2話 痛いけど頑張る
僕は誰にも干渉されない平和な生活を望んでいただけだ。誰にも認識されない影の薄い人間でいたい。ただでさえ家で理不尽に暴力を振るわれているのに、まさか学校でもこんな事になるとは思わなかった。
「おいお前、優一とか言ったっけ? 頼み事があるんだけどよ」
林間学校に向けてのグループワークが終わり、放課後、玄関へ向かおうと廊下を歩いている時のことだった。
他人に興味がない僕でも、目の前に立ちはだかるガタイの良い男の事は嫌でも耳に入ってくる。同じクラスのカースト上位の一人──拓馬。自己中の代名詞で、気に入らない人間を標的に作ると、納得いくまで暴言や暴力でねじ伏せてくる。一番関わりたくない人だ。
「なぁお前、グループ俺と交換してくれよ」
言葉に詰まる。ここまで自己中だとは思わなかった。理由なんて聞くまでもなく、桐崎歩璃の存在だろう。それでも不意に僕は口を開いていた。
「ごめんなさい」
なぜそんな言葉が出たのか自分でも分からない。反感を買わないよう大人しく要求を飲めばいいのに。
なくしたはずだった小さなプライドが急に芽生えたのか、一目惚れした彼女と同じグループという機会を逃したくなかったのかは分からない。
「は?」
「……」
無言のまま彼の顔を見上げる。
「生意気だ。断るのか? おい」
「っ……」
なぜ僕は胸ぐらを掴まれているのだろうか。理不尽にも程がある。
ただ拓馬の鋭い目を間近で見続ける。僕より一回り大きい体格の拓馬は僕を見下ろしている。威圧感が凄まじい。
「なんだよ……その目はよ゛!!」
瞬間、僕は頬に強い衝撃を感じ、床に倒れた。殴られたのだ。脳内に衝撃が響き渡り、視界がぼやける。痛い……ジンジンする。
「お前、明日から覚悟しとけよ」
拓馬はそう言うと僕を尻目に去っていった。放心状態のまま、やがてしてその場に立ち上がり、僕は何事もなかったかの様に玄関に向かう。
思えば拓馬は非道極まりない人間だ。男女関係なく手を出す。こないだもメガネをかけた消極的で少し僕と雰囲気が似ている様なクラスの女子をたぶらかしていた。
きっと明日から標的は僕に移るのだろう。そう確信した。
靴を履き替え玄関を出ると、背後から「待って」という声。すかさず僕は頬にできたあざを隠す。
「早いよゆーちゃん」
「……」
幼馴染の香織が、毛先が肩にかかる栗色の髪を揺らして歩いてきた。バレー部に所属している彼女だが、今日はオフの日らしい。
香織は昔から陽気で愛嬌がある。そしてその柔らかく整った顔立ちで数多もの男を骨抜きにしてきた。小さい頃からそばで見ていたので、その功績はよく覚えている。
幼少期から共にし、今までをそういう目で見た事はないが、初めて香織に会っていたらどんな気持ちになるのだろうか。まさに僕と対極の存在だ。
「駅前に新しくできたカフェ行こうよ」
「僕は……帰るよ」
いつものように誘いを断る。彼女は力なく「そう」と眉をひそめた。
そもそもお節介が過ぎるのだ。彼女は友達が多く、僕なんて放っておいても何も困らない。しかし友達の誘いを断ってまで僕に気にかけてくる。
そんな会話とも言えない言葉を交わし、僕らは始終無言で帰る。
「また明日ね」
「……」
家の前で別れた。
幸いにも母は居なかった。よく母はどこかに出かけ、帰ってこない日は珍しくない。どうでもいいことだが。
翌朝、あざができた頬にガーゼを貼って登校した。教室に入るとあの拓馬が僕の机に座っていた。覚悟しとけよと言われたので覚悟はしていたが、こんなに露骨にやってくるとは思わなかった。教室の雰囲気も強ばり、視線が僕に集まっていた。
目立ちたくない僕からすると、これほど不快な事はなかった。だから黙って踵を返し教室を出ようとすると、
「おい、待てよ」
拓馬は追いかけてくる。
「無視すんのか?」
この高校は名門で普通の学力では入学できない。彼の様な暴力的で倫理観のない人に学力があるとは到底思えない。
「なんだよその目は」
追いかけっこは面倒なので立ち止まり、顔を向ける。しかし目を合わせているだけでこの言われ様だ。蔑んだような目だった。
「舐めてんのか?」
つくづく思う。もし僕が強かったらこんな思いをせずに済むのだろうか。バシッと意見を言える勇気を持ち、舐められない体格、力、自信が有ればこんな理不尽な仕打ちは受けなくていいのだろうか。
「ごめんなさい」
「はぁ? 何がだよ」
本当にその通りだ。僕は何に対して謝っているのだろうか。
「はいお前ら席つけー。ホームルーム始めるぞ」
担任が来てくれたお陰でこの対峙は終わりを迎え、拓馬は舌打ちしながら自分の席に戻ってくれた。
今日も林間学校に向けてのグループワークがあった。僕はこれを楽しみに学校へ投稿している。
「優一くん、それどうしたの?」
「ちょっ……とね」
「そう、お大事にね」
「……」
怪我の心配をしてくれるそんな歩璃は僕の生き甲斐だ。一つ一つの言葉が優しい。そして漂う鼻腔いっぱいに広がる甘い香り、変態の自覚はないが、彼女のその一つ一つが愛おしくてたまらない。
僕が彼女と話すきっかけはこのグループワークしかない。世間話くらいの、ほんの少ししか会話はできない。それでも僕にとってはとても嬉しい。彼女の事はまだ何も分からないが、着実に知っていきたい。
「ほら歩璃、話進めるぞ」
「うん、ごめんね」
きっと彼女が僕みたいな奴と話すことが気に食わないのか、グループリーダーの真斗は水を差してくる。
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