1章

11話 悪魔と契約

「……夢?」


 僕はビルから落ちたはずだった。なぜ鉄格子の手前にいるのだろうか。


 ふと右手に違和感があった。何か硬いものをつかんでいるようだ。それは歪な形の携帯のようなもので、いまいちぴんとこない。


 僕は携帯を所持していない。誰のだろうか。それを色々といじってみると、やはり携帯だったようで画面が起動した。


「これは……」


 能力と書かれた覧があり、そこに身体強化、透明化など、様々な能力の名前が並んでいた。まるでゲームに特化した様な携帯だ。


「この変なのは……」

『変なのとは心外だな』

「っ!?」


 いまだに幻聴が聞こえてくる。


 この声は嫌でも耳に残る。ドスの効いた低い声。意識がはっきりした状態でも鮮明に聞こえてくこの声。段々と現実味を帯びてくる。


「……静かにしてよ」

『それは無理な願いだ』


 突如、まるで時空の狭間から現れたかのように、目の前に黒い大きな影が現れた。腰を抜かしそうになったが、大雨の中で目を凝らしても何も分からない。ただ分かるのは2つの目があることだった。


 その容姿を見て1つの名前が浮かび上がった。


「……悪魔?」

『ハハハ!! 悪魔か! 久々に言われたな!』


 その異様な佇まいに足がすくみ、空いた口が塞がらない。


「ジーヴァ、あっちでは俺はそう呼ばれていたな」

「嘘……」


 雨を遮るかの様なその黒い大きな翼が、視界いっぱいを覆い尽くす。成人の二回りよりも大きく、人間でないことは確かだった。


「まだ夢を」

『認めろ、お前は俺と契約したんだ』


 状況が全く追いつかない、何が起こっているんだ。どこまでが夢なんだ。


『ハハハ! まぁ人間のちっせぇ脳みそじゃ理解できねぇか!』

「……誰なの」

『お前の言うように俺は悪魔ってことにしよう』

「この右手のは……」

『そいつは、そうだな……アクマートフォンでどうだ。略してクマホだ!』

「……ふざけてるの?」

『おいおいすぐピキるな。短気な人間は嫌われるぞ』


 ふざけた会話にもかろうじて付いてっているが、こんな悪魔を目前にするとやはり現実感がない。認めたくないが夢ではないことは薄々分かっている。


 意識が明白で、叩きつけるような雨粒で感じる痛みや濡れた服が肌に張り付く不快感もリアルだ。果たして、こんな事が現実にあっていいのか?


「大体さっき言っていた、負の……なんとかってやつは何なの?」

『負の事象だ。短気な性格で、短期の記憶力もないか! 救いようがねぇな!!』

「それを……なかった事って」

『やっと会話ができるようになったか……いいだろう教えてやる』


 冗談を軽く受け流し、そう質問すると、悪魔も開き直った様子だった。正直僕ら人間からするとあんな悪魔が急に現れて、すぐに平然と会話できる方がおかしいだろう。


『お前にはこれから起こる凶悪な殺人、悲惨な事故それらを未然に防いでもらう。そして人間から溢れるはずの負の感情をなくしてくれ』

「これから……?」

『予知だ。俺の目には未来が見える。まぁほんの少し先のことだがな』

「何を言っているの? そんなこと……」

『それが俺にはできるんだなぁ』


 そんなことがあっていいのだろうか。確かに今僕が見ているものが夢じゃないのだとしたら、本当なのかもしれない。だって悪魔はビルから落ちている僕の時間を止めてみせた。


 そんな力があるんだ。他にも常識じゃ考えられない力があったっておかしくない。


「だったら自分で止められるんじゃ……なんで僕なんかを利用するの」


 それを聞いた悪魔はニヤリと笑みを作り、周囲を見渡す。そして僕が乗り越えた古びた鉄格子の前に移動した。


『この星の物質物体は脆すぎる』


 そう口にし、その鉄格子を掴んだ。あり得るはずがなかった。その鉄格子がたちまち粉末状になり、ポロポロと地面に落ち、雨水に流されていった。まるで最初から砂でできていたように。


『力を抜いてこの様だ。俺がこの星の物体に触れると、それは原形を留めなくなる』


 遅いものを目の当たりにして、冷や汗が止まらない、思わず後退りをしてしまった。


『俺だって止められたら止めるさ。でもこんなに脆いんじゃ、もっと事態は悪い方向に進むだけだ』


 言葉が出ない。


『人間の負の感情は俺の大嫌いな物。頭がかち割れそうなくらい気持ち悪い。この星は居心地がいいんだ。だからそんな人間の感情のせいで気分が悪くなるのはごめんだよ』

「人の感情を……感じているの?」

『その通りだ。きったねえ負の感情が頭の中に流れてくる。そしてそれをお前が食い止めるんだ』


 時間を止めることができ、未来も予知する力があるのになぜそんな可哀想な機能があるのだろうか。


『俺ができるのはお前にエネルギー……魔力と言っておこうか。それを与え、お前が負の事象を止めるように促す事くらいだ。今までもそうしてきた』

「僕が初めてじゃ……ない?」

『あぁ、この星に来て今まで数えきれないほどの人間に憑依しては共に負の事象を食い止めてきた』

「僕にそれを受け継げと……」

『そうだ』


 悪魔の目的は理解できた。しかしやはり理解ができないことが多すぎる。悪魔はもっと人間にとって負の出来事をもたらす物じゃないのだろうか。悪魔なのに厄災を避けたいと願っていることに違和感がある。


『んじゃ、数日後にまた来る』

「あ……」


 そう言うと、悪魔にはふさわしい雷雨の激しい夜の闇に黒い翼を広げ去っていった。





──




 そうこうしているうちに、少しだが現状に慣れていき、あり得ない事を受け入れる様になってきた。2日経った今でもこうしてベットの上で仰向けになりながらクマホとやらを眺めている。


「調子狂う」


 生きる意味を失い、複雑だった僕の気持ちに現実にあってはいけないふざけた冗談が入ってきた。悪魔、クマホ、時間停止。普通に生きていただけなのに、なぜこんなことに巻き込まれているのだろう。


 とはいえ、これは僕が選んだ道なのだ。生きたいと願った僕の。


 あれから学校には行っていない。誰か分からないが学校に放り投げておいた僕のバッグを、自宅の玄関前に置いてくれた人がいた。


 やることもないのでクマホの画面を何度も見返す。身体強化、透明感。時間跳躍……などふざけた名前ばかりだった。その反面、微かに昔やっていたゲームを想起させる。


 こんなゲームに出てくる脳力のような物にも心躍っていた時期が僕にもあったんだな。



 そんな子供騙しの道具のような物に暇潰しに付き合ってやろうと、面白半分で画面をいじる。1番最初に目に入ってきた『身体強化』という項目を触れる。


 すると画面が切り替わり『身体強化のレベルを1~5の中から選べ』という画面に映った。段々と馬鹿馬鹿しくなってきた。


 1を押してみると、『500アクマポイントを消費する』と出てきた。アクマポイントとはここでの仮想通貨ような物なのだろうか。正直そこの細かい設定まで拘るのは何度も言い難い感想だった。


 悪魔がくれた携帯だとするのなら、心底くだらないものだろう。今の時代のゲームはもっと奥が深いはずだから。


『消費する』のボタンを何も考えずに押した。


「っ!?」


 瞬間、身体が軽くなった気がした。思考回路も、体のありとあらゆる動きがいつも以上にスムーズだ。


 本当なのか……? 子供騙しの道具ではないのか?


 数分経つと自然といつも通りの感覚に戻っていった。非現実的な事が起こっていると身に染みて実感させられる出来事だった。





──




 翌日僕は出席した。


 幼馴染には見捨てられ、好きだった人にも恋人を作られた。家にも学校にも居場所のない僕に生きる意味はない。かといって死ぬ勇気すらもない僕はどうしようもない歩く屍だ。


 昨日の嵐が嘘だったかのように澄み渡っている晴れた青空も、何もかもどうでも良いと思えた。普通に出席して、普通に大人になって、普通の人生を送って死のう。僕の選択肢はこれしかないのだ。


 ただ、変な冗談が僕のそんな日常を脅かそうとしているが。


 もう忘れようと思っていても、今でもふと歩璃の横顔を見てしまう。彼女が本当の意味で僕を見てくれることは未来永劫にないんだと分かっただけで胸が苦しくなった。


 この世は不平等だとつくづく思わされる。





 


「分かってるよな。うちは数少ない名門の高校だ。お前みたいな無断で休む奴が風紀を乱すんだ」


 放課後に呼び出しを食らった。いじめには目を瞑るくせに、こういう所は厳しい。全く説得力のない長話を聞き流す。


「明後日の林間学校のことで俺も忙しんだ。手を煩わせないでくれよ」


 思えばこのクラスの担任は人によって態度を変える人だった。クラスの中心人物など輝いているような人には校則を破っても「ダメだぞ」と軽い口調で注意するだけだから。


 




 放課後、気づけば校内からひとけはなくなり、いつものように校庭から部活動に勤しむ人たちの掛け声が聞こえてくる。よく磨かれたコンクリートの廊下に靴音を鳴らせ、教室へ戻る。


 何も考えずに教室に入ったのが間違いだった。


「あ……優一くん」


 昨日の件もあって、やはり歩璃も距離感に戸惑っている様子だった。


「……」


 僕はこれといってかける言葉が見つからなかった。いや、正確には探さなかったと言ったほうがいい。これ以上彼女に関わるのは自分を滅ぼすと思ったからだ。きっと僕は男女の友情は成立するか、という問題は否定派なのだろう。


 付き合えないと分かっているのなら、もう変に期待はしたくない。そもそも付き合える可能性が1%でもあると思っていたのが滑稽な話だが。


「あのさ……」

「また明日」


 僕はバッグを取り、そう言い残して教室を出た。彼女にはいくらでも人が集まってくる。僕なんかが距離を置いたって彼女は何も変わらないだろう。




 

 林間学校を休む、という選択肢もあった。でも僕は人から干渉されるのが好きではない。今更休んだところで周りに迷惑をかけるだけだ。悪目立ちするのはもってのほか。


 そんなことを考えながら靴を履き替える。


「今度はちゃんと用意できてるよなぁ! あん!?」


 玄関を出ると、校舎裏からそんな声が聞こえてきた。この学校は本当に腐ってる。

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