11.放課後デート幽霊付き
翌日の放課後、円佳さんは無事に現れてくれた。
嬉しくて泣きそうだったし、飛び上がって喜びを表現したいくらいだったが、表向きはいつもどおりに振る舞った。
昨日のうちに美門と口裏を合わせておいたのだ。
「明日、お姉ちゃんが現れたとして、今日のことはどう伝えるの?」
別れ際にそう聞かれて、すぐに返事ができなかった。
何も考えていなかったからだ。
出現条件を満たしているのに円佳さんは現れなかった。
それを本人が知ってしまえば、自分が不安定だと自覚してしまうのではないか。
昨日は出てきませんでしたね、などという余計な情報を伝えたら、幽霊という存在の
「……黙っておこう」
「そうね」
こうして僕たちはひとつ、秘密を共有するようになった。
七月の放課後は、少しくらい陽がかたむいても気温がほとんど下がらない。恋人と一緒だろうと屋外を出歩くのは拷問に近く、むしろ別れたいがための嫌がらせを疑うレベルだ。
手軽に暑気避けのできるスポットとして、真っ先に思い浮かぶのは複合型のショッピングモールだ。僕たちは学校近くのバス停で次の便を待っていた。
【ほら、大学生と高校生で帰りのタイミング合わなかったから、そういうのしてみたいなって、ちょっと思ってたの。お互い私服じゃなくて、キミだけ制服姿っていうのも、いつもと違う感じがして楽しそうだなって】
もっともらしい理由を口にしていたが、円佳さんの目論みは明らかだ。放課後に行動を共にする男子と女子など、交際中以外のなにものでもない。少なくとも周囲はそういう目で僕と美門を見るだろう。あの二人は付き合っているのではないか――そんな噂によって外堀を埋めていく作戦であろう。
【それに、やっぱり二人とも受験生だし、休日を丸々使わせちゃうよりは、ね?】
「それは気にしなくてもいいわ。わたしは志望校ずっとA判定だから」
美門は特に誇るでもなく模試の結果を語っていたが、夏休み前のこの時期でA判定というのはなかなかのものだ。
【さっすがミカちゃん。……じゃあキミは?】
「Cです……」
僕の声は
【大丈夫、この時期の判定なんて当てにならないよ。あたしはDだったけど、なんとか合格できたし】
「センター終わったあと、お姉ちゃんずっと部屋に引きこもって勉強してたものね。髪の毛ぼさぼさで、ゲゲゲの鬼太郎みたいなぶ厚いちゃんちゃんこ羽織って」
【やめてー、ミカちゃん、そういうこと言わないで】
円佳さんはぶんぶんと腕を振るが、すかすかと美門の身体をすり抜けていた。
東雲姉妹の仲睦まじい様子を眺めながら、僕は感傷的にならないようにと表情を引き締めるが、駄目だった。
円佳さんは努力の甲斐あって第一志望の大学に合格したものの、卒業することなくその人生を終えてしまった。だったら、その努力に意味はあったのだろうか。
結果論でしかないことだが、どうせ死ぬとわかっていたなら、受験勉強へ振り向けていた時間を、すべて娯楽に使いたかったのではないか。
明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ、という言葉がある。
心残りのないように毎日を過ごし、ゴールを定めずに学び続ける。素晴らしい生き方だ。そういう風に生きてみたいと思うが、僕のような凡人には難しい。実践している人はきっと充実した人生を過ごしているのだろう。たいそう立派な成功者であるか、やがてそうなる人物にちがいない。
そういう人たちは、自分が1年後に死ぬと教えられても、同じ生き方ができるのだろうか。変わらずに進み続ける強さを見せつけてほしい気もするし、無様にうろたえる弱さを
円佳さんはどう思いますか?
唐突にすべてを奪われて、それでもわずかに蘇ったつながりを頼りにここにいるあなたは、生きることや死ぬことをどう考えているんですか?
聞きたいけれど聞けるわけもない。その問いを口にしたとき、僕は人の心を省みない、ただのバカへと成り下がってしまう。恋人失格なんてレベルではない、人間失格だ。
【キミ、大丈夫? 難しい顔をしてるみたいだけど】
不意に円佳さんがこちらを向いたので、僕は重なった視線をわずかに逸らした。
「悪いものでも食べたんじゃないの。暑いから傷みやすいし」
気を遣われているようでいて、実はかなり適当な美門の言葉に答える前に、バスがするりと滑り込んできて、このやり取りはうやむやになる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ショッピングモールに併設されているシネコンで映画を見た。
夏の大作映画が並ぶポスターの中から、円佳さんが選んだものだ。
実写と見まがう派手なCGが売りのパニックムービーだった。世界各地で同時多発的に大規模災害が発生して、大勢の人々が巻き込まれるなか、生き残ろうと懸命にあがく少数の人々にもスポットを当てる的なストーリー。駄目な映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていくのだが、これらの災害が実は、人類に絶望した悪の科学者が引き起こしたものだったと明かされる衝撃のラスト。実にどうでもいいどんでん返しで締めくくられる、B級ど真ん中の作品だった。
【暗がりの中でミカちゃんの手にそっと自分の手を重ねるチャンスだよ】
円佳さんが耳打ちしたが、当の美門は映画の半ばですやすやと眠っていた。あの激しい特殊音響の中で、よく寝られるものだと感心してしまう。
【いやー、たくさん死んでたねぇ】
エンドロールが流れて館内が明るくなると、円佳さんがあっけらかんとそんなことを言う。他人事のような口ぶりだったが、実際に死んでいる人に言われるとどう反応していいのかわからない。不美人にわたし不美人だからと言われてもフォローに困るのと同じだ。
【人間、いつ急に
円佳さんは目をつぶって数度うなずいたあと、片目を開けて上目遣いをする。
【……なんて言うと思った?】
「え、いや……」
【亡くなった人の分まで精いっぱい生きる、ってよく聞くけどさ、あたしはキミたちにそんなことを考えて生きてほしいとは思わないよ。仮にそう考えてくれてるとしたら、少しうれしいけど、あんまり気にしないでって気持ちの方が大きいの】
「自分の思いを託す、みたいなことは?」
【あたしは自分のことでみんなに右往左往してほしくないかな。そういうの、押しつけがましいよ。綺麗に忘れて、ときどき思い返してくれたら十分】
「……どっちにしても、押しつけがましいですよ」
僕は耐えきれずに円佳さんの言葉を遮ってしまう。
【えっ?】
「〝忘れないで〟も〝忘れて〟も、そっちの言い分じゃないですか」
残された側の気持ちが、そんな簡単に整理できるわけがないのに。
【むう……、まさかダメ出しされるとは思わなかったよ】
「何を言っても聞いてくれるって、油断してたんじゃないですか」
【……そうかも。あたしの言葉って、ある意味ぜんぶ遺言だし。遺書を書くときって、きっと自然体じゃいられないよね、自分に酔っちゃうと思う】
円佳さんの死と、それによるどうしようもない別離を、今の状況では感じにくくなっているせいだろう。僕にとってこのやり取りは、いくらか貴重なものではあるが、雑談の域を出るものではなかった。失ってから大切さに気づくのだとしても、失われる前にそれを実感するのは難しい。
それに、円佳さんの言動を、病弱の姫君のごとく大げさに受け取っていては、彼女の方も落ち着かないだろう。そういう扱いは望んでいないはず。
ロスタイムのようなこの時間を、僕たちはきっと普通に過ごすべきなのだ。
「……でも、どうして急にこんな話題を?」
【バス停で君の様子がおかしかったからよ。命とは何か、人生をどう生きるべきか、みたいな小難しいことを考えてるんじゃないかなって】
おっしゃるとおりです。
「気を遣ってくれたんですね」
【おねーさんには少年の悩みなどお見通しなのだ】
円佳さんが年上ぶってウィンクなんかするものだから、おかしくて吹き出してしまう。
【ちょっと、笑うところじゃないでしょ?】
「……ん、映画、終わったの」
やり取りがうるさかったのか、居眠りをしていた美門が目を覚ました。僕たちは立ち上がって映画館を後にする。冷房の効いた館内が少しだけ名残惜しい。
「はい、これ」
チケット売り場の前を通りがかったとき、美門が腕を出してきた。手のひらには数枚の硬貨が乗せられている。
「何?」
「チケット代よ」
「お互い自腹で払ったよね」
「大学生1枚」
美門の目つきが鋭くなる。
「その割り勘よ。気づいてないとでも思ってたの?」
そう言って美門は硬貨を押し付け、さっさと先に行ってしまった。
その様子を見て円佳さんが近づいてくる。
【なになに? あたしの分のチケット、買ってくれてたの? 相変わらず律儀なんだから】
「幽霊割引はないらしいので」
と僕は軽口をたたく。
【そんなキミの行動は、ミカちゃんにはバレバレだったんだね】
円佳さんはニヤニヤしている口元を手のひらで隠す。
「何ですかその顔」
【気づかない?】
「いえ……」
【あなたのことなんてお見通しなんだからっていう、ミカちゃんの対抗心に】
「誰に対抗するんですか」
【とぼけちゃって。でも、うん、いい傾向ね、これは】
円佳さんはしたり顔で、足早に進んでいく美門の背中を眺めている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます