10.恋人の妹

 美門のことは円佳さんよりも前から知っていた。

 二年生の頃に同じクラスだったからだ。


 東雲というのはこの辺りでは珍しい苗字なので、円佳さんのバイト初日から、美門と関係があるのではないかと気になっていた。


 それを深く聞けなかったのは僕の性格のせいだ。

 知り合いと同じ苗字ですね、なんていうナンパのような話題で、きれいなお姉さんに話しかける甲斐性がなかったのだ。




 物静かで無口で、周囲と壁を作っている女の子。

 それが東雲美門の第一印象だった。


 4月にして人づきあいを避けると決めているらしく、クラスメイトが話しかけても素っ気ない返事ばかり。みんな徐々に彼女と親しくなることを諦めていった。


 虐めというほどではないのだろうが、そんな彼女が面倒ごとを押し付けられるのは、半ば当然の流れだったのかもしれない。


 話をするようになったきっかけは、秋の体育祭だ。

 僕はくじ引きが当たった結果として。

 美門はたらい回しにされた役職ハズレを押し付けられて。

 僕たちは体育祭の実行委員になってしまった。


 最初の仕事である出場競技選びの司会進行は、一向にまとまらなかった。


 友達と同じ競技に出たいと言いながら、よそのクラスの友人とアプリでやり取りをしてコロコロ意見を変える女子生徒。


 得意競技じゃマジ結果出すんで、他は免除してくれない? と本気で言っているらしい運動部のチャラ田チャラ男。


 友達みんなで出たいから出場枠増やしてほしいなー、ダメ? と甘えた声で無茶を言うゆるふわ姫ガール。


 一切の意見を述べず、しかし空いた枠を勧めても首を縦に振らない、コミュ力と協調性ゼロのぼっち系帰宅部。


 そんな自分勝手の自由気ままなホームルームは、何も決まらずに終わりの時間が来てしまう。

 提出期限は今日の放課後、担当の教師が帰宅するまで。

 そのまま投げっぱなしにはできず、僕と美門は居残りをしてでも、可能な限りクラスメイトの振り分けを行うつもりだった。


 ところが、である。

 放課後になると、美門はそのまま出場者リストを提出しに行こうとしたのだ。


「ちょっと待った、東雲さん」


「何よ」


「誰がどの競技に出るか、まだほとんど決まってなかったよね」


「かもしれないわね」


「どういうつもり?」


「あの人たちは自分の都合ばかりで他人の話なんて聞かないんだから、逆のことをされても文句はないでしょ」


 平然とした口調で超理論を展開する美門に、僕は呆気に取られてしまう。こちらが絶句していると、もう言葉は尽くしたとばかりに立ち去ろうとする。


「ちょっと待った!」


「人の腕をつかまないで。同じ委員だからって気安すぎるわ」


「あ、いや、そんなつもりじゃないんだけど。……ちょっとそのリスト見せてよ」


 美門の刺々しさに恐れおののきつつも、僕は時間稼ぎのために、提出するつもりの出場者リストを見せてもらう。


 目を通していくうちに驚いたのは、そのリストの完成度の高さだ。


 クラスメイトすべての意見を取り入れるのは不可能だが、できる限りそれを追い求めた人員配置がなされたリストだった。全員へ均等に妥協を求めつつも、それぞれがいちばん求めているであろう要素は外さないよう配慮がなされていた。


 例えばチャラ男には、彼が活躍できそうな走力が求められる競技を優先的に回していた。

 姫ガールとそのお友達はまとめて団体競技に放り込んであった。


 そのほか、不公平感を減らすために必要なものを盛り込みつつも、それ以外は極限まで削ぎ落としてある、考え抜かれた出場者リストだった。


「すごいね、これ。よくできてると思うよ」


「ご理解いただけてうれしいわ」


 僕にほめられても嬉しくもなんともない、とばかりにリストを書いた紙をひったくって、美門はまたつれなく歩き去ろうとする。


「あ、ちょ、だから待ってって」


「腕をつかまないでって言ったでしょ? 見かけによらず馴れ馴れしいのね」


 美門は腕を振ってこちらの手を振り払った。なんて乱暴な仕草。

 僕はノーファウルをアピールするサッカー選手のように両手を上げつつ、美門の正面に回り込んだ。


「よくできた計画だからって、断りなしに進めても大丈夫とは限らないよ」


「……どういう意味」


「残念だけど、一人ひとりは全体を見てくれない。自分の要望が通ったことを喜ぶよりも、全体のために削られた意見の方に目が行って、そこに文句を言うんだよ」


 僕は人差し指を立てる。


「例えば足の速さが自慢のチャラ男なら、走力を活かせる競技に優先して出場させることはできる。だけど他の人より出場競技を減らせっていう要求は決して飲めない」


「当たり前でしょ。だからそういう風にリストを組んであるじゃない」


 わかりきったことを聞くな、とばかりに睨みつけてくる美門。

 その鋭い視線に押されて逃げたくなる。


「いくらそれが最善で、当たり前のことだったとしても、だから黙って言うことを聞いておけ、っていう態度だとかどが立つよ」


「……その言葉、使わないで」


「え?」


「だから、角が立つって言葉」


「なんで」


「いいから! ……わかったわよ、すぐに提出はしないわ。……それで、どうしたらいいの」


 美門は急におとなしくなった。あきらめた、とも感じられる態度の変化に戸惑ってしまう。道端に転がっているセミの死骸がいきなり羽ばたきだすのを警戒するような気分だった。


「……なんか、かどが取れたみたいになったけど。どうしたの」


「その言葉は使うなって言ったでしょ」


「ええ? ……あ、角が取れた?」


 こちらが言い当てると、またしてもすさまじい目力で睨んでくる。

 角は取れていなかった。

 僕はおそるおそる話を続ける。


「……つまり、まあ、説明だよ。こういうリストになったのはこういう理由ですって、きちんと説明してやれば、向こうだって少しは納得してくれるはずだよ」


「面倒くさい……」


 うんざりと顔をしかめる美門から、僕はリストを奪い取った。


「あ、ちょっと――」


「東雲さんはこのリストを作ってくれたんだから、今日はお役御免でいいよ。あとはこっちでやっておくから」


 それから僕はクラスメイトに声をかけて回った。


 まだ教室に居残っている者や、部活に顔を出している連中などは楽なもの。


 駅前のファストフード店で駄弁っている女子グループ、ショッピングモールをうろついている男女グループなどはまだマシで。


 一番厄介なのは放課とともに即家路につく帰宅部たちだった。


 友達の友達経由でスマホの番号を教えてもらい、それでも届かない相手については、先生に事情を話して自宅の電話番号を聞いた。


 すべてのクラスメイトから了承を取り付けるころには、午後の八時近くになっていた。


「どうしてそこまで必死になれるの」


「そりゃあ、放っておいても面倒ごとが増えるだけだからね。あと、東雲さんはちゃんと自分の仕事をやったのに、最後の仕上げでしくじったら真逆の評価を受けちゃうじゃないか。それはもったいないよ」


 無言で顔をしかめる美門へ、逆に僕は問いかける。


「先に帰ってって言ったのに、どうしてついてきたのさ」


「説明とあなたは言ったわ。そのリストはわたしが作ったんだから、説明ができるのもわたしだけでしょ」


「ご理解いただけてうれしいって言ってたから、てっきりそこは任せてくれるものと思ってたんだけど」


「言葉のあやよ。社交辞令とかお世辞とか、いちいち真に受けないで」


「でも、あのリストの中で一番、全体のために割を食っていたのは、たぶん、東雲さんだと思うんだけど」


 体力的にしんどい競技や、服が汚れること間違いなしの競技――誰もが嫌がる、いわゆる不人気競技の参加者リストには、率先して東雲美門の名前があった。そのくらいのことは気づいている。


 それを指摘すると、美門はふっと気の抜けたような顔をした。


「……一番は、同率であなたもよ」


 そう言って、美門は初めて笑った。

 皮肉げな苦笑いだったが、僕はそれをかわいいと思った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「全体のためにはこの方が早いから」と、平然と自分の損を受け入れてしまう。

 美門がそういう女の子だと知っていながら、僕は無理を押し付けた。円佳さんのためという断りがたい理由を使って、あるいは彼女からの好意すら利用して。


 それを『残酷な要求』と美門は言った。まったくそのとおりだ。


 しかし、円佳さんの存在を避けて通れない以上、他にどんなやり方があるのだろう。僕と美門が一緒にいるところに、円佳さんは浮かび上がってくるのだから。


 死んだ人間とまた会えるなんて奇跡だ、とても素晴らしいことだ。

 ……会いたいときはそれでいい。ただ喜んでいればいい。


 だけど、円佳さんの出現は自動的で、おそらく会いたくなくても・・・・現れる、そういう性質のものだ。いつかそんな気持ちで円佳さんと向き合うときが来るのだろうか。


 ケンカの一つもせずに終わってしまったからか。

 そんないつかをうまく想像することはできなかった。

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