からあげ:下


 どのような工程を踏むかを話し合うために、二人で堀内の家に向かうことにした。


 からあげになる、とは一体どういう事なのか。

 漠然と”堀内自身の肉を使うということなのだろう”と捉えていたのだが、それは間違ってはいなかったようで、道中彼は上機嫌に自分のどの部位をからあげに使用するのか考えていた。


 堀内の家に着き、彼が「はーい、ただいまー」と玄関の扉を開ける。僕が後に続き「お邪魔しまーす」と言うと、堀内は「今日、親は仕事だから夜まで帰ってこないんだよね」と靴を脱ぎながら言った。

 わかっている。初めて家に遊びに来た時も、同じように家主不在なのにもかかわらず、堀内はデカい声で「はーい、ただいまー」と言っていた。その時、僕の説明を求める視線を感じたようで、彼は靴を脱ぐ動作を止めないまま顔をあげることなく「家に誰もいなくてもただいまって言えって、お母さんがうるさいんだよ。防犯対策だって」と応えていた。以来、僕もあわせて「お邪魔しまーす」と間延びした一際デカい声を出すようにしている。


 階段を上がり二階にある部屋へ向かう。何度も来たことがある場所。


 部屋に入ると、勉強机とは別に、ローテーブルが置いてある。脛までの高さで、黒い鉄のような素材でできた角ばった足にガラスの天板が乗っているテーブルを、特に言葉を交わさずともお互いで挟むようにして各々胡坐をかいた。堀内は天板にルーズリーフを一枚置き、ボールペンを鳴らすと、無言で簡単な人体の図を描く。

 そして、僕に言った。



「どこを食べてもらうのが一番いいかな?」



 相変わらず狂った時間が流れているなとこみ上げてくる感情を抑え、その狂気に乗っかった僕も僕だと腹をくくり、頭を巡らせる。


「……まあ、堀内が死なない程度の部位かな」


 その返答に「それ。そこなんだよなー」と、堀内は両手を後ろにつくようにして仰け反った。天井に向かって話し始める。


「いやわかる!だから生命を維持する……そういう、内臓的な部分は厳しいってことだよな」



 でも、と堀内は続ける。



「俺を……俺そのものを食べてほしいんだ。うん、そのものだよ。

 俺の気持ち、俺の考え、俺を俺たらしめている……」



「……まどろっこしいな。どこだよ、それ」



「頭だよ。俺の脳」



 なるほど。理屈っぽくもあり、ロマンチックっぽくもあり、やはりおかしくなっている。



「気持ちは分かったけどやめとけ。今後の杉浦さんとの時間、いらないの?」



「そぉぉぉぉなんだよなー!!死んじゃうんだよなー!!さすがに脳は!!」



 死ぬことまでは視野に入れていないようで、安堵する。あーだこーだと言いながら、最終的には左腕に決まった。

 最初「右腕もいいかも!杉浦さんの右腕になりたい」と意味不明なことを言っていたが、それに対しても僕が「右って、それ、利き手だろ。一番汚ねーもん杉浦さんに食わせる気かよ。やめとけって」と言って茶化すような形で流れた。堀内は一瞬きょとんとしていたが、数秒で僕の言いたい意図が伝わったようで「エッチ!!!でも言えてる!!!」といつもの調子でガハガハ笑っていた。



 僕の本心としては、堀内が利き腕を失うのは、あまりにも損失が大きすぎると思ったからだ。だが僕は理解しているつもりだ。今の彼には「失う」「損失」などという言葉は届かない。杉浦さんで狂っているのなら、杉浦さんで軌道修正をかけていくしかない。


「……矛盾してるよな。そう思うなら、端から止めるべきなのに」


 口をついて出た僕の言葉に、当の本人はおどけた顔をして視線のみで聞き返す。僕はそれに対して首を横に振り「じゃあ、姫には左腕を召し上がっていただくってことで」と、ルーズリーフに描かれた人体図の左腕あたりを指さした。

 堀内は満足そうに、それでいて幸せそうに大きく頷いた。




「じゃあ、今からってことで!」



 僕は目を丸くして堀内を見つめた。

 口は開くも、言葉が続かない。




「……え?あれ。手伝ってくれんだよね?」



 ただ黙って見つめる僕の視線に何かを感じたのか、おろおろと目を泳がせながら自信なさげに口を尖らせた。

 ……いや、そうじゃなくて。


「い、今から?今からやんの?」


「あったりまえだろ!言ったじゃん、時間ないって!

 もう早く作って、早く食べてもらわなきゃ!!」


 そういって堀内は勢いよく立ち上がると、待ってろと言い残し、部屋を出て行ってしまった。

 取り残された僕は、先程堀内が赤インクのボールペンでぐりぐりと丸を書き足した、人体図の左腕を見つめた。堀内のあの、脂肪なのか筋肉なのかよくわからないもので構成された、ぶっとい腕と重なる。僕の背中を大げさに叩く、あの左腕。

 今から、堀内の左腕が無くなる。

 左腕が、からあげになる。



 部屋の扉が開く音と同時に「これくらいあればいいよな!?」と、意気揚々とした声が部屋中に響いた。僕は振り返り、堀内を目で追う。両手には、のこぎり、ごみ袋、ビニール紐が握られていた。



「ここでやんの?」


「そりゃーな!!外でやったらとんでもない騒ぎになるだろ!」



 とんでもない騒ぎになることを行う自覚はあるのか、と意外に思いながら「確かにな」と口にする。僕と堀内でごみ袋を数枚重ねるようにして床に敷き、その上にローテーブルを置いた。ごみ袋の上を歩くたびに、がさがさと音が鳴る。居心地の悪い空間。何度も来て見慣れていたはずの堀内の部屋が、どう見ても死体解体場のような異質さを放っている。


 僕はビニール紐の束から出ている一本を摘み、立ち上がったまま束の塊を地面に落とした。すーっと音を立てて、僕の身長とほぼ同じ長さの紐が引き出される。その間に堀内は制服のワイシャツを脱いだようで、肌着である薄い白のタンクトップ姿になっていた。



「これでお前を縛り上げるってこと?」


「俺にそんなことをしてもいいのは杉浦さんだけだ!」


「馬鹿だねー、ほんとに。

 てか杉浦さんも嬉しくねーわ、そんな権利」



「言えてる!!」とガハガハ笑う堀内の左腕……二の腕より少し上の方で紐をかけ、力を入れながら巻き付ける。その締め付けが想像以上の痛さだったのか、堀内は顔を歪ませた。



「え、キツすぎない?」



「キツくしないと意味ないでしょ。

 出血多量で死んだら、それこそ杉浦さんに脳味噌プレゼントしてやるけど」



「いやいやいや、これ、結構痛いんだけど」



 その言葉に、はァ?と声が漏れる。



「痛いって、何言ってんの。

 これと比べ物にならないこと、今からすんじゃん」



 堀内は引きつった笑顔を作り、んんぇ、うあ、と曖昧な返事をする。それに僕は真顔のみで応え、紐をキツく結んだ。そして、ほら、と彼の腕を掴む。僕は掴んだ腕を引きながら腰をかがめ、ローテーブルに手を置くように指示をした。先程彼が脱ぎ捨てたワイシャツが目に付いたため、拾い上げて堀内に差し出し、いつもの調子で助言する。


「はい。これ噛んでた方がいいんじゃない?耐えらんねーだろ」


 堀内は黙って受け取り、僕に言われた通りに、しかしのろのろと遅い動作で口に挟んだ。

 先程から堀内の目が忙しなくチラついている。今までの威勢が跡形もなく消え、何なら僕に対しての目つきが、腕を縛ったのを機に、まるで恐ろしいものを見るかのようなソレになっていることに、僕も気が付いていた。





 ……いや。

 気が付いたから、なんだ。



 いくとこまでいくんだろ、僕は。



 そして、お前もだ。堀内。

 いくとこまでいくんだろうが。



 僕はお前の願いを叶えてやる。



 腕を切断したことで僕が犯罪者になろうが、

 今日のことが僕にとって人生最大のトラウマになろうが、

 二度とお前にその腕で背中を叩かれなくなろうが、



 僕はお前の願いを叶えてやる。

 




 だから、堀内。



 狂いきってくれよ。

 人を好きになることで、

 狂えると、証明してくれ。




 僕はのこぎりを握り、堀内の手首をテーブルに力一杯押さえつけた。

 その途端、堀内はワイシャツを口から外し、今までに聞いたことのない怒鳴り声で「待って!!!」と絶叫した。窓ガラスが震えるほどの声だったが、僕は構うことなくのこぎりを刃を腕に置く。刃が皮膚に当たった瞬間、堀内はものすごい力で僕の手から腕を引き抜いた。その拍子に刃が皮膚を掠め、ざりっと音が鳴る。のこぎりを握った手に、粗い刃が皮膚を抉った感覚が伝わる。

 僕は堀内の出血している腕を眺め、彼の顔に視線を移した。目が合うと、手足をバタつかせながら、しかし腰が抜けてしまったのか、尻餅をついた状態で後退りし、壁に背中を強く打ち付ける。まるでのこぎりから、僕から、出来るだけ距離を取るように。

 彼の顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。真っ青になった唇を震わせて、呟くように言う。



「で、できない。やっぱやめた」



 僕はのこぎりを床に置く。そして堀内のとこまで早足で歩み寄り胸ぐらを掴み上げると、え、と見開いている奴の左頬を、拳で思い切りぶん殴った。堀内が頭からふっ飛び、壁際にあった本棚に倒れこむ。本棚にしまわれていた本が落ちていく中で、動揺を目に宿しながらも殴られたことに反射的に頭にきた堀内が、僕に殴りかかろうと飛び出してきた。反応が遅れ、鼻っぱしに頭突きを食らう。息が止まる痛さに思わず顔を両手で覆うと右太ももを蹴り飛ばされ、大きく態勢を崩した。骨が曲がったのではないかと思うほどの衝撃に「ああ、やっぱり力では勝てないな」と頭によぎる。ただ身長には僕に分があったため、堀内の後頭部を両手で掴み、その頭を振り下ろす勢いのまま右膝で蹴り上げた。顔面にモロ、膝が入る感触。掴んだ頭を壁に放り投げ、先ほど蹴りを食らった足の痛みで僕も床に倒れこんだ。




 部屋の中に、荒い呼吸音だけが響く。




「ふざけんなよ……」




 鼻血で溺れそうになりながら、僕は呟いた。



「堀内、お前、ふざけんな。好きなんだろ。

 腕一本、犠牲にしてみろよ。

 馬鹿みたいな理由で。狂気じみた理由で。

 でも、それでも、好きだからって。

 全部それで、説明がつくんだって」



 今更、右手が震え出す。腕の肉を荒い刃が掠め取っていったあの感触が、手のひらに蘇る。抉られた皮膚から時間をおいて赤い液体がブツブツと浮き上がり、重力に従って腕を伝っていく血液が、映像としてフラッシュバックする。


 込み上げる吐き気を唾液ごと飲み込み、力の限り右手を握りしめる。握りしめた拳を額に当てて、腕を切断しようとした自分を掻き消すように、言葉を絞り出す。



「僕に……。僕に、人を好きになったら、その人のために自分を犠牲にするくらい、どうってことなくなるんだって。教えてくれ。

 生きたまま腕、切り落としてさ。食わせてやるんだろ。

 この世界には、それほどの感情が存在してるんだって、証明してくれよ。

 狂えるほど人は人を、自分以外の人間を好きになれるんだって、僕に」



 高校生にもなって……いや、もうすぐ大学生になるって言うのに、人の前でこんなに泣くかっていうくらい、涙が出てくる。鼻の両穴からは鼻血が止まらないし、口呼吸にもなっているから涎も垂れ流しだ。穴という穴から体液をだらだら流して、僕は堀内に懇願した。



 視界には映っていない堀内の方から、息も絶え絶えに、声が聞こえてきた。




「お前……、……俺に、そんなんで……依存してんじゃ、ねーぞ」



 そして、大きく咳き込む声に続いて、びちゃっと液体が床に投げつけられたような音が響いた。

 口内をしこたま切ったらしい。



「……あと、お前。今、自分のことボクって言ってるわ」




「……、あ?……そーだっけか」




「お前、二つの人格あんの?」



「おい、やめろ。んなわけねーだろ、厨二病みたいな」



「ボクって、ホントは呼んでんのか、自分のこと」



「うざってーな。

 てめーもう一発膝入れるぞ。ビビり野郎が」



「のこぎりの痕付いた時点でビビりじゃねーわ。

 愛の証拠、刻まれたようなもんだな。これで」





 僕は乾いた笑い声をあげながら身体を起こし、胡坐をかいた。小鼻を指で押さえつけ交互につぶしながら、鼻をかむ要領で、鼻息で飛ばすようにして溜まった鼻血を出す。多少呼吸がマシになり、涙や鼻血を袖で拭った。

 気づくと堀内も身体を起こしていた。僕ほど鼻血は出していなかったものの、口からは血が混じった唾液を垂れ流しにしていた。彼は床に落ちていたワイシャツ掴み取り、僕と同じく口元を拭おうとしていたようだった。

 上目遣いで目が合い、お互い動作が止まる。




「からあげづくりなんてやめちまえ」



「……そーだな。俺の魅力の伝え方はまだ他にもあるか」



「普通に、人肉のからあげなんか食べさせるとか、嫌がらせだって。

 杉浦さん、トラウマもんだっつーの」



「……え!?そうなの?からあげ好きだって言ってたのに!?」



「馬鹿だねー」



「てか、なんでそれもっと早く言ってくれなかったの?」



「今さっき気づいたから」



「ああ!?嘘だね!お前、泳がせやがって」



「いいや。そんなことない。

 お互い、本気だっただろ」




 堀内が口元を拭う手元を止め、僕を見た。

 僕は倒れこむようにして再度寝転がり、天井にへばりついている照明を眺めて、声を上げた。



「あーあ、だから彼女、出来ねーんだわな」



 堀内は「言えてる!!」とガハガハ笑い、続けて「なーんか腹減ったわ!からあげ食いてー!!」と不必要な声量で言った。

 先程ハンバーガーを食べたばかりで腹が減っている訳もなく、それは堀内も同じはずなのだが、僕は触れずに「そーだな、ファミレスでも行くか」と返す。


「つーか、腕のこれ、この紐、外してくんね?

 キッツいわ、これ。腕が死ぬ」


「似合ってるのにもったいないね。

 かっこよくて、美味しそうなのに」


「誰がボンレスハムだ!!」


勉強机の上にハサミが置いてあったため、それを掴み、堀内の肉と紐に刃を滑り込ませて切る。紐の跡と皮膚が紫色に変色しているところを見ると、まぁまぁ本当に痛かったのだろう。そのことについては堀内自身は気にしていないようで「行こうぜー」と、血と唾液で汚れたワイシャツに腕を通し、ボタンを留める。



 顔面を腫らした血まみれの高校生を店側は果たして受け入れてくれるだろうかという点については、二人とも敢えて話題に出さないまま、イテーイテーと言いながら部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集 猫背 @nekozetoreigan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ