『ダイ アンド ダークナイト プリンセス』

『ダイ アンド ダークナイト プリンセス』


 ダイ アンド ダークナイト プリンセス。それは無料のブラウザゲーム。


 主人公がまず黒い姫騎士に殺害され、今度はその黒い姫騎士を操作することにより、主人公がどんな人物で、黒い姫騎士がなぜ主人公を殺害するに至ったのかを解き明かしていくストーリーだ。


 そういうストーリーなのだが……。実はこのゲーム、プレイすると呪われるとしてインターネット上では恐れられている。


 いわく、甲冑を擦り合わせたような金属音の幻聴がする。いわく、黒い姫騎士の姿が視界の端に移る。いわく、大きな黒い剣に刺し貫かれる夢を見る。


 そのような様々な呪いが、ダイ アンド ダークナイト プリンセスをプレイした者におとずれるという。


「なるほど……」


 という、とあるブログの語り文句を自室で読んだ香は、一人息を吐いた。


 そのようなゲームがあったのか。心霊にそこそこ精通していると自負していたが、知らなかった。


 やってみる価値はあるだろう。大学の夏休みが長すぎて、どうせ暇なのだから。


 香はブログを表示させていたウインドウを閉じ、新たに検索画面を表示させる。


「えっと、『ダイ アンド……」


 そしてゲーム名を口ずさみながら、細長い四角の中にタイトルを入力していった。


 エンターボタンを押すと、目的のゲーム『ダイ アンド ダークナイト プリンセス』は検索結果の一番上に表示されていた。


「これですね」


 香はタイトルのところにカーソルを持っていき、クリックする。


 ゲームは突然始まった。ノートパソコンの画面に、牢獄の一室のような暗い部屋が映し出される。


「牢屋でしょうね。主人公は捕まっているのでしょうか?」


 ぶつぶつと呟きながら、ワイヤレスマウスを動かす香。


 それに伴い、画面内の視界が移動する。


「操作が効くみたいですね」


 もしかしたら、牢屋から出られるかもしれない。


 そう思った香は、キーボードのwasdキーを駆使して室内を歩き回る。


 どうやら、一般的なPCゲームと操作は同じみたいだ。


「こういうのはアイテムが落ちているものですが……」


 牢屋の壁の正面と左右は縦横に走る鉄格子、後ろは灰色のコンクリートで構成されていた。


 壁や床、天井をしっかり確認してみるも、香はアイテムを見つけることができない。


「まずいです。こういうのは時間が経てば経つほど……」


 香は焦ってTabキーやEscキーを押してみるが、なにも起こらない。正面の壁に行き、鉄格子の扉に向かってEnterキーを押したりクリックを繰り返しても、主人公は扉を開けようとするアクションをしない。


「もしかして主人公は……」


 香がなにかにきづいたそのとき、カシャンッという金属音が響いた。


 一瞬噂の幻聴かと思って香は驚いたが、音はスピーカーモードにしているノートパソコンから発せられている。


「よかった」


 よくない。


 金属音は一回また一回と鳴り響き、だんだん大きくなってくる。


 確実に、主人公のいる牢屋に漆黒の姫騎士が近づいてきている。


「殺されるしか、ないですね」


 全ての操作が無意味だと悟った香は操作を放棄し、騎士がやってくるのを待った。


 ガシャンッと一際大きな音が鳴り、騎士が主人公の視界に入ってくる。


「わあ……」


 甲冑の独特なデザインが、暗い中でもよく分かった。


 洗練された球体のようなフォルムの兜に、剃刀の刃を彷彿とさせるエッジの利いた鎧が美しい。


 まさしく、一国の姫が着るような正装。


 こんな騎士に殺されるなら、主人公も本望だろう。


「そう、本望……」


 香はぽつりと漏らし、扉の前に行き直立した。


 鉄格子越しに黒い甲冑が歩いてくる。


 主人公と騎士が対面した。


「さあ……」


 騎士が鉄格子の扉を開ける。


 鍵すらかかってない扉は、きいと耳障りな音を立てて弧を描く。


「契りを交わしてください」


 騎士が剣を抜く。すらりとした黒色の剣だ。


 彼女は大きく剣を振りかぶり、一思いに振るった。


 斬撃を受け、主人公の体が肩口から真っ二つにされる。


 死んだ。


「ここからですね……」


 おそらくはそういうことだが、ゲーム内でそれを確かめなくてはならない。


 香は指の柔軟体操をしながら、画面が暗転するのを眺めていた。



 ※※※



 暗転が明けた。


 目の前には血みどろの主人公の遺体が転がっている。視点が主人公から黒い姫騎士に移ったことの証左だ。


「いきましょう」


 香はマウスを振りながら、sキーを押して振り返る。


 一仕事を終えた姫騎士の動きは俊敏で、可憐だった。


「牢屋を出ましょうか」


 wasd操作を駆使し、薄暗い廊下を進んでいく。


 道中は特になにもなかった。牢獄だから当然だ。


 カシャンッ、カシャンッと音を立てながら歩いていくと、道なりに光が差し込む階段があった。wキーを押して突っ込むと、騎士は自然な動作で段差を登り始めた。


「ところどころにランタンがかけてありますね。やはり中世の世界がモチーフなのでしょう」


 香は呟きながら、騎士と一緒に一階へと上がった。


 一階は大きなエントランスだった。人っ子一人おらず、もの一つ置かれていない空間だ。


 さらに夜なのか、周りの壁に取りつけられている窓からは光が差し込んでおらず、真っ暗だ。


「ここにはなにもなさそうですが……」


 マウスを振って周囲を確認する。兜が鎧に当たってカンカンという音を立てる。


 いや、あった。小さな木の机と丸椅子が、騎士のすぐ近くに。


 机の上には古めかしい紙が乗せられていた。香は机の方を向いてクリックすると、騎士は右腕を使って紙を拾い上げる。


 文章が香の視界に飛び込んでくる。


『どこまでも強い瞳、カラスの濡れ羽色を思わせる力強い黒髪、すらっとした高すぎず低すぎない鼻、控えめな厚さの唇、程よく日に焼けた肌、ごつごつしていながら程よい肉づきをした手、余分な脂肪のない腕、たくましい筋肉をこしらえた腹、男らしさを感じて頼りになる背、太く存在感のある腰、肉感を残し、かつ筋肉の力強さが認められる脚。擦り傷に抗う分厚い踵、生命力を感じさせる足の指。その全てが……』


 それ以上は掠れていて読めなかった。


「騎士から見た、主人公の観察記録ですか……」


 明らかに異常だった。惨殺しておきながら、主人公を構成する全てを褒め称えている。


「その全てが、愛おしかったんですね」


 香には、今操作している姫騎士の思いが手に取るように分かっていた。


 先へ進む。


 手前側に螺旋階段があった。一段ずつ上っていく。


「……」


 危険がないと分かっているとはいえ、つい手に汗が滲む。


 階段を上りきると、正面に部屋があった。無骨な扉で閉ざされているが、クリックすると滑らかに開く。


「わあ……」


 香は感嘆する。


 そこには天蓋付きのベッド、アンティーク調のテーブル、古さの中に高級さを感じられるクローゼット、なんの毛かは分からないがふかふかのじゅうたんなどなど、贅の限りを尽くした調度品が並んだ部屋が広がっていたからだ。


 一人の姫の私室が、そこにはあった。


「手がかりを探しましょう」


 香は姫をテーブルのそばに移動させた。


 テーブルの上には本のようなものが置かれている。日記だろうか?


「最初の方は掠れていて読めませんね。関係がないということですか」


 クリックするとページの表示画面に移ったので、dキーを連打して読めないページを飛ばしていく。


 どうやら、最後のページだけ読めるようだ。


「どれどれ……」


 香は指を止め、文章を読むことに集中する。


『某日、敵国である王国の農民を捕らえた。一目惚れだった。あの顔を思い出すたび、胸が苦しくなる、顔が火照る。なぜだろうか、どんなに美しい男性を前にしてもちっともなびかなかった私の心は、あの男に揺り動かされている。


 思い至った衝動は、止められなかった。私は男の処刑を中止させた。そして、屋敷の牢に閉じ込めた。これであの男は私のものだ。永遠に。


 あの男は私の好意に応じ、応えてくれた。だがなぜだろう。許されない恋のため牢でしか会えなかったが、どんなに話し、交わっても私たちは満たされなかった。私たちはお互いを愛している。それは間違いないはずなのに』


「ふう」


 全て読んだ。


 香の予想は、ほぼ百パーセントに近い形でゲーム内で具現化していた。


「主人公と黒い姫騎士は、禁断の恋仲にあった」


 この文面からして、その予想は間違いないだろう。


 ならなぜ、姫は主人公を殺さなければならなかったのか。


 その答えは……。


「この部屋の中にある」


 香はマウスを操作して、部屋の中をぐるりと見渡した。



 ※※※



 香はまず初めに、クローゼットを見ることにした。騎士を移動させ、クローゼットの扉に向けてクリックする。


 中にはたくさんの衣装が入っていた。どれも姫が着るような豪華絢爛なものだ。


 aキーとdキーで服を選択して取り出すことができるようだった。適当に一つを選択した状態でクリックすると、騎士が服を引っ張り出す。


「綺麗ですね。ただ、今は関係ないものでしょう」


 もう一度クリックすると服を戻せた。


 これだけ作り込んであるのだ、クローゼットになにかあるに違いない。


 そう思った香は、色々キーとマウスをいじって確かめてみた。


「奥の列も見れますね」


 すると、手前の列を参照しているとき、wキーを押すと奥の列の服を参照できることに気がついた。


「もしかしたら……」


 香ははっとし、dキーを連打して奥の服を見ていく。


 そうしたら、あった。主人公が元着ていたとみられる服が。


「姫は大事に残していたんですね」


 ところどころ汚れてはいるが、きれいにハンガーにかけられている。


 香はクリックしてその服を手前に持ってくる。


「目立った特徴はありませんが……」


 ベージュのハンチング帽に、白黒のストライプ柄の長袖シャツ。モスグリーンの長ズボン。

 

 騎士が服を持った状態でどのキーを押しても、クリックしても反応がない。ポケットにメモなどはないようだ。


 つまり、目立った特徴がないということこそが特徴。


「主人公は、平凡な農民の男だった……」


 そう結論づけていいだろう。


 香は騎士に服を戻させた。


「次は、ベッドを見ましょうか」


 香の視点がベッドの前まで移動した。


 この騎士は、案外ロマンチックな性格をしている。


 であれば、あれがあそこにあるはずだ。


「ありました」


 枕許でクリックすると、姫が自らの枕をどけた。


 枕の下には、絵があった。不器用に描かれた主人公の絵だ。


「姫が描いたのでしょうね」


 絵の前でクリックすると、姫が絵を手に取った。


 香はよく表面を見てみる。なんの変哲もない絵。水彩絵の具を用いて描かれた人物画。


 生前の主人公の堅い笑顔が印象的だ。


「なにか、ほかに手がかりは……」


 香は毎度のごとく、キーやマウスを操作してできることを探す。


 すると、dキーを押したタイミングで姫が写真をひっくり返した。


『私だけの彼』


 写真の裏面には、そう書かれていた。


「私”だけ”の……」


 香は確信した。



 ※※※



 その後、部屋のあちこちを捜索したが、調べられる場所はなかった。


 よって、得られる手がかりはすべて集めたということになる。


「主人公はごく普通の農民。敵国の姫騎士に見初められ、牢に囚われたまま愛される。おそらく、数か月から数年の間」


 が、その暮らしは唐突に終わった。姫騎士が主人公を手にかけるという形で。


 なぜ、姫騎士は主人公を葬ったのか。


「その答えは……」


 香は姫騎士を操作し、牢に戻ってきた。


 目の前には、変わり果てた主人公の遺体。


「あの世で、主人公と永遠に一緒になるため……」


 なんらかのフラグを満たしたのか、主人公の血溜まりの前でクリックすると姫騎士が剣を抜いた。


 すらっとした黒い剣の刀身がまばゆく光る。


「これはっ、強烈ですね」


 あまりに眩しく、香は画面から目を背ける。


 そして、再び画面に目を向けようとすると……。


「え?」


 違和感。突然の気配。ノートパソコンの薄い画面の奥、現実世界。


 テーブルを挟んだ向こう側に、黒い甲冑が立っていた。


「……黒い姫騎士さんですか?」


 ノートパソコンを閉じ、ゆっくりと立ち上がりながら、香は問う。


 黒い姫騎士はなんの反応も示さない。


 が、それこそが答えだった。


「私に、介錯をお願いしたいんですね?」


 香は諦めず言葉を投げる。


 あの世で永遠の愛を誓うために、主人公と心中を図った黒い姫騎士。


 ゲームタイトルの『ダイ』は主人公だけでなく、姫騎士も死ぬという意味が込められていたのだ。


「……」


 黒い姫騎士が無言で剣を抜いた。


 が、その刃は香の方には向けず、受け取ってほしいとばかりに柄を突き出してくる。


「分かりました。決意は揺るぎないようですね」


 香は剣を受け取った。


 重い。金属の重厚感が両腕にのしかかる。


 ただ、それでも両腕を反らし、大きく振りかぶる。


 黒い姫騎士は証人を探していた。主人公と姫騎士の愛の契りの未届け人、いわば神父の役割になれる人物を。


 それは、ゲームの世界の住人ではだめだった。あちらの世界の住人は、姫が死のうとしているのを許すはずがないからだ。


 だから、こちら側の人に頼むしかなかった。プレイヤーに神父をお願いするしかなかったのだ。


「いきますよ」


 こうして、ゲームをプレイして全てを理解していた香は、執行した。


 香自身も信じられないほど正確に、黒い兜と鎧の間に滑り込んだ刃が、一人の女性の首を刎ねた。


 彼女の頭があった位置から、とめどない血があふれる。


「うっ……」


 香は思わず目を塞いだ。


 視界が闇に覆われる。姫騎士の防具のような真っ黒に。



 ※※※



 香は、気づけば意識を失っていた。


 目を開けると、普段と変わらない1Kの部屋。


 黒い姫騎士の姿も、流れる血しぶきも、どこにもなかった。


「……」


 夢、だったんでしょうか?


 香は訝しむ。


 彼女の手前には、閉じたはずのノートパソコンの画面が光っていた。


 『The END』

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怪異探偵雛菊香 @LostAngel

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