13.変調

 テスト週間に入ると放課後デートは一時中止となり、二人と接する機会が少なくなった。


 それでも円佳さんが消えていないことの確認のために、登校時はなるだけタイミングを合わせていたが、過ごす時間は格段に短くなっていた。


 それに少し寂しさを感じ始めていた、テスト最終日。

 メッセージアプリで美門から連絡が入った。


『体調不良なので学校を休みます』


 シンプルな文面だったが、その内容に僕は少しだけショックを受けた。

 昨日の朝に会ったとき、具合の悪そうな様子は全くなかったからだ。


 美門の体調を見抜けないほどに僕の目は節穴だったのか。

 それとも、急激に体調が悪化したのか。


 どちらにしても心配ではあるが。

 見舞いへ行くべきかどうか迷っていた。


 僕が行けば、円佳さんの出現条件がそろってしまう。

 東雲家に円佳さんが現れるのは、あの法要の日以来だ。


 幽霊になった円佳さんを、ご両親が見られるかどうか。

 それがはっきりしてしまう。


 今まで僕と美門以外に見える者はいなかったのだ。

 ご両親でも期待薄だろう。


 その結果を突き付けられた円佳さんがどう感じるのかを思うと、東雲家へ顔を出すのは気が乗らない。それが正直な気持ちだった。




「ああ、君、ちょっと待って」


 見舞いに行くか行くまいか。

 放課後になってもまだ迷っていると、廊下ですれ違いざまに声をかけられた。


 美門のクラス担任の古井河こいかわ先生だ。

 明るく気さくで、何より美人なので、男子生徒から圧倒的な人気を誇っている。

 女子からの評判もよく、お姉さんのように親しまれている先生だ。


「東雲さんにプリントを届けてくれないかしら」

「……クラス違うんですけど。家も近いわけじゃないですし」

「でも、心の距離はとても近いでしょ?」


 多くの生徒から親しまれている古井河先生だが、こんな風に茶化してくるこのひとが、僕は少し苦手だった。


「何が言いたいんですか」

「東雲さん、このところ授業に集中できていないみたいなの。今回のテストも出来が良くないわ。採点が済んだ科目だけを見ても、軒並み10点以上下がっている」


「東雲にもいろいろあるんですよ。精神的にグラつくようなことだって」


 テストの点数でしか美門のことを見ない教師の言葉に、僕は少しイラついていたと思う。姉を亡くしたと思ったら幽霊になって帰ってきて、精神的に不安定になるのは当たり前じゃないか。言えるわけがないが。


「そんなことはわかっているわ」


 古井河先生は周囲を見回し、人の少ない廊下の片隅へと僕を誘導する。


「あの子はとても気丈だわ。お姉さんが亡くなったのに、学校では動揺を表に出すことなく過ごしている。学業の面でもそう。成績を下げずに、むしろ順調に調子を上げてきていた。今まではね」


 古井河先生は言葉を切って、僕の心を探るように目を見据えてくる。


「それなのに、この時期になって急に崩れたのよ。君、何か理由を知らない?」

「……いえ」


「些細なことでもいいの。今までずっと我慢していたものが、このタイミングで噴出したのだとしたら、東雲さんはショックからまったく立ち直れていないことになる。あるいは、最近になってさらにつらい出来事があったのかもしれない。そちらの方が不安なのよ」


 先生は事実をいくらか言い当てていた。

 正直に言えないのはもどかしいが、どうしようもない。


「成績が良いに越したことはないけれど、そこはあまり気にしていないの。そんなことより、心配なのは東雲さんの精神状態よ」


「3か月で癒えなかった心の傷も、1年あれば癒えるかもしれないじゃないですか」


 僕の、ただ反発するためだけの反論に力はなく。


「時間では癒せない傷もあるの」


 古井河先生の言葉には力があった。


「そして、時間で癒せない傷というのは、そのままにしておいたら人生を歪めてしまうこともある。だから心配しているのよ」


 心の傷が人生を歪める。

 それを大げさとは思えなかった。


 仮に、円佳さんが消えることなく、ずっと存在し続けるとしたら、僕と美門の関係はそこ・・を中心に回ることになるだろう。


 ……いや、ひょっとしたら順番が逆なのではないか。


 円佳さんの幽霊は、僕と美門の心の傷が生み出したものかもしれない。


「あなたは彼女と親しいんでしょう?」


 古井河先生はプリントの束を僕へ押し付ける。


「この口実を使って、様子を見てほしいのよ。いつもと違うところがないか、気にかけてあげて。あの子は難儀な性格をしているから、たぶん、何を聞いても否定されるか誤魔化されるかだと思うけれど……。お姉さんの代わりに、あの子を見守ってあげるのも、あなたの責任でしょう? お姉さんが亡くなった直後は、東雲さんがあなたに、そうしてくれていたんだから」


 言葉を尽くした説得に、僕は黙ってうなずいた。

 そして自分を恥じた。


 この先生は美門のことを心から気遣ってくれていたのだ。それなのに僕は表面的な言葉だけで反感を抱いたりして、なんて器の小さいやつなんだろう。


「……わかってます」


 僕はプリントの束を受け取った。大した量ではないはずなのに、ずしりと重く感じる。それはきっと美門への責任の重さだ。


 喫茶店でのやり取りで、僕は美門よりも円佳さんを優先すると言った。

 いつ消えてしまうかわからない円佳さんの気持ちを優先するのだと。

 お見舞いへ行くかどうか迷っていたのも、ご両親と対面したときの円佳さんの気持ちが心配だったからだ。


 だけど今はそんなことを言っている場合ではない。

 美門の変調に気づかなかった自分の鈍さを挽回するときだ。

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