔から負けず嫌いなところがあって、いつも部活に熱中していた。中高と続けているバレー部でも、彼女に生まれつき備わっていた才能の恩恵か、ずっと大会の出場メンバーに選ばれている。そんな彼女が朝練に行かないのは明確。


 僕の存在だ。


 あんなに体を動かす事が好きで、部活に熱心な彼女が朝練をサボるのは僕が放っておけないからだろう。女子バレーの強豪校と謳われるこの部活の朝練が自由参加なわけがない。ずっと気づかなかった。


 

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