16.もう一つの条件
本当の円佳さんの部屋は、彼女らしい明るさや穏やかさを感じる内装だった。それをじっくり堪能したい気持ちはあったが、残念ながら今はそんな状況ではない。
僕は美門をそっとベッドに下ろした。
そして、部屋の隅っこの円佳さんに話しかける。
「ごめんなさい、円佳さん」
「どうして謝るの?」
「再会した瞬間から傷つけていたことに、気づけなかったからです。何を言っても言い訳にしかならないけど、僕にとって円佳さんはいつも笑顔で明るくて、裏表のない人だったから」
今はもう、そうではないことを知っているけれど。
半透明の笑顔から目を逸らしそうになる自分を叱咤して、僕は話を続ける。
「それに……、円佳さんにとって僕は、そこまで必死になる価値のある相手なのかっていう、不釣り合い感もあって。だから、僕たちの、あれを見て」
「キス」
と美門がジト目で訂正を入れてくる。
「――を見て笑ってても、その余裕を疑わなかった」
「ふふん、あたしの演技もなかなかでしょ」
と強がってみせる円佳さん。
得意げな口ぶりとは裏腹に、その表情には陰りがある。
「美門も、ごめん」
僕は次に、ベッドの上で正座を崩している美門に謝った。
「前に言ってた『残酷な要求』って言葉の意味が、やっと理解できた。それが美門の負担になるとわかってて、でも押し付けて、体調を崩すくらい追い詰めてしまった」
「大げさよ。でも、まあ……、思い知ってくれたのならよかったわ」
美門はほんの少しだけ口元を上げる。
皮肉そうに、あるいは満足そうに。
そして、逸らしていた視線をまっすぐこちらに向けた。
「それで、どうするつもり?」
「話をしよう。以前にはできなかった話を」
もちろん話をするのは三人でだが、僕は美門に向けてしゃべっていた。
三人の中では美門が一番、言いたいことに蓋をするやつだからだ。
「今のうちに……、こうして三人で話ができるうちにさ」
僕の結論はありふれたものだった。
問題を見事に解決するような劇的からは程遠い、凡庸な提案である。
だけど美門はなぜかショックを受けたように押し黙って、まじまじと僕の顔を見上げている。
「あなた……」
「ん?」
目を合わせると、美門は逃げるように円佳さんの方を向いた。
「どしたの? ミカちゃん」
ちょこんと首をかしげる円佳さんの問いかけに、やはり美門は答えない。
数秒の沈黙のあとで、長いため息をついた。
「……わかったわ。でも今日は疲れてるから、明日にして。明日は学校へ行くから。話の続きは放課後に」
体調を引き合いに出されてはどうしようもない。
それでもどうにか美門を引き止めることはできないかと考えていたが、
【うん、それじゃまた明日ね】
と円佳さんがのんきに手を振るのを見て、諦めが勝ってしまった。
引っかかったのは、美門の様子だ。
僕は美門を抱きかかえてまで、強引に話を進めようとした。
美門はその流れを、体調を理由に断ち切った。
それは、将棋指しが長考に入るように。
あるいは打者がタイムを取って打席を外すように。
意図的に間を取ろうとしているように感じたのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日は期末テストの最終日だった。
その放課後の開放感は格別だ。
運動部の連中は3割増のやる気で教室を出ていった。
仲の良い女子グループは寄り道する店選びでかしましい。
ぼっちの帰宅部すら晴れやかな表情を浮かべている。
僕はそんなクラスメイトたちを見送った。
窓辺の席で頬杖をつき、吹き込んでくるぬるい風を受けながら。
美門がやってくる頃には、僕以外誰もいなくなっていた。
「お待たせ」
がらんとした教室に、美門がゆっくりした足取りで入ってくる。
「具合はどう?」
「大丈夫。テストも良い点取れてると思うわ」
「それはよかった」
言葉を交わしているうちに、美門と僕の間隔は五メートルを切った。
何もない空間に円佳さんを探して視線をさまよわせる。
しかし、半透明の幽霊は現れない。
「このタイミングでか……。ある意味円佳さんらしいけど」
苦笑混じりのつぶやきは、強がりのようなものだった。
嫌な予感から目を背けたかったのだ。
しかし美門は、僕のごまかしを一蹴する。
「この前とは違うわ」
そう言って、制服の胸元に手を差し入れ、そこから金色の細いチェーンを引きずり出した。美門も装飾品を身に着けたりするんだなと意外に思っていたら、ネックレスのヘッドが転がり出てきて、
――どくん、と動悸が跳ねた。
「そのネックレス――」
あまりに見覚えのあるその形は。
「へえ、ひと目で気づいたの?」
「そりゃあ、わかるよ」
「お察しのとおり、お姉ちゃんの形見のネックレスよ」
「よく似たもの、じゃなくて?」
「事故現場で見つけたって、警察の人が渡してくれたの。ほらここ、ちょっと傷になってるでしょ」
美門が指さしたところには、ひっかいたような傷があるのが見えた。事故の痕跡。円佳さんを殺したのと同じ力でつけられた傷痕に、目が釘づけになる。そんなものにさえ円佳さんの名残を探してしまう。
「一緒に納骨する予定だったのを、わたしが盗ったの」
美門は薄く笑みを浮かべていた。
円佳さんの恋人として、ここは怒りを表す場面なのかもしれない。
だけど僕は美門のこういう
それに今は、別に気になることがある。
「……この前とは違うって、どういう意味?」
「出現条件のことよ」
美門はネックレスをもてあそびながら話を続ける。
「お姉ちゃんの出現条件は、わたしとあなたが揃っていることだと言ったけど、本当はもう一つあるの」
その前フリで察してしまった。
「それが、円佳さんのネックレスだっていうのか」
「そうよ。わたしとあなたと、このネックレスを加えた、3つの点の中心にお姉ちゃんは現れるの」
物に霊魂が宿る、みたいな話を今さら議論するつもりもない。
事実として僕と美門には円佳さんの幽霊が見えていたのだから、そういうことなのだろう。死の間際に身に着けていたネックレスというのは、その手のアイテムにうってつけではある。
それに、僕が贈ったものに円佳さんの幽霊が宿っているのだとしたら、それは喜ばしいことだ。
――などと、あれこれ考えを巡らせているのは、決定的な事実を見ないようにしているから。
本当の条件が揃っているのに円佳さんが現れない。
その意味するところは。
「前に一度、お姉ちゃんが現れなかったことがあったでしょ? あのとき、わたしはこのネックレスを外していたのよ」
「でも、たった一度きりじゃないか」
「検証は済んでるわ。あなたに気づかれないように、学校で何度も確認したもの。このネックレスが出現条件なのは確かよ」
美門は理詰めで逃げ道を塞いでくる。
「……消えた方がいいかもって、言ってたもんな」
昨日の、円佳さんのつぶやき。
あれは例えば死にたいと言った人が本当に自殺してしまうような、本気の言葉ではなかったと思う。それでも、心のゆらぎが口をついて出たことは間違いない。
美門を苦しめるくらいなら自分はいない方が良いのではないか。
円佳さんならそう考えることもあるだろう。
その自責の念が、幽霊という不確かな存在を本当にかき消してしまうことも、もしかしたらあるのかもしれない。
ともかく、円佳さんは現れない。
出現条件を満たしていても出てこない。
本当の消失。
「わたしのせいだって思ってくれていいから」
「思わないよ」
「そう……、残念」
美門は本気か冗談かわからない、寂しそうな笑顔を浮かべる。
「もっと話したいことはなかったの? 後悔は? 未練は? 今どんな気持ち?」
美門は挑発めいた言葉を連ねながら、僕との距離を詰めてくる。
その胸元に円佳さんのネックレスを揺らしながら。
「今は、そこまで取り乱すような感じじゃないかな」
「……何よそれ」
興奮気味だった美門の声音が、すとん、と平坦になる。
「お姉ちゃんが死んでから、身動き取れないくらい落ち込んでたくせに」
かと思えば、また声が上ずっていく。
「そしたらあんなタイミングで幽霊になって出てきて、でもまたいなくなって……、それでどうして冷静でいられるのよ。うすっかり受け入れちゃったの!?」
「別に落ち着いてるわけじゃないんだけどな……」
だけど、少なくとも、みっともなく取り乱してはいない。
円佳さんの死に呆然自失して、心が麻痺していたあの頃とも違う。
「受け入れた、なんて偉そうなことを言うつもりはないけど」
言葉を吟味しすぎて大事なことを言えない僕にしては珍しく、その言葉は考えるよりも先に口をついて出ていた。
「落ち着いて見えるのだとしたら、それは美門がいてくれるからだよ」
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