『猫がいた殺人』

『猫がいた殺人』


「化け猫が人を殺した、ですか」


 真夏、昼下がりのとある喫茶店。


 化け物がいるとされる通りで知り合った警官、三村から一通りの話を聞いた雛菊香は、ストローに口をつけてアイスコーヒーを啜った。


 彼から聞くところによると、通りの事件は無事解決したらしい。香の推理通り、美容院のハサミと肉屋の解体包丁から血液反応が出たことが決め手となった。


 まあ、それはさておき……。


「そうなんです。事件が起きた際、扉には鍵がかかっていて、部屋の中にいたのは猫だけだったんです。ですので、猫が化けて殺したとしか考えられないと」


「つまり殺害現場は密室で、猫だけがいた」


「はい」


 非番の三村は頷き、アイスレモンティーに口をつけた。


「でも完全な密室かと言われると、そうでもないんです。猫が通る用の、小さい出入り口が扉についていましたから」


「なるほど。ペットドアってやつですね」


「そうですそうです」


 話しながら香はハンカチで、三村は大きめのタオルで顔にまとわりつく汗を拭う。


 今日も暑い。会って事件の話をする予定さえなければ、家でクーラーを浴びてアイスでも食べていたかった。


 二人とも、そう思っている。


「簡単に事件のことは把握できました。ちょっと状況が分かりづらいので、おさらいしましょうか」


「はい」


「まず、被害者の名前は安田幸一(やすだこういち)。同名で執筆活動をしている小説家」


「そうです。俺はちょっと、聞いたことない名前でしたね」


「私も初耳でした。まあ、そこはいいんです」


 この世には腐るほど小説家がいますから、知らないのも無理はありません。


 とは、流石の香でも言わなかった。


「被害者は自宅で何者かに首を絞められて殺害された。凶器は猫の尾のように細長いひも状のもの」


「現場から凶器は発見されませんでした。犯人が持ち去ったか、あるいは……」


 「化け猫の尾だから、もともと凶器が存在しないか」。そう言わんばかりに意味深に言葉を切る三村。


 通りのことを経験してか、彼は迷信深い性格になっていた。


「化け猫か否かについては、後で。……被害者の住まいは一軒家で、被害者は自室でうつぶせになって倒れていた」


「そうです」


 三村はもう一口飲んだ。つられて香もコーヒーを摂取する。


 店内のBGMがゆったりとしたピアノの旋律から、ちょっとポップなトランペットのものに変わる。


「被害者は部屋のほぼ中央に倒れていた。ちなみに、部屋の広さはどれくらいだったんですか?」


「十二畳ですが、テーブルや本棚といった家具を考えると九畳分くらいの広さしかないと思われます」


「なるほど」


 香は腕を組み、考え込んだ。


 新しい客が自動ドアを開けて生ぬるい風をよこしてくるが、店内は十分に涼しく、思考が遮られるほどではない。


「被害者の体におかしな点があったんですよね」


「俗に言う争った形跡ってやつですね。着衣は乱れ、腕はあらぬ方向に投げ出されていたんですが、首を絞められたことに抵抗してできる掻きむしった後、いわゆる吉川線はなかったんです。おかしいと思いませんか?」


「確かに、おかしいですね」


 暴れた形跡があるのに、吉川線はない。不可解だ。


 香はセミロングの髪をずらし、首の後ろにわだかまる熱気を追い払った。


「密室については、伺った通りなんですね?」


「はい。被害者の死亡推定時刻である夜十時過ぎ、被害者の部屋の鍵は閉まっていました。ですが、ペットドアがありますので完全な密室とは言い切れません」


「それに、玄関に置いてある鍵束に被害者の部屋の鍵があったと」


 玄関の靴箱上に家の鍵をまとめて置く家庭は少なからずあるが、安田家もその一つだった。


「そうです。なので、玄関から鍵を取れば開けられますが……」


「午後八時から作動する玄関を映した監視カメラには、鍵を持ち去る人物は映っていなかった」


「はい。安田家には被害者とその妻、高校生になる息子が一人いますが、誰も玄関には行ってませんでした」


「少なくとも午後八時以降は、ですね」


 香は目を光らせ、注釈を付け加えた。


 事件当夜、部屋の鍵は部屋の外にあり、人間の腕が通れるくらいのペットドアが扉についているという緩い密室ができあがっていた。


 妻も長男も家にいたが、犯行が不可能な状態。となれば、自然と疑いの目は部屋の中にいた飼い猫に行ってしまう……。


 というのは流石に暴論だと、二人は思っている。


 この密室は崩せる。おそらくあともう一押しがあれば。


 三村はそんな期待を込めて、こうして捜査情報を漏洩しているのだ。


「どうですか、雛菊さん。なにか分かりましたか?」


「そうですね……」


 香は露骨に思案顔を作る。


「一つ、確かめてほしいことがあります。おそらくこれがはっきりすれば、事件の道筋が見えてきます」


「ほう、なんですかそれは?」


 期待を込めた眼差しに変わった三村に、香は自分の推論を述べていく。


「それはですね……」



 ※※※



「雛菊さん、ありました。被害者の体内から睡眠薬の成分が!」


 数日後、同じ喫茶店で集まった香と三村は、再び秘密の捜査会議を開いていた。


「では、決まりですね」


「決まり、なんでしょうか。被害者が眠らされたとして、どうやって密室状態で殺人を?」


「さて、どこから説明しましょうか……」


 香は思案顔を作り、アイスコーヒーで唇を潤わせる。


「まず結論から言うと、この事件は化け猫が犯人ではありません」


「そうですか!」


 香のきっぱりとした一言に、三村が湧く。


「ええ、そうです。この事件では犯行が可能な人物が存在しますので、私の推理を基に捜査をお願いします」


「それはもう、全力で捜査させて頂きます」


 三村が敬礼する。


「まず前提として、おそらく犯人は奥さんです」


「ほほう。それで、どうやって密室を作ったんですか?」


「シナリオはこんな感じです。夕食に遅効性の睡眠薬を盛るなどして被害者を部屋で眠らせた奥さんは、被害者をペットドアの出入り口に首許が来るように寝かせ、玄関に置いてある鍵を使って鍵を閉めます。これを八時より前に済ませます」


「ペットドアの出入り口に首許が来るようにということは、扉に寄りかからせるようにして横たわらせたということですか?」


「そうです」


「でもそれでは、被害者が見つかったときの状況と一致しませんよ?被害者は部屋の真ん中で倒れてたんです」


「それは、これから説明します」


 香は言いながら、もう一口飲んだ。


「そして数時間後、死亡時刻の午後十時頃に、奥さんはひも状のものを持って部屋の前に行きます。ペットドアを開け、ちょうど目の前にある首にひも状のものを巻きつけ、被害者を絞殺します」


「そのひも状のものがなにかは……?」


「そこまでは分かりません。ですが捨てると却って目立ってしまいますし、かといって家の中のどこかに隠すのも警察によっていずれバレるでしょう。ですので、庭にでも埋めたんじゃないですか」


「庭ですか!確かに盲点でした」


 三村は黒い自身の手帳にメモしていく。


「被害者が絞殺された後の話に戻ります。被害者が亡くなった後、奥さんはおそらく、とあるアイテムを使って被害者の体を押し出したんです」


「押し出した?」


「ええ。被害者に吉川線がないのにも関わらず四肢と着衣が乱れていたのは、眠っている間に首を絞められ、その後に遺体を強引に移動させたからだと思われます」


「ははあ、なるほど」


 三村は納得がいったという顔でアイスレモンティーを口に含んだ。


「それで、そのとあるアイテムというのは?」


「ずばり、床を掃除するために使うワイパーです。モップのような長い柄に、先端にシートをつけられる棒状の掃除用品です」


「ああ、あれですか?うちにもあります。フローリングを掃除するのに便利なんですよね」


 詳しい製品名を出さなかったが、三村には伝わったようだ。


 彼はさらさらとメモをしながら頷く。


「そう、それです。奥さんはワイパーをペットドアから伸ばし、被害者の体を部屋の中央に押し出すことで、あたかも密室殺人が行われたかのように見せかけたんです」


「な、なるほど……」


 あまりにもあっけなく披露された真相に、三村は驚くことしかできなかった。


「睡眠薬を使った事前の体のセッティングと、ワイパーによる押し出しによって密室を作り出せば、犯行時刻に家にいたとしても犯人だと疑われる可能性は低い。奥さんはそれを狙ったんでしょうね」


「それはまた、狡猾ですね」


「計画殺人は、自分はなんとしてでも捕まりたくないという気持ちの表れによって行われます。奥さんはよっぽど被害者を恨んでいたんでしょうね」


「化け猫は奥さんだったというわけですね」


 三村がうまいことを言った。


「まあ、事件の動機を調べるのは警察のお仕事です。ワイパーと凶器が見つかれば、それが証拠になるでしょう」


「分かりました!」


 三村は再度敬礼し、二度目の捜査会議は終了した。



 ※※※



 一週間後。香は三村に呼び出された。


「雛菊さん」


「なんでしょう、三村さん。凶器とワイパーは見つかりましたか?」


「いえ、それが……」


 そこで、三村が舌なめずりをして言葉に詰まる。


 はやる香。


「それが、なんでしょう?」


「安田家の奥さんが使っていたのは掃除機で、ワイパーはありませんでした。息子さんも普段から掃除機を使っていたと証言しました」


「……なるほど」


「さらに庭をぐるっと捜索してみましたが、凶器が見つからないんですよ。土をある程度掘り返してみてもダメです」


「……なるほど」


 香は相槌を打つことしかできなかった。


 奥さんが犯人ではないのなら、先週香が説明したトリックは全くの見当違いということになる。まさか、息子が犯人ということもないだろう。


 そして凶器をどこかに処分していたとしたら、ワイパーの説明がつかなくなる。ワイパーではない棒状のものは思いつかないし。


 であるならば、導き出される答えは……。


「その奥さんと化け猫が、共犯だった。奥さんが被害者を眠らせ、部屋の中にいた飼い猫が化けて被害者を絞め殺した」


「そんなことが……!」


「ないとは、言いきれませんよね?被害者は奥さんと飼い猫の両方に恨まれていたんです」


 薬物反応が出ているのにもかかわらず、人間側に殺害を示す証拠が一切ない。


 とても信じられないが、その状況では今の香の一言でしか説明がつかなかった。


「奥さんは薬を盛ったとはいえ、直接手を下してはいません。罪に問うことができない」


「まさしく、完全犯罪……」


 三村がそう言った瞬間、氷がからんと音を立てて崩れた。

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