『完璧な密室』

『完璧な密室』


 あらゆる可能性を排除して、最後に残った事実がどんなに不可思議であっても、それが真実である。


 なんて名言は、甚だ見当違いであると思う。


 なぜなら、真実は必ずしも、人間が認識できるものであるとは限らないから。


 目の前に広がる光景を見て、一人の少女、浅間透花(あさまとうか)は持論を胸の中で固めた。


「父さん……」


 父は偉大だった。殺されるような性根の持ち主ではなかった。


 なのに、死んだ?自らの書斎で、眠るような顔立ちをして事切れている。


「どうして……?」


 分からなかった。完全無欠な父がなぜ殺されなければならなかったのか。


 なぜ、胸をナイフで一突きにされて無残な姿を晒さなければならなかったのか。


「お辛いでしょうが、お聞きします。あなたの父親、浅間孝太郎(あさまこうたろう)さんで間違いありませんか?」


「はい……」


 不躾な刑事の質問に、透花は胸に溜まっていたものを吐き出すかのごとく、そう応えることしかできなかった。



 ※※※



「密室は、パターンに応じて数種類に分類することができます」


 とある喫茶店のテーブル席で、香は持論を展開した。


「一つは、犯人が殺害を実行し、なんらかの手段を用いて密室を作り出したパターン。これは極めて初歩的です」


「初歩的……。誰もが思いつくから」


「ええ、そうです」


 香先生は出来の良い生徒、高校時代の同級生である透花の回答にご満悦のようだ。


「その中でもさらにパターン分けすることが可能で、なんらかのトリックを用いて扉を施錠したり、鍵を入手したりなどがあります」


「でも、父さんの場合は違う。そんな証拠、どこにもなかった」


「ええ」


 香は短く相槌を打ち、アイスコーヒーを含んだ。


「トリックを用いれば、現場や関係する物品などに必ず証拠が残ります。透花さんのお父さん、孝太郎さんの現場と遺品には証拠がなかった。それは確かですね?」


「うん。父さんは書斎で倒れてた。胸にナイフが刺さった状態で。書斎の鍵は父さんの背広の胸ポケットに入ってて、書斎は内側から鍵がかかってた」


「まさしく密室ですね。鍵はその一本しかないのですよね?」


「うん」


 首を縦に振り、抹茶ラテに口をつける透花。


「古い錠だとかで、複製されたら記録が残るはずだって。絶対に二つとして存在しない鍵だって、刑事さんが言ってた」


「なるほど。となると、一つ目のパターンは当てはまりませんね。警察が調べても証拠が発見されないのであらば、そこにトリックが存在していないということでしょう」


 鍵は一つしかなく、部屋は内側から施錠されていた。


 殺害現場は至極単純な状況ではあるが、言い換えるとそれは完璧な密室であった。


「それならば、二つ目のパターンです。これも刑事ドラマや創作の中で使い古されたものですが、そもそも他殺ではなく、自殺だったというパターンです」


「ありえない!」


 思わず大声が出た。


 いくら馬が合う友人とはいえ、父の尊厳を傷つける発言は許せない。


 知的で、どこか自分と似た雰囲気を持つ香に対して、透花は憤った。


「その根拠は?」


「父は完璧主義な人よ。スケジュールも半年先まで埋まってた。これから死のうとする人が、仕事の予定なんて入れると思う?」


「衝動的な自殺なら、なくはないんじゃないでしょうか」


 あくまで冷静な香の物言いに、透花の怒りはますます募った。


「いいえ、絶対にありえない!父さんが死を選ぶとするなら、仕事の予定も、プライベートな予定も、すべてきれいにしてから事に及ぶはずなの!」


「孝太郎さんの完璧主義な人柄はよく知っています。確か弁護士をされていたんですよね?」


「うん。どんなに不利なケースだろうと100パーセント無罪を勝ち取る、文字通りの無敵の弁護士だった……」


 話している最中に父のことを思い出し、顔を伏せる透花。


「父さんが救いを待つ被告人を差し置いて死ぬなんてこと、ない」


「それは、透花さんがそう思いたいというわけではなく?」


「違う。客観的に見ても100パーセントない」


「そうですか」


 絶対的な否定に、香は思案顔を作った。


 完璧主義な人間ほど、その完璧さが失われる瞬間を誰よりも恐れ、忌み嫌う。


 そんな心理状態の中、完璧であることに疲れ、不意に嫌気が差しての心中ではないと言い切れますか?と問おうと思ったが、香は踏みとどまった。


「では、三つ目のパターンです。現場は密室だったが、犯人が密室内に残っていたパターン。今回の件で言うと、机の下や本棚の陰に犯人が隠れていた、なんてことはありませんか?」


「それもない、と思う。第一発見者の、秘書の中寺(なかでら)さんが扉を蹴破って中に入った後、父さんを見つけてすぐに通報したから。その間に室内を見たけど、誰もいなかったって。というか、机の下は人が隠れるには狭すぎるし、本棚は壁に沿って置かれてるから死角なんてない」


「そうですか。その秘書の方の証言を信じるなら、三つ目のパターンも違いますね」


「中寺さんを疑う気?彼は二十年以上父さんとやってきた仲なのよ?」


「何年来のパートナーであろうと、人が人を殺すときは呆気ないものです」


「そんな言い方……」


「本当にそうですよ」


 機械的に言い放つ香の雰囲気に圧倒され、透花は言葉に詰まった。


 空気がなんとなく気まずくなり、二人とも自分のドリンクを手に取る。


「……三つ目のパターンも違うとなると、残るパターンは一つです。犯人がなにか超常的な手法で、孝太郎さんを刺殺した」


「私が聞きたいのはそれよ!」


 透花が再び興奮する。


「香、不思議なことを呼び込む才能があったじゃない。高校の頃もそれで大変な思いを……」


「その話はまた今度にしましょう。聞きたいことというのはなんですか?」


「……あ、ああ、そうね」


 深呼吸して、次の一言を発する決心をつける。


「香。父さんの死に、香の言う超常的な手法が使われたの?父さんは、いくら除外してもたどり着けないような方法で殺されたの!?」


「そうですね……」


 顎に手を当てる香。


「その可能性もあると思います。ですが、四つ目のパターンはいわば反則技です。あらゆる検証をし、前三つのパターンがことごとく否定されなければ使えない奥の手です」


「だったら、検証して!必要なものはなんだって用意するから!」


「私一人が今になって調べても、警察が調べた以上のものは出ないでしょう。誰もが思いつかないようなトリックも、先ほど議論したように存在しない可能性が高いです」


「そんな……。じゃあどうすればいいの!?」


「そういうときは、違う視点から考えてみるんです。例えば、犯行の動機とか」


「動機……。父さんは仕事上、検察の人とか犯罪の被害者遺族とかに恨まれてたと思うけど、家まで押しかけて刺すほどでは……」


「そうですか。凶器はなんです?」


「家の、キッチンにあった包丁。片刃のやつ」


「そうですか」


 教師と生徒による、一問一答が始まった。


「刺し傷はどうだったか、分かりますか?」


「どう、とは?」


「どのように包丁を刺されたか、どこに刺されたか、刺し傷の数はいくつか、などです」


「えっと、包丁は正面から体に対してほぼ垂直に心臓を一突きって、刑事さんが……」


「そうですか。では、発見時の孝太郎さんの……、遺体の状態は?」


「仰向けになって倒れていたと。包丁の柄が胸に刺さっていて、中寺さんが事件性を疑ったって」


「凶器の、包丁の柄から指紋は?」


「出なかったって。でも拭き取られた形跡があった」


「なるほど。では、孝太郎さんの利き手は?」


「右利き。そんなこと関係あるの?」


「あるかは分かりません。ですが……」


 香はそこで、息を一つ吐いた。


「……一つの可能性に行き当たりました」


 喫茶店の、彼女たちを取り巻く空気が一変した。


 

 ※※※



「なに!?なんなのその可能性って!」


「その前に一つ。今から話すことは、全て憶測です。それを承知して頂けますか?」


「ええ、承知するから今すぐ教えて!」


「分かりました」


 香は、アイスコーヒーを充分な量飲み干した。


「結論から言うと、孝太郎さんは自殺したのではないでしょうか」


「自殺!?それはないって……!」


「怒る前に、まずは話を聞いてください」


 冷酷に香は告げた。


「まず前提として、人が自殺するような環境下に置かれたとき、その人の精神状態は尋常なものではないことを考慮してみてください。透花さん、もう一度聞きます。あなたのお父さんは本当に、自殺するような状態ではなかったと100パーセント言い切れますか?」


「言い切れ……ないわ。父さんの気持ちをいくら想像しても、私は父さんじゃないもの」


「そうです。当時の当人の気持ちは、決して後から他者が決めつけていいものではないのです」


 そう断言する香。


「腑に落ちないのであれば、仮定の話で済ませてください。仮に孝太郎さんが、自殺するような心境であったと仮定します」


「……うん」


「そのような心境に陥る際、その心境は大抵は衝動的に発生するものです。事件当時、おそらく孝太郎さんは急に、死にたくなった。そのような心持ちになった。……仮定の話です」


「……うん」


「そういう気持ちが衝動的に発生したのであれば、凶器を身近なものに選んだことの説明がつきます。それと同時に、孝太郎さんが陥っていたもう一つの感情を説明する理由付けにもなります」


「なに?」


「それは、自殺を誰にも邪魔されたくない、という感情です」


「誰にも、邪魔されたくない?……だから、鍵をかけた!?」


「だと、重います。鍵は二つとしてこの世にありませんから、中から鍵をかけてしまえば誰にも邪魔されません」


 そういう、ことだったの?


 透花の胸の中に納得と、どうして自殺したのかという新たな疑問が同時に湧いた。


「さて、凶器を用意して、扉を施錠した孝太郎さんは、いよいよ自殺を決行してしまいます。床に仰向けになり、包丁の刃先を心臓の位置に当て、一思いに……」


「待って。香は父さんが仰向きに倒れていたからそう推測したんだろうけど、色々飛躍しすぎてない?」


「飛躍しすぎ、ではないと思います。孝太郎さんの死に際の顔が安らかであったこと、心臓を一突きされほぼ即死であったこと、それと胸ポケットの鍵のことを考えると、あながち的外れではないように思えます」


「待って、ちょっと待って」


 淡々と告げられる内容に、理解が追い付かなくなった透花は待ったを申し出た。


「胸ポケットの鍵のことってなに?それが父さんの自殺を裏付ける根拠になるの?」


「十分になり得ます。孝太郎さんは右利きです。なら、鍵をかけるのも右手。であるならば施錠した後、鍵はどうやって背広の胸ポケットにしまいますか?」


「どうやってって。右手で、左の胸ポケットに。……あっ!」


「そうです。鍵は心臓の真上付近にある左側の胸ポケットにしまわれたはずです。他殺であれば、その状況で犯人が鍵を避けて心臓を一突きにするのは難しいはずなんです。胸ポケットにある鍵が邪魔ですから」


 遅ればせながら、香の言いたいことを理解できた透花。


 しかし、真実はあまりに残酷なものであった。


「じゃあ、父さんは自殺……?」


「かもしれないという話です。あくまで、私の話は推測です」


「そんな……」


 父さんが仕事をほっぽって、私のことをもほっぽって死を選んだというの?


 香の言いたいことは理解できたが、その可能性は理解したくなかった。


「自殺の動機については、やはり仕事面のストレスではないでしょうか。完璧であり続けるのは、それ相応の苦痛を伴うものだったんでしょう。私に孝太郎さんの気持ちは推し量れませんが、そう邪推はできます」


「かも、しれないわ……」


 透花は、信じていたものが打ち砕かれた気分になった。


 真実は確かに存在した。ただ、それを見るフィルターが濁っていただけだった。


「今回の事案の真実は、今言ったことか、何者かが超常的な手法で殺害に及んだか、です。どちらを信じるかは透花さんにお任せします」


「……」


「あ、お会計お願いします」


 香が手を挙げ、店員を呼び止める。


「アイスコーヒーと抹茶ラテのSサイズ、合計で960円になります」


「こちらでお願いします」


 その後の店員と香の事務的な会話は、放心状態の透花の耳には入らなかった。

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怪異探偵雛菊香 @LostAngel

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