Mr.リアル

 ちくしょうちくしょうちくしょう。

 なんだってんだ!なんだってんだよ!!

 ああああああああああちくしょう!!!!




 僕は走った。あいつから逃れる為に、僕は走った。


 口から涎が垂れようが鼻から鼻水が垂れようが心臓が暴れようが肺に激痛が走ろうが全裸であろうが、全てのことにかまうことなく、僕は全力で走った。


 全ての力を走ることだけにぶち込む。

 本当の意味での「全力」だ。



 それでもあいつは僕に並列して僕の顔を無表情で覗き込んでいた。余裕。あいつは余裕なんだ。僕がこれだけ必死に走っても、あいつは僕の隣を離れない。僕が死ぬ気で逃げようとしても、あいつは逃さない。「死ぬ気」じゃダメなんだ。「死ぬ」まであいつは僕を追いかける。



 竹田も中川さんも隣のオヤジも高校の先生もみんなみんなみんなみんなみんなみんな。あいつにやられた。あいつは非情だ。無表情でみんなを飲み込み容赦なく殺していく。最悪で最大の敵。




 そいつの名前はMr.リアル。

 みんなは「現実」と呼んでいた。




 僕は先生があいつに殺されるのを目の前で見た。教室で首を吊って、ケツからはクソを垂らしていた。置手紙には「お前らのせいだ」。先生は生徒からも他の教師からもイジメを受けていた。教室の中をほのかに漂うクソの臭いが、僕にリアルの存在を知らせていた。


 僕は竹田があいつに殺されるのを目の前で見た。高校受験。竹田は自分の睡眠時間を極限まで削り食事もろくにとることなく、受験勉強に殆どの時間を注いでいた。高レベルな高校に挑むため、竹田は必死だった。結果は不合格。竹田は自分の部屋から出なくなった。竹田が廃人になるにはそう時間はかからなかった。なぜなら夢を追いかけていた頃の竹田は、合格者発表の時にすでに殺されていたからだ。



 リアルは徐々に人間の中身を腐らせていく。

 少しづつ光を感知できないようにしていく。

 暗闇の中、存在しているのは自分とリアルだけ。

 リアルがとあるきっかけさえ作れば、あっという間に人間は死ぬ。物理的にも生物学的にもじゃない。精神的にだ。


 


 そんな非情で最低で最悪なリアルに、僕は追いかけられている。


 いつからリアルを「リアル」と思うようになったのだろう。リアルの存在を認識し意識してしまった時から、僕がリアルに狙われることは決まった。知らない方がいいことが、世の中にある。僕は、知ってはいけない「存在」を、知ってしまったんだ。





 僕は走った。全力で走った。

 隣でリアルが僕に話しかけてくる。

 ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。

 僕は人差し指を耳の穴に突っ込んだ。

 ちくしょう話しかけてくるな聞きたくない黙ってろよもうお前死ねよ。



 僕は無音の中、全力で走る。

 僕の中は、僕の声しか聞こえない。

 それなのに、ぶつぶつぶつぶつ何か聞こえてくる。リアルの声だ。



「お前は中川さんが好きだったじゃないか」



 黙れ。お前なんなんだよ。死ねよ。



「中川さんは、あの時どうなった?」



 は?あの時って?



「とぼけるなよ。お前はあの光景を見たからこそ、リアルから逃げてるんじゃないか」



 なに言ってんだお前。死ねって。



「夜、公園でお前は中川さんの声を聞いたじゃないか。叫び声を聞いたじゃないか」



 ……おい、待て。



「それでお前は様子を見に行ったよな」



 それ以上喋るなよ。死ねよ。



 「あの時中川さんは、どういう状況だった?」



やめろおおおおおおおおお!!!



「お前の家の隣に住んでるオヤジに、犯されてたよな」



   。



「公園のそこの一角だけ、異様な雰囲気だったよな」



………ああ…、そうだ。

僕の大好きな中川さん。

僕の全ての中川さん。

その中川さんは、あの日。



「それでお前はどうした」



それで、僕は……。

……僕……?

僕は……?



「何もせずに、その場から逃げたじゃないか」



……そうだ。

あの場で繰り広げられていた地獄に殺されそうになって、僕は逃げたんだ。



「今みたいに必死になって」



そう。家に帰った後も、這い蹲りながら自分の部屋に行って、布団に包まってガタガタ震えてた。



「大人には言えなかった」



言っちゃいけない気がしたんだ。

彼女を陵辱することと一緒のように思えた。



「でも」 



 うん、気づいてるよ。



「僕が人に言えなかったのは、ただ単に」



 勇気が無かったんだ。



「彼女のためだと、逃げていたんだ」



 あの時僕が大声を上げていれば、あの時誰かを呼んでいれば。



「オヤジは殺人犯にならなくて済み、彼女も死なずに済んだかもしれない」



 ……おい。

 …お前、もしかして…。




 僕は立ち止まった。耳の穴から指を引き抜く。

 初めてリアルと向かい合った。リアルが僕の目を見ている。僕もリアルの目を見る。


 リアルが僕を殺そうした。

 僕は抵抗しなかった。




 リアル、お前は

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