12話 「あの、やめてあげてください」

 いつか、校舎裏で数人の男たちにカツアゲを食らっている生徒を見た。今、目の前にいる被害者はその時に見たものと同じ生徒だった。いじめる側もよく懲りないものだ。


「来週には必ず用意します!」

「は? 前もそう言ってたよな?」


 主犯格と思われる目つきの悪い少年が、地べたで土下座している生徒の頭を見下ろしている。


 どうも胸がムカムカとしてくる。ひ弱な僕がどうにかできる問題ではないのだが。


 いや……。


 ふと僕はバッグの中にクマホという不思議な端末が入っていることを思い出した。


 『身体能力強化』というくだらないと思っていたその能力も検証は済んでいる。もしこれが本当なのなら。こんな状況で咄嗟にクマホに頼ってみよう、という発想になったのが少し悔しかった。


 僕はその能力のレベル1を使用してみることにした。


「っ!?」


 やはり思い込みではなかった。たちまち体は軽くなり、目が冴えたように思う。身体能力強化とは、名前の通りに受け取れば身体の機能が強化される。つまり力も体力も増えるということだろうか?


 だとしたのなら今の僕は強くなったのだろうか。


 勇気を出し、1歩を強く踏み込んだ。


「あの、やめてあげてください」


 口にしておいてなんだが、彼らの前に立ちはだかっている自分に驚いている。以前、僕はこの現場に出会した時に何もできなかった。心の片隅で後悔をしていた。何もできない自分を卑下していたが、僕は1度死を味わった。


 本当は死んでいたはずの命。どうせ死んでいるのだから何をしたって怖くない、そんな思考になっている。だからか、もう彼への恐怖心は薄れている。


「誰だ? 邪魔すんのか?」


 それは高校生の目ではなかった。殺意を絡んだ鋭い眼光。平気で人を殺めていると言っても疑わない。


「自分たちが何をしているか分かってるんですか」


 見知らぬ人の前なのに、心なしか言葉がスラスラと出るようになっている。これも自信からなのだろうか。


「は、誰だ? マジでだりぃな」


 突然その鋭い目つきの男は、自分めがけて駆け寄ってきた。身体能力を強化したはいいものの、思えばこのあと何をすればいいか考えていない。僕はとりあえず顔面に目掛けて飛んできた彼の拳を受け流そうとした。


 はずだった。


 目の前の視界が一瞬真っ白になった。頬に強い激痛が走ると共に、僕はアスファルトの地面に手をつく。


「くっだらねぇ。きっしょい前髪しやがって」


 やはり痛みに慣れる事なんて一生ないんだなと実感する。そして、僕は思わず苦笑してしまった。


「殴られて笑ってんのか? キモいな」


 クマホなんて所詮は子供騙しの道具だった。僕は本当に騙されやすい人間だ。


 体が軽くなった? 目が冴えた? 何度反芻しても笑いが止まらない。少しでも信じていた自分が馬鹿馬鹿しすぎる。


「こいつヤベェ、お前ら帰るぞ」


 気づけば彼らは1人残らず居なくなっていた。僕もいい加減笑うのをやめ、その場を立ち上がった。


「大丈夫です?」


 僕は擦りむいた手のひらを彼に差し出す。


「な……んで……」


 たが彼は手を取ろうとはしなかった。


「えっと」

「なんで……邪魔したんだよ!!」


 思ってた返答とは180度違うものだった。


「……もう少しで……解放されると思ってたのに!! また悪化するじゃねぇかよ!!」

「……」


 全身が砂だらけで、いつかの僕のような痣のついた額で見上げてきた。怒りに満ちていたその目には涙が浮かんでいる。


「もう……2度と邪魔しないでくれ」


 地面に小石を思いっきり僕に投げつけてきて、彼はその場を去っていった。


 もう何が本当で何が嘘か分からなくなってきた。あの時現れた悪魔だってあれ以来姿を見ていない。


「はぁ……」


 エネルギーが全て抜けるようなため息を吐き、家に帰ることにひた。


 そんな時、ふと背後に視線を感じた。しかし、振り返るも正体は分からなかった。




──




「優一、明日早いんだからゲームやめて寝なよ」

「やだね」

「私の最後の晴れ舞台、見に来てくれないの?」


 3年前、僕が中学1年生の頃、2つ年上の姉は高校受験を控えていた。毎回爪痕を残していたピアノコンクールも勉強に勤しむという理由で出場も最後にすると言っていた。


 高校でも続ければいいじゃんと言っても、姉は回答を濁してくる。ピアノの世界はそんなに甘くないから、高校の勉強は大変だから、ちゃんとした仕事に就きたいからと。


 だが3年経った今になって僕は分かってしまった。姉があの時、高校を卒業してすぐに仕事に就きたいと言っていたのは僕が安心して大人になれるように、生活費、学費、その他諸々を負担したいから、という意味だったのだ。


 僕の家庭はただでさえ貧乏だった。父はブラック企業に勤め、母は鬱で四六時中寝込んでいた。だから料理や洗濯、掃除など家事は全て姉がやっていた。嫌な顔一つせずに……。




「起きて、ほらバス乗り遅れるから」


 今では、なぜそんな行動を取ったのか全く理解ができなかった。それが反抗期で片付けられる物であってほしくなかった。


「うるさいなぁ。静かにしろよ!」


 今思い出してもはらわたが煮えくり返る。今とは全く異なる性格の僕。ただ姉にコンクールに行ってほしくないという理由で僕は反抗した。寝起きの機嫌の悪さもあったと思う。


「もう……だから早く寝なって言ったのに」


 間違いない。間違いないのだ。姉はいつだって正論だった。だから僕が間違ったことに気づく頃には、もう何もかもが手遅れで、今でも毎日のように後悔している。




 あの日々に戻れたらな……。




──




 目が覚めたらもう夜更けの時間だった。帰ってすぐに寝てしまったのだろうか。だとしたら寝すぎである。


『お前何泣いてんだ?』

「──っ!?」

『んな驚くことねぇだろうよ』


 心臓が止まるところだった。暗闇の部屋の真ん中で悪魔が宙に浮きながら恐ろしい目つきで僕を凝視してきた。本当に目が覚めるような容姿をしている。


「今までどこに行ってたの」

『旅行だ』

「え」

『旅行はいいぞ。人間はもっと旅をするべきだ』

「……」

『なんだよ、無視すんなよ』


 すっかり目が覚めてしまった。もう夢かどうかなんてどうでも良くなってきた。ただ目の前に見えてるものを受け入れようと思う。


「あんまり人目につかない方がいいんじゃないの?」


 僕は乾いた目を擦りながら身体を起こす。


『よくぞ聞いてくれた。まぁ当然だろう。俺はお前以外には見えないからな。あとそのクマホに触れたやつ以外はな』


 そんな都合のいい存在があるのだろうか。僕はベッドから立ち上がり椅子に腰掛けた。


 こんなに寝てしまったし、今日は朝まで眠れないだろうな。


「それで、今更現れて何か用でも」

『察しがいいな。明日JKが誘拐される。それを止めて欲しい』


 鳥肌が立ってしまった。恐怖そのものを連想させる容姿の悪魔がドスの効いた低い声で「JK」と口にするのだ。これほど気色悪いものは他にない。


 とはいえたしかに先日悪魔は負の事象を食い止めてほしいと言っていた。


 冗談じゃないのだろう。本当に問題を提示してきた。


 つまりその起こるかも分からない少女の誘拐を僕が未然に防ぐということだ。なんとも荒唐無稽な話だ。


「それで、具体的にはどうするの」

『は?』

「は? とは」

『具体的もクソもねぇよ』

「場所とか、時間とかは。誰が襲われるとか」

『そんな事知らねぇよ』

「……」


 まさか僕にそんな抽象的な情報だけで、明日どこかで起こる知らない少女の誘拐を防げとでも言うのだろうか。流石に無茶な話だ。


「それ……予知って言うの?」

『予知だろうが。明日JKが誘拐されるんだよ』

「……はぁ」


 僕は何か誤認していたようだった。もっと問題の原因などをはっきりさせて、負の事象の根本的な部分から解決して、丸く収める物だと思っていた。


『まぁその時間になればなるほど全容がはっきりしてくるから安心しろ!』


 直前にならないと場所も人も正確には分からないということだろうか。そんな切羽詰まった状況に僕はこれから順応できるのだろうか。


「不便だね」

『おい、粉々ににするぞ』

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