21.君と僕の間にあなたがいた

 二年後の同日。

 円佳さんに会いに行く列車の中で、僕は美門に告白をした。


 僕たちは二十歳になった。

 その年齢は僕たちにとって特別な意味を持っている。


 飲酒や喫煙が許される年齢である、という区切りにはあまり興味がなかった。

 円佳さんの年齢に追いついたという事実の方が、僕たちにとってははるかに重い。


「だからこのタイミングで告白したの?」


「それもある」


「他には?」


 美門は頬杖をついて窓の外を眺めながら尋ねてくる。

 明かしていない理由がまだあることを、確信しているような問いかけだった。


 実際、理由は他にもある。


 例えば、美門の好意を知ったからといって、それにすぐに応じてしまったら、円佳さんへの気持ちはそんな軽いものだったのかと疑われてしまうから――だとか。


 例えば、1年ぶりに見た美門は去年よりもさらにきれいになっていて、これは大学の男どもが放っておかないレベルだと本気で心配になってきたから――だとか。


 だけど、核心の理由は、やはりひとつだ。




「――東雲さんを置いていくの?」


 いつかの古井河先生の問いかけに、


「気持ちを確かめたいんです」


 僕は確かそう答えたと思う。


「東雲さんの気持ちを試すということ?」


「違いますよ、どんな自信家ですか。そうじゃなくて、自分が円佳さんの代わりに美門を選んだんじゃないって言いきれるまで……、つまり、円佳さんとは関係なしに美門を好きになったんだって確信できるまで、告白なんてとてもできないんですよ」


「そんな悠長なことをしている間に、東雲さんに彼氏ができたら?」


「そうならないように、こまめに連絡は続けるつもりですけど」


「そんなものでつなぎ止められると思っている時点で、なかなかの自信家よ君は」




「……そう」


 美門は頬杖をやめて、こちらへ顔を向けた。


「でも、そういう風に考えてるってことは、心のどこかでわたしとお姉ちゃんを比較してるってことでしょ?」


「そんなことは」


「ないなんて言わせないし、言ったら許さない。だって、お姉ちゃんが生きてたら、あなたは他の女になびいたりしてないでしょ。そんな仮定に意味はない、とか言って逃げるのは禁止ね」


 美門は視線で縫い止めようとするかのように目を細める。

 やっぱりそこを突いてくるのか。



 円佳さんが生きていたら、僕たちはどうなっていたのか。



 それは僕に――いや、僕たちにとってあまりにも痛い問いかけで、だからこそ美門は容赦なく問い詰めてくる。


「美門の言うとおりだよ。円佳さんが生きていたら、僕はきっと美門に告白していないし、県外にも行ってない」


 円佳さんと出会って、大げさではなく人生が一変した。

 だから、失ったことでまた激変してしまった。

 出会う前に戻ったわけではない。

 円佳さんを失った僕の人生が続いているのだ。


「そのうえで、僕は今、美門が好きなんだ」


「わかったわ。じゃあ、これからよろしくね」


 素っ気ない、お使いでも引き受けるかのような軽い口調だったが、美門は確かに僕の告白を受け入れた。……受け入れてくれたんだよね、これ。


「何よ、ポカンとして」


「いや、いろいろ脅しつけたわりに、ずいぶんあっさりしてるなと」


「言っておくけど」


 美門は再び頬杖をついて窓の外を向いた。


「わたしはこう見えて、死んだ姉の彼氏に言い寄るような、倫理観に難のある女なんだから。簡単に解約できると思わないでね」


 横顔の口元が吊り上がる。

 その角度の鋭さに、冗談で覆い隠した美門の本気を見た。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 二年目の円佳さんは、昨日の続きのように変わりのない姿を見せた。そして開口一番、成人を祝う言葉をかけてくれた。付き合い始めたことを報告すると、諸手を上げて喜んでいた。その表情にかげりや曇りは一切なかった。


キスしたあのときと違って、笑顔だったわね」


「そうだね」


「少しくらい落ち込んでくれると思ってた?」


「まあ……、ちょっとね? ほんの少しだけ」


「正直に言ったから許してあげる」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 四年目の円佳さんに無事就職が決まったことを報告した。


【おめでとう、二人ともとうとう社会人かぁ】


「実際に働き始めるまでは、あと半年以上あるんですけどね」


「まったく実感がないわ」


【大丈夫、2人ともなんとなく大人っぽく見えなくもない感じだよ】


「フォローありがとうございます」


「見た目だけ大人になっても意味ないのよ」


【ミカちゃん相変わらず辛辣だねぇ。……二人とも、忙しくなっても、お互いを見ることをおろそかにしないでね】


「わかってます」


「ええ。新社会人、新生活、新しい環境、新しい人間関係。そういう転機に浮気はつきものだし」


【監視を強化しなさいって意味で言ったんじゃないよ】



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 八年目の円佳さんに結婚の報告をした。


【思ったより遅かったね】


「そうですか? 会社の人はみんな早いって言ってましたけど」


「優柔不断だったからせっついてやったの」


【尻に敷かれる未来しか見えない……】


「大丈夫です、ローンで新居購入はなんとか回避したんで」


「あそこ将来ぜったい地価上がるから今が買いだって言ってるのに」


【そんな生々しい話より、結婚式の映像、あるんでしょ?】


「このときの美門は、控えめに言っても女神でしたね」


「……あなたも、格好良かったわ」


【はいはいごちそーさま。――わぁ、ミカちゃんすごい綺麗。ホントに女神レベル。キミの方は……、うーん、オールバックが致命的に似合ってないね】



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 十年目の円佳さんは現れなかった。

 日傘をさしたまま十分ほど待っていたが、それでも姿を見せない。


「去年は普通に会えたのにな……」


「もしかして、この子の影響かしら」


 美門が腕の中の娘をあやしながら言う。


 もちろん、はっきりした理由はわからない。

 しかし、強引に理屈をこねるなら、子供が生まれたことによって、僕と美門と円佳さんの、3人というバランスが崩れたからではないか。


 涙は出なかったが、それを薄情とは思わない。


 とっくに別れは済ませていたし、毎年の近況報告でも、僕たちは次の年の話をしないようにしていた。このあいまいで不確かな状況がいつ途切れてもいいように、3人とも気を遣って避けていたのだ。


 ただ、にじむようなさみしさは確かにあった。

 それを和らげたくて、美門の肩を抱き寄せる。

 こういうことを照れずにできるくらいには、僕たちは大人になった。


 まだ意味のある言葉をしゃべれない娘が、指をしゃぶっていた手を墓石の方へと伸ばした。僕たちの視線の先に興味を持ったのだろうか。


「あそこにね、ママのお姉ちゃんがいるのよ」

「……おえーしゃ」

「そう、お姉ちゃん」


 娘は面白がって、おえーしゃ、おえーしゃ、と繰り返していたが、不意に黙り込むと、伸ばしていた腕を左右に振った。


 〝さよなら、じゃあね〟


 僕と美門は顔を見合わせる。


「ねえ、今――」


「ああ……、耳元で、声が」


 振り返って辺りを見回しても、あの見慣れた薄紅色のコート姿はない。

 だけど確かに聞こえたのだ。

 別れを告げる言葉が、あの人の声で。


 美門の頬を涙が伝って、娘の顔にぽたりと落ちた。娘は母親の顔へ手を伸ばす。僕は左手で美門の肩を抱いたまま、右手で娘の手を包み込む。


 ――わたしの分まで生きないといけない、なんて考えないで。


 かつて円佳さんはそう言ったが、嫌なことやつらい出来事に直面するたび、僕はその言葉を思い返さずにはいられなかった。これを乗り越えないと顔向けできないとか、円佳さんが見てるからもっと頑張らないととか、そういう風に自分を奮い立たせていた。


 生まれた娘を抱きながら、円佳さんが享受できなかったぶんの幸せがこの子にありますように、なんて都合のいい願いをしてしまうこともあった。


 これからもきっと、ことあるごとに円佳さんを思い出して生きていくのだと思う。美門もさすがにそれを浮気とは言わないはずだ。


 僕と君の間にあなたがいた時間は終わり、これから長い不在が始まるけれど。

 土産話をたくさん蓄えて、いつかまた、会えますように。

 最後にそんなことを空に祈った。

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君と僕の間にあなたがいた 水月康介 @whitewood

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