『瓶』

『瓶』


 人間は、瓶だ。


 肉体という器に魂という液体を込め、理性という蓋で栓をする。


 個人により、瓶の強度が違う。ガッチガチに硬い表面の瓶もあれば、薄く脆いガラスで構成される打たれ弱い瓶もある。


 魂の質も違う。中身のある液体で満たされた瓶もあれば、ろくに経験も積んでおらず、空っぽに等しいすかすかの瓶もある。


 一体、目の前のこの娘はどんな瓶なんだろうか。


 俺は、床ではいつくばって拘束されている彼女を睨みつける。


「起きろ、狸寝入りなのは分かっている」


 俺は微かに上下する胸を見ながら、仰向けの彼女に吐き捨てる。


 卑怯な女だ。こいつの魂の液体はきっと、どす黒く汚れているに違いない。


「ばれました?……って、ずいぶんきついなこれ」


 後ろ手できつく縛ったロープと両足首をひとまとめにした結束バンドの感触を感じ、苦痛に顔を歪ませる女。


 いや雛菊香は、俺にすがるような目を向けてきた。


「拘束、解いてくれませんかね?」


「嫌だ」


 即答する。


 なぜ、これから瓶にする相手を自由にしてやらなければならない?


「嫌ですか、分かりました」


 最近の娘にしては聞き分けがいいな。


 まあ、だからなんだという話だが。


 俺は香を無視し、自らの作業に戻るため背後を向いた。


「あなたが、今巷で噂になっている連続殺人事件の犯人ですね?」


 瓶にするための、手が止まった。


 連続殺人事件というワードに、俺は怒りを覚える。


「……人聞きが悪いな。俺は人を瓶に変えただけだ。なによりも忠実に人間のあり方を再現している、瓶という姿に」


「人間の最も忠実な姿は、人間そのものですよ。有川渡(ありかわわたる)さん」


 なぜ、俺の名を知っている?


 俺は改めて香の方に振り向き、今度は観察するように睨みつける。


「……お前、ただの女じゃないな」


「女子大生探偵、雛菊香です。ゆくゆくは自分の事務所を持つつもりです。今はまだ予定ですけど」


 香は無理な体勢のまま首を持ち上げ、未来の事務所を宣伝するかのように言った。


 果たして、香は瓶になっても探偵をやっていけるのだろうか。


 そんな疑問が湧いてくる。


「そうか、がんばれよ」


「はい、がんばります」


 含みをこめて皮肉を言うと、香は屈託のない笑顔を見せて答えた。


 ……良い瓶ができそうだ。


「今、もう少しがんばれば瓶になれるからな。きっと探偵業も成就するだろう」


「そこです!」


 もう少しあてこすると、香が急に声を張り上げた。


 思わず、耳を手で塞いで顔をしかめてしまう。


「あなたは、人を殺しているという自覚がない。瓶にする過程で人の骨や筋肉を砕いたり、頭蓋骨を切り開いて脳髄を取り出す行為に、まるで躊躇がない」


「なにを言っているんだ?」


 人間の骨格で瓶を作るのは当たり前だし、脳や血でその中を満たすのは普通だろう?しまいに、頭蓋骨の蓋で栓をするのも。


「俺は職人であり、芸術家だ。人間の根源を創作するクリエイターなんだ!」


 興奮して大声になる。


 なんとなく、目の前の香は理解してくれる気がした。俺の趣味であり仕事である崇高な行為に、同意を示してくれると思っていた。


 だが……。


「あなたはクリエイターではありません。ただの殺人鬼です」


 その一言。


 その一言で、全身の血が沸き立つのを感じた。


「人間の素材を使って瓶を作る?イカれています、狂っています。あなたのそれは芸術行為ではなく、あなたの欲求を満たすだけの下劣な殺人行為に他ありません」


「……」


 俺は無言で、戯言に耐える。


 俺の言うことを聞いたら、意味の分からない説教を返す。


 こいつも、以前瓶にしたやつらとなんら変わらない。なにも理解していない。


「ふざけるな」


 俺はそう呟くと、香の顔面を思いっきり蹴りつける。


 彼女の口から、なにか白いものが飛び散った。


「…………ひひょうはしょたいを、ひづつけれもいいんへすは?」


「どうせ、これからもっと傷つくことになる。構わん」


 それは小さな前歯だった。大切な、香の一部。


 瓶に入れよう。


 俺は吐血する香を捨て置き、廃工場の床を数歩歩いて歯を拾った。


「……本当ひ、私を瓶にふるつもりでふか?ふぉのトンカチとノコギリだけで」


「ああ。この二つは大切な仕事道具だ」


 なにも分かっていない香に、今度は俺が説教する番だった。


 相手にやり方を伝えずに瓶にしてしまうのは、俺のクリエイターとしてのポリシーにも反する。


「ある程度俺のやり方を知っているみたいだから、簡単にいくぞ。まず、こののこぎりで頭を切開する。頭蓋骨に当たったら、慎重にな。蓋にしなくちゃいけない」


「……」


「瓶に詰める液体を十分に取り出せたら、器を作る。全身をトンカチで砕いて、瓶の形に成型するんだ。このとき、その人独自の硬い部分や柔らかい部分を活かして形にする」


「おおえ……」


 香がもう一度血を吐いた。


 あまり感心しないな。瓶に使う血が足りなくなってしまう。


「器ができたら、瓶の口から液体を流し込み、頭蓋骨で作った蓋で栓をする。これで、瓶の完成だ」


「ふぉれではの、はたまを切られて脳とへんしんがぐひゃぐひゃひはったひたひが生はれるんですね」


 香は歯の抜けた口で、俺を罵倒してくる。


 なぜだ。なぜ俺の芸術性が理解できない!


 俺は後ろにある作業机に戻り、一枚のノコギリを手に取った。


「これ以上は、説明しても無駄だな」


「へつめいって、ほほはらへつめいにはってまへんよ」 


「黙れ。気が散る」


「へはほうすこし、へつめいしていただけ……」


「だまれええっ!!」


 思いっきり振り向き、一喝する。


「お前は瓶になるんだ!大人しく施術に集中しろ!」


「それは、自白と見てよろしいですか?」


 急に、部屋の入口の方から男の声がした。


 と同時に、複数人の男たちが部屋になだれ込んでくる。


「誰だ!?ここは鍵がかかっていたはず……」


「そんなもの、ここの管理者さんに開けてもらいましたよ」


 訳の分からないことを言う男。


 管理者?俺がこの、工房の管理者のはずだ。


 俺が知らない間に、鍵を開けてしまったのか?いや、そんな記憶はない。


「もう大丈夫です」


 と考えている間に、男の一人が香に近づいた。


「なにをするっ!」


 俺はとっさに駆け出し、手にしていたノコギリで彼女にまとわりつこうとした腕を切り落とそうとするが……。


「大人しくしてください」


 最初に言葉を発した気障な男によって、一瞬で組み伏せられた。


 俺はノコギリを叩き落とされ、床に頬を擦りつけるほど強く投げられる。


 すぐさま両腕を拘束され、すぐにガチャンという音がして手錠がはめられてしまった。


「二十三時二十五分、暴行罪、拉致監禁罪で現行犯逮捕」


 刑事ドラマでよく聞くセリフが耳に入り、俺はようやくこの男たちが刑事で、俺は逮捕されたのだと悟った。


 だが、なぜだ?


 なぜ俺が捕まらなければならない?


「あなたを止めるために、雛菊さんがおとり捜査を買ってくれたんです。現職の女刑事によるおとりはまるで意味を成しませんでしたから。あなたは、意図的に自分より弱い人を狙って犯行に及んでいた」


 俺を組み伏せた刑事が、意味の分からないことを言う。


「残虐な方法で被害者を殺した後、あなたは遺体を人目に付くところに放置した。痕跡を徹底的に消していたため捜査は困難を極めましたが、遺体の発見場所からある程度犯人の行動範囲を予測できました」


「……」


 押さえつけられた腕が痛みを訴えている。


 俺は黙って聞くことしかできなかった。


「あとは、おとり捜査が効いてくれました。我々の目を盗んで雛菊さんが拉致されたときは腹を切って詫びることも覚悟しましたが、間に合ってよかったです」


「ひょうこも、ひゃんとはりはふよ」


「あんまり喋らないで!」


 香は介抱している刑事に注意されながらも聞き取りづらい声でそう言うと、もう一度大きくえづいた。


 三度目に彼女が吐き出したのは、血となにかだった。


 ビニールに包まれた、小さな黒い機器。


「これは、レコーダーですか?」


「ひにつけているほとられるほおもっはんで、ほみほんでおいはんへす」


「身に着けていると取られると思って、飲み込んでおいたそうです」


「なるほど。そこまでやるとは、流石探偵さんです」


「へへへ……」


「ですが、ほとんど録音できていないと思いますよ。録れていても、あなたの心音や吐いたときの音くらいでしょう」


「ほ、ほうでふか……」


 意気消沈する香。


 そりゃそうだ。腹の中から外の音を拾う高性能なレコーダーなんて、あるわけない。


「というわけであなた、有川渡さんに至った経緯は以上です。残りは、署の方でたっぷりと話を聞かせてもらいます」


「……」


 取り押さえられた状態で刑事から言われ、俺は首を横に振ることも、否定の言葉を発することもできなかった。



 ※※※



「……っていうことがあったんですよ~」


 三週間後。


 歯の治療を終えて退院した香は、大学の研究室で先輩に事件のことを話していた。


「香、余計なことに首を突っ込むのはやめた方がいいって。死ぬところだったよ」


「反省してます」


 反省してるだけだ。もし次同じようなことが起きたら、迷わず首を突っ込むつもりだ。


 同じ学科の先輩はそう思ったが、これ以上咎めても無駄と判断して口を閉じた。


「雛菊。雛菊宛てに小包が来てる」


 とここで、外に昼ご飯を食べに行っていた優斗が戻ってきた。


 彼は小さな包みを持っていた。


「ありがとう優斗くん。誰からだろ」


 香は小包を受け取り、支障がない程度に軽く振ってみる。


 カラカラ、ピチャピチャ。


 およそ快気祝いにしてはしないような音が、小包の中身から聞こえた。


「開けてみてくれよ」


 香の次になんにでも首を突っ込みたがる優斗が急かす。


「うん」


 香は封を開け、何重にも包装されている包み紙を剥がすと……。


「えっ」


 あの夜折れてなくなったはずの歯と吐いたはずの血が、小さな瓶に詰まって入っていた。


「え……?」


『有川渡より』というメッセージカードが、茫然としている彼女の手からするりと落ちた。

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