トんで火に居る夏の蟲
2010年8月23日 月曜日。
僕は高校生での初めての夏休みを現在進行形で消費していた。
同級生はみんな会って遊んだりしているというのに、僕はというと家にひきこもり、パソコンに向かって小説という名の世界に浸っていた。読んでいるのではない、書いているのだ。今も小説内で人間を殺してニヤニヤしている。相手は小学生だった。
『少年達がぁあーんてーにみた
あんてぇゆえーのぉそーんざぁいの意味』
小学生をズタズタのメチャクチャにしていると、脇に置いてあった携帯からbutterbutterの『ハリィ』が鳴り響いた。ディスプレイには中学時代の友達の名前が表示されている。田中だった。
噂で知ったのだが、こいつは高校にあがってからタバコを吸いだしたらしい。
僕は丁度一年前にこいつと一緒に花火をした時のことを思い出しながら電話に出た。
「久しぶりー」
「あぁぁああー、うひひひひ、久しぶりぃぃい。あうえー」
僕は電話を切った。
田中じゃない。いや、声はあいつなんだけど、発音というか雰囲気というか、とにかく田中じゃなかった。
僕が言い知れぬ気味の悪さに固まっていると、また電話がかかってきた。田中だ。
「……もしもし?」
「なんで切るんだよぉぉお~。あ~あう~」
「本当に……田中?」
「なぁあに言ってんだよ~。当たり前だろ~。んん、いや、違うかもおおおうう」
僕は電話を切った。
確かにあいつだ。でも「違うかも」ってどういうことだ?
……――まさか。
僕の頭にある可能性が過ぎった途端、また電話が鳴った。
「ひでぇよぉお。また切るなんてえええ」
「田中、お前、……薬やってるな?」
「うあ~。あたりいぃぃいいい。おれ今すげえの。なぁ、きいて。すげぇの。おれ今すげぇんだよおおおひゃっふぅぅぅうううううあひゃひゃひゃひゃあひいいいい」
薬にまで手を出していたなんて知らなかった。
今度は電話を切らず田中の話にのってやる。薬をやっている人間がどうなるのか、昔から興味があった。
「なにが?なにがヤバいの?」
「俺ねぇ今ねぇ炎の中でねぇ……飛んでんだよぉおおやべぇええ超めらめらなんだよぉでも超気持ちーひっひっひっひゃぁっふぅうう」
「今どこにいる?」
「多分家ぇえ俺の家ぇえでも超炎おおおめらめらぁあめらめらぁあさいこぉおおうう」
駄目だ、完全にキマっている。
そんな田中に今からそちらへ行くことを告げて、僕は一方的に電話を切った。床に転がっていた飲みかけの水が入ったペットボトルをかっさらう。勢いそのままに家を出て、玄関前に止めていたチャリのスタンドを蹴り上げまたがると、ペダルを踏みこんだ。
田中の言うことがもし本当なら、あいつは今家の中で薬をやっている。そして僕は薬でトんで床に這いつくばっている田中を見に行くために、今、このクソ暑い中全力でチャリを飛ばしている。
汗だくでチャリを飛ばして数分後。
田中の家に着いた僕は、驚愕した。
凄まじい勢いで炎が踊り、大量の煙がもくもくと空へ立ち上る。
田中の家は燃えていた。
ごうごうと燃える家を目前に、僕は状況が飲み込めずに自転車を止めてぼーと突っ立っていた。
そしてだんだんと光景の意味を脳みそが理解していくと、僕は弾かれたように爆笑した。
だってマジで燃えてるんだぜ?
昔一緒にゲームをやった田中の家が、昔一緒に飯を食った田中の家が、めちゃくちゃ燃えてるんだ。
幻覚なんかじゃなくて今現在、リアルに馬鹿みたいな勢いで燃えてるんだよ。傑作じゃないか!!
僕は腹を抱えてひーひー言いながら、チャリのカゴに投げ入れていたペットボトルのキャップを開け、頭から水をかぶる。そして田中の無残な姿を写真に収めるため、燃え盛る家の中に突入した。げらげら笑っているので煙をかなり吸い込んだが、僕は構わず笑い続けた。中は外とは比べものにならないくらい暑い。熱い。
田中の部屋のドアが燃えている。ドアノブは掴めそうになかったのでドア板を蹴り飛ばすと、部屋の中は既に炎の海に飲まれていた。頭が痛くなるほどに、眩しい炎。自然と眉毛に力が入り、目を細めて視線を下にスライドさせる。床に仰向けで寝そべっている田中がいた。
壁やカーテンが凄い勢いで燃えているのに、田中はよだれや汗を垂らしながらニヤニヤ笑っている。
僕は更に破裂した。
この状況と今の田中が笑えて仕方がない。笑いすぎて腸がよじ切れるかと思ったが、それでも笑いは止まらなかった。
爆笑しながら田中を写メる。笑いで手元がぶるぶる震えピンボケしまくり、何回も撮るはめになった。十数回目でようやくマシな一枚が撮れ、僕はその写真を見てまた爆笑した。
その間田中はずっと「やべー、マジやべー」と言いながらニヤついていた。
写真を撮り終わり満足した僕は爆笑の余韻と煙のせいで不規則な笑顔を繰り返しながらも、家を出ようと田中に背中を向けた。
「おいぃい」
背後から声が聞こえる。
僕は振り返らない。そろそろ出ないと僕の肺と胃が色々な意味で爆発してしまいそうだった。
田中は続ける。
「ありがとな」
……――田中!
僕は振り返った。
そこには先程同様よだれと汗を垂らしあはあはと笑っている田中がいた。
「……じゃあな、田中」
僕はそう言い残し、全力疾走で家を出た。自分が笑っていないことに気づいたのは、チャリにまたがった時だった。
家に続く道を走る。その間に何台もの消防車とすれ違ったが、きっともう間に合わないだろう。
家まであと数メートルというところで僕は自転車ごとぶっ倒れた。起き上がろうとしても世界がぐにゃぐにゃと歪み、平衡感覚が取れない。頭の中が気持ち悪かった。息が苦しい。
僕は道にくたばったまま携帯を開いた。田中の写真を見ても、僕はもう笑わない。
完全にイっている、田中の目。
不意に、一緒に花火をした夜を思い出した。あの時の田中は燃えカスになる前、もうとっくの昔に死んでいた。
でも僕に礼を言ったのは、確かに田中だった。僕の知ってる、田中だったんだ。
僕は写真を削除しようと操作したが、汗でびしょびしょに濡れた携帯は田中の写真を写したのを最後にぶっ壊れた。写真が消えたかわりに、真っ黒になった画面に僕が写る。
しばらく画面に写った自分を見つめていると、突如笑いが込み上げてきてふっと息が漏れた。
死んだのは田中だけじゃなかった。
ああ、セミが遠くで鳴いている……。
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