『屋根裏部屋』

『屋根裏部屋』


 雛菊香は謳歌していた。課題のある夏休みを、図書館で過ごすことに。


 嘘、そんなものは嘘。謳歌とは程遠い。はやく自由になりたい。


 頭の中でうだうだとまとまらない考えをこねながら、ノートPCのキーボードに文字を叩き込んでいく香。


 香の家からほど近い距離にあるこの図書館は、学生に優しい。小中高の子どもたちはもちろん、香のような大学生や作業をしたい大人が使えるように、作業スペースがかなり広めにとられている。しかも涼しいときたもんだ。


 本を読むための場所なので香は多少自重しているが、今日くらい子どもが少ないのならば長めに使ってもいいだろう。


 そう考え、香は数時間前からノートPCに収まっている課題と格闘している。


「文学科なんだから英語はよいのでは……?」


 ブラインドタイピングの合間に漏れる、課題への愚痴。


 不機嫌な表情からも、香は相当ストレスが溜まっていると思われる。


「なんでここは過去形なんですか?こっちは原形なのに…」


「香さん」


 ぶつぶつ、ぶつぶつ。とりとめもない呟きとともに、香から発せられるただならぬ雰囲気。


 それを感じ取り、そそくさと帰り支度をする人まで現れた。


「だいたい、一文が長すぎるんですよ。こんなの、ネイティブなら使わないでしょう……」


「香さんたらっ!」


「わっ、びっくりしました」


 邪気に飲まれ、延々と課題に挑み続ける機械になろうかという香に手を差し伸べた一人の子ども。


 男の子だった。見た目は小学高学年か、中学生の低学年くらい。


 Tシャツに短パンという、いかにも男児といった服装で教科書や筆箱、ドリルなどが入ったバッグを抱えている。


「周りの人に迷惑だからやめよう、香さん」


「は、はい……」


 あどけなさの残る高い声色の一言で正気に戻ったのか、恥ずかしがって俯く香。


 大人と言っていい年代の人が子どもに怒られるのは、見ているこちらまで恥ずかしくなる。


「ありがとう正くん。きょ、今日はもう帰ろうかな」


「そうしよう、香さん」


 これ以上の生産性が見込めないと判断した香は、男児とともに図書館を出た。


 外に出ると途端に、湿った温かい風が二人を包み込む。夏の夕方を体現するような、じめじめとした熱気と強い日差しが織り成す外の空気。


「それで、正くんは今日もこの後公民館?」


「はい。下級生と遊んだり、図書室の本を読んだり、宿題をやったりします」


 あれ?正くん、さっき図書館で宿題やってなかったっけ?本読んでなかったっけ?


 香はそう思ったが、七月の暑さのせいで考えがまとまらない。


「大変だ。ちゃんと先輩してるね、正くんは」


「そんなことないです。香さんみたいになるにはまだまだです」


 私を目標にしていいの?


 なんてことを考えるのは、自分が惨めになるからやめとく。


 香はポジティブシンキングの持ち主だった。


 正くんは中学校で起きたこと、私は大学で起きたことを雑談のタネにし、ゆっくりと歩く。


 公民館に到着した。

 

「それじゃあ、またいつか図書館で」


「じゃあね」


 香と正はお互いに手を振り、岐路に着いた。



 ※※※



 問題が起きたのは、それから一週間後くらいのことだった。


「授業は真面目に受けておいた方がいいわよ?」


「はい、がんばります」


 一週間前のように挨拶をして正くんと公民館の前で別れた香の前に、一人の中年女性が近づいてきた。


「失礼ですがあなた、正くんのご家族ですか?」


「いえ、違います。強いて言うなら、図書館で知り合っておしゃべりする仲でしょうかね」


「そう、なんですね……」


 香の返答を予想していなかったのか、女性の言葉尻がすぼんでいった。


「あの、もしかして正くんについてお困りごとがあるんですか?それだったら、私が力になれるかもしれません」


「そ、そうなのよ実は……」


 女性の話によると、悩みは次の通りだった。


 彼女は公民館の職員で、主に学童保育に携わっている。小学生の頃の正くんを受け持ったこともある。


 しかし、学童保育は小学生までなので、中学に上がった正くんは学童保育のサービスを受けられない。もっと厳しく言うと、正くんは学童保育という名目で入館できない。


 たまにOBやOGが後輩を訪ねてくることがあるが、学童保育では特別な場合を除いて許可されていない。そして、正くんが毎日のように公民館に訪れるのは、その特別な場合では絶対にない、とのことだった。


「つまり、正くんが勝手に公民館に上がり込んでいるのをどうにかしたい、ということですか?」


「そ、一言にするとそうね。でも、私は正くんが小さい頃から世話してきたし、きつく言うのは心が痛むんです」


「なるほど」


 香は頷きながら事情を咀嚼し、次の質問に移る。


「正くんは、なにしに公民館に来るのでしょう?」


「さあ、他の子で手一杯で、私には分からないわ。ただ……」


「ただ?」


「何度かお話したことはあるけど、下級生の面倒を見るっていうのは頻繁に言ってたわ。でも、実際に学童の子たちがお世話されてるところを一度も見たことがないんだけど」


「下級生の面倒を見るといって、実際には見ていない、ということですか」


 香は数秒考え込むと、とりあえずといった口調で話し始めた。


「……これはありえないと思いますが、正くんはスパイかもしれません」


「スパイ?」


「ああ、いや、そんなに驚かなくても結構です。少し誇張しすぎました」


「スパイって、どういう意味よ?」


「ちゃんと説明します。正くんが嘘をついてまで公民館に忍び込んでいる理由を考えると、やはり目的は情報なのではないかと」


「あ、そういう意味ね」


 ほっと胸をなで下ろす、職員の女性。


 彼女はきっと、映画とかでよく見る危険な任務を想像していたのだろう。


「ですが、この推理が当たっているとしたら大問題です。多くの児童の個人情報が流失した可能性があるのですから」


「……」


 安堵したかと思ったら、今度は顔を青ざめさせる職員の女性。


「もし、そうだったら……」


「ですからまずは、公民館のセキュリティやデータベースをいま一度確かめてみることをお勧めします。ただ、正くんになんの事情があるか分かりませんから、頭ごなしに公民館に入るなと言うのはやめてあげてください」


「分かったわ」


「まずは、スパイ容疑を白黒つけましょう」


「はい!」


 まさに映画に出てくる捜査官のような役割を女性に与え、目の前の使命感に集中させる。


 そんなことを簡単にできる香は、やはり探偵の素質があるのかもしれない。



 ※※※



 さらに一週間後。もうすぐ八月に差し掛かろうとする、七月の下旬のある日。


 事態が動いた。


「パソコンのデータベースは全て無事でした。不正に情報が抜かれたとかもないそうです」


 一週間前に正くんと別れた後、公民館の前で落ち合った女性職員がたどたどしく説明してくれる。専門のエンジニアからの受け売りだろうから、たどたどしさは仕方ない。


「おや?」


 女性と話しているうちに、香は気づく。


 彼女の脇には、小学五年生くらいの女の子がいた。


「小学五年生の桜井美和です」


 美和は自己紹介し、小さくお辞儀をした。


 あどけなく白い肌の顔立ちと、サラサラな黒髪セミロング。まさしく、可憐な少女という言葉がぴったりと似合う出で立ちをしていた。


「大学二年生の雛菊香よ。香って呼んでね」


 香も負けず劣らずの可憐さを振りまいて自己紹介する。無駄なのに。


「……それでね、この美和ちゃんが見たんだって」


 挨拶がひとしきり終わった後、女性職員が話を切り出した。


「見た?なにをですか?」


「脚立と長い棒を使って天井の床板を外して、天井裏に上がっていくところを」


「あの人、正くん?が周りに誰かいないか確かめて、慎重に上に上がっていきました。二階のレクリエーションルームの天井裏です」


 二階の、天井裏。


 香の頭にフレーズが記憶される。


「公民館は何階建てですか?」


「二階です。なので、必然的に屋根裏でもあるということですね」


 天井裏でもあり、屋根裏でもある。


 中学一年生になったばかりなのに、下級生の面倒を見る。そして、『下級生と遊んだり、図書室の本を読んだり、宿題やったりします』という一言。


 全くない、とは言い切れない可能性。でも、全くないと断言してもいい。


「……」


 そんな結果が天井裏で待っているかもしれないと、香は戦慄した。



 ※※※



 次の日曜日。


 香は正を呼び出して公民館を訪れた。


 今日は臨時休館日となっているが、入口には相談してきた女性職員と美和の他に、二名の男性職員の姿があった。


「行きましょう」


 香は全員に聞こえるくらいはっきりと、先に進むことを宣言した。


 建物の中に入ると階段を上り、レクリエーションルームに入る。


「広いですね。天井裏の清掃は行っているんですか?」


「はい、半年に一度ですけど」


 男性職員と話している間、正が『天井裏の清掃』というワードに怯んでいたのを、香は見逃さなかった。


 やはり、天井裏になにかある。


 香は漠然とそう思った。


「それでは、お願いします」


 一行は、レクリエーションルームの中央に来た。


 香が男性職員に合図を出すと、彼らは抱えていた脚立を組み立て始める。


「ちょっと待って!天井裏を開けるの?」


「そう。ちょっと待っててね」


「いや……」


 男性職員は天井板を外すための棒を握り、天井に押し当てていく。


 しばらくすると四角く白い板が一枚、がこっとずれた。


「これくらいの作業なら、子ども一人の力でできなくもありません。脚立を立てる、棒を押し込むという動作を順番にするだけですから」


 職員が作業をしている間に、香が正たちへ解説していく。


「充分に気をつけてください。なにがあるか分かりませんから」


「はい。……うわああああっ!なんだこれっ!」


 作業に取りかかっていた男性職員が、大声を上げて棒を取り落とす。


 がらんがらんっと、棒が床に当たる音が部屋に響き渡る。


 なにかがあったようだ。


 香の面持ちが引き締まる。


「行きましょう、皆さん。天井裏になにがあるか、確かめるんです」


 香の有無を言わせぬ提案に、その場の誰もが頷くしかなかった。



 ※※※



「これが、正くんの言っていた『下級生』の正体です」


 全員が天井裏に上がってきたことを確認すると、香は高らかに宣言した。


 目の前にある無数の、ぶよぶよして大きく半透明な謎の卵たちが、『下級生』であると。


「これを見せられたからには、信じるしかありません。正くんはこれらの面倒をしに公民館に来ていたんです」


「ちょっと待って、これが『下級生』ってどういうことよ!カエルかなにかの卵じゃない、これ!」


「カエルはこんなに大きな卵を産みません」


「じゃあ、なんなのよこれ!」


 女性職員が突如パニックになり、香に当たり散らす。


 卵は大きさが約一メートルほど。卵殻がほとんど透けており、ニワトリの卵で言う卵黄に当たる部分が水色をしていた。卵白の部分は微かに銀色に光っている。


 そんな卵が、天井裏の至るところに転がっていた。


「私にも分かりません。私に分かっているのは、正くんがこの卵を下級生だと思い込み、一緒に遊んだり、学習を施していたということです」


「卵と、遊んでいたんですか?」


 美和からの指摘が入る。


「証言の通りなら、そうとしか考えられないです。正くんは、この卵たちを教育していた。図書館に行ってから公民館に行っていたのは、勉強したことを卵に刷り込みたかったからです」


「教育、刷り込み……。鳥なの?」


「この天井裏の秘密の部屋は、巣といったところでしょうか。まるで親鳥ですね」


「親鳥……。こんな中学生の子が?」


「そうです、親なんです。教育係といってもいいでしょう」


 香の熱弁のギアが上がってきた。


「ここから導き出される結論はただ一つ。正くんは洗脳されていたんです。この卵によって」


「ええっ!?」


「……」


 語る香、驚く職員と美和に、押し黙る正。


「正くんはおそらく小学六年生の頃、いたずらで天井裏にでも入ったんでしょう。そのとき洗脳され、自分はこの卵の世話係だと思い込まされた正くんは、中学に上がっても無理やり公民館に入るようになった」


「そして、卵の世話をするように……」


「そうです。正くんにとっての下級生というのは学童保育の小学生たちではなく、天井裏の卵のことだったのです」


 香はつらつらと、自分の推理を述べていく。


 一般社会の知識や情報、それとより良い住環境を提供するため、一人の男子中学生が働かされていたという歪な真実を丁寧に紡いでいく。


「そ、そんなことが……」


 女性職員が呆気に取られ、絶句する。


 卵を刷り込むのではなく、卵が刷り込んでくるなんて、どう考えても異常とでも言いたげだった。


「……」


 一方、正くんは一言も発さない。


 ただぼうっとしたような顔で、青白く発光する卵を見つめていた。


「どうかな、正くん。いや、卵たちの親と言った方がいいかな?」


 香はあくまで優しい声で、正に問いかけた。


「……」


 正は沈黙を返すのみだったが、やがて……。


「合っている」


 と、今までの子どもっぽい彼とは全く違う人格が現れて声を返した。


 これが、卵の親?いや、卵の代弁者か。


「完全に、人を支配できているんだ?」


「ああ」


「正くんを元に戻すことってできない?私たちが卵のために、協力できることはするから」


「ええっ!?」「木更さんは黙ってて」


 名前が判明した木更という女性職員が香の提案に驚くが、美和にぴしゃりとたしなめられた。


 これでは、どっちが大人か分からない。


「できない。一度変容した脳は、二度と元に戻せない」


「そう、なんだ……」


 明確な拒絶。超常的な存在自体ができないと言っているのだから、だれがどうやってもできないのだろう。


 香は諦めるしかなかった。さもなければ、目の前のなにか分からない存在に寄生されてしまう。


「私たちはこうして、生きてきた。宿主を見つけ、脳に作用して育ててもらい、成長したら旅立って子を産む。こうして、人に寄生してきた」


「寄生虫、みたいなものですか」


「あんなものと一緒にされたくないが、一番近いもので言うとそうだ」


「では、私たちのことも洗脳するんですか?」


「必要とあらば」


 そう言った途端、正だった存在の両腕がだらりと持ち上がった。両の指は首を絞めつけるかのようなポーズを取っている。


 それが、彼なりの威嚇だった。


「なら、卵たちの成長を手助けすれば、見逃してくれますか?」


「見逃そう」


 緊張感が続く、未知の存在との会話。


 それが驚くほどあっさりと、終了した。


「結構」


 こうして香、女性職員の木更、美和、二名の男性職員、そして正は、天井裏の謎の卵の世話係に任命された。


「この秘密、墓まで持っていきますよ」


「私、正くんの養母になる。正くん、父子家庭だから」


「私は正くんのお嫁さんになります。お傍でサポートさせて頂きます」


「俺たちは……、公民館の管理を自分たちでやります。もう誰も、天井裏には入れさせません」


「我は引き続き教育を施す」


 今の世代だけでなく、子の世代、孫の世代まで世話をする必要があるかもしれない。


 それは大変な作業だ。餌がなんなのかは分からないが、食費や屋根裏の環境を維持する労力もかかるし、決して他の人に気取られてはならないという秘密の維持も大変すぎる。


 だが、なんとしてでも成功させなければならない。


 成功させないと、洗脳されるんだから!

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