第22話① シロップ追加お願いします

 山盛りかき氷というものは、なかなか食すに難しい。

 陽茉莉のように真ん中ばかりを食べ進めば、シロップ部分を無為に減らしてしまう。さりとて静奈のように端から食べていけば、いずれ崩れて台無しとなってしまう。

 つまり全てはバランスだ。

 ――教えてやっても良いが、こういうのは自分で気付かねばな。

 密かに優越感を抱きつつ、慎之介は抹茶氷を味わう。そして、かき氷の途中に熱いお茶をがぶりと飲むのだが、これがまた堪らなく良い。味というよりは、冷えた口に熱さを含んだ時に生じるむず痒さが癖になる。

「ね、ねえ。慎之介お兄さん、お仕事はどう……問題ない? 嫌な人とかいる? いたら言いなさい。わ、私が処理してあげるわ」

 静奈がとんでもない事を言いだした。

 そこらの女の子の言葉なら単なる戯れ言だが、代々家老職を勤め今は筆頭家老である成瀬家の娘の言葉だ。父である成瀬家老に頼らずとも、奉行の首ぐらいはすげ替えられそうな気がする。

 下手に機嫌を損ねると慎之介もどうなるか分かったものではない。

 ――結構恐い子だな、気を付けよう。

 思えば命の恩人になった後で、最初に脅されもした。本当にやりかねない。

「いまのところ大丈夫だ。それに自分で乗り越える、問題ない」

「そう……そっか……でも何かあれば言いなさい、言って下さい」

「頼りにしておこう」

 そんな恐ろしい事を頼む気はないが、むしろ断ったり否定したりする方が危険なので頷いておく。

 慎之介の考えを知る由もない静奈はご機嫌そうに笑った。

「ふふんっ。た、頼りにして、しなさい。して下さい……あっ」

 静奈はかき氷を見て哀しそうに声を上げた。端から食べていたせいで氷の山が崩落、皿からこぼれ落ちてしまったのだ。哀しいだろうが、それもまた得がたい経験だろう。

「あーもー、ちゃんと気を付けないから」

「しゅんっ」

「でも初めてだから仕方ないよ。気にしない、気にしない」

 にこやかに言う陽茉莉だが、真ん中のシロップ付近を食べ尽くしており、殆んど氷しか残っていない状態だ。

 ――愚か者め。

 バランスよく氷を食べてきた慎之介は心の中で笑った。

 この絶妙な匙加減を会得するまでに、どれだけのかき氷を食べてきた事か。伊達に年を重ねてはいないのである。

 望むのであればシロップ部分を恵んでやろう、と思っていると陽茉莉が大きく手を挙げ店員を呼んだ。

「すいませーん。シロップ追加お願いします」

 その言葉に慎之介は目を剥いた。

 ――シロップ追加だと!?

 店員が軽快な返事で直ぐにシロップを持って来る。昔は確かに、そんな事はなかったはずだ。いつの間にか可能になったらしい。慎之介は時代の変化を感じ、どこか侘しく悲しい気分で、のそのそと残りの氷を口にした。


「もうお昼ご飯の時間だよね。かき氷を食べたばっかりだけど、このまま続けてお昼を食べに行っても大丈夫だよね」

 陽茉莉は言った。

 日曜の昼はどこも混む。それを回避するには、他の人が食べない時間帯を狙うしかない。つまり十一時になった直後か、または十三時以降にするかだ。

 そして今の時間を考えれば前者を選択するほうが、時間的無駄がない。

「わ、私は構わないわよ」

「こちらも大丈夫だ」

 そして大須で昼となれば、設楽家として選ぶ場所は決まっていた。

「キッチンエードーでいいわね」

「もちろんだ。あそこなら煮込みハンバーグの一択だな」

「久しぶりだから、楽しみ」

「そういえばそうだな、しばらく行ってなかったな」

 嬉しそうな慎之介と陽茉莉は互いの顔を見やって軽く笑った。高級レストランしか知らぬであろうお嬢様に、町の老舗洋食屋を味わってもらうつもりだ。

「では――」

 席を立ち支払いに行こうとすると、レジで揉め事が起きていた。

 最初から店内にいた年配男性が支払いに行ったのだが、パタパタと身体のあちこちを叩いて、ひとつ唸ったのだ。

「いや、すまんな。どうやら財布を忘れたようだ」

「スマホ決済も出来ますよ」

「すまんが、そのようなものは持たぬ主義なのでな」

「あら、そうですか。だったら、どうしましょうかねぇ」

 店の老女将は頬に手を当て、首を傾げて困った様子だ。昔ながらの人の良い店なので、ここで声を荒らげることもない。


「学生さんとか若い子さんなら、お皿洗いを手伝って貰うのですけど……」

「ふむ、すまぬ。出来れば手伝いたいところではあるが。これから仲間、いや、知り合いと落ち合う約束があってな。そろそろ行かねばならんのだ」

「あらそうですの」

「後日、必ず支払いに来るが良いだろうか」

 男の後ろ姿しか見えないが、そこには堂々とした佇まいがあった。嘘やいい加減な事を言っているのではないと分かる。

「お金? お金が問題、なの?」

 静奈が財布を取り出した。

 どうやら皆が困っているため、何とかしようと思ったらしい。とても優しくて良い子だと思う。ただ、そこから札束を出そうとしなければだが。

 慎之介は静奈の行動を止めさせて前に出た。

「失礼、ここは僕が支払いをします」

 そう言った慎之介を、女将と話していた男が静かに振り向いた。風格があり理知的で威厳すら感じる顔立ちだった。目付きは鋭いが穏やかで、その目を慎之介に向けたまま、男は慎之介に向き直った。訝しげな様子だ。

「お主は?」

「この店の常連ですよ。お気に入りのかき氷を美味しく食べて貰ったので、ここは僕が払いますよ」

 男の顔に、ゆっくりと微笑が浮かんだ。どうやら慎之介の物言いに好感を抱いたらしい。感心するような褒めるような、そういった様子だ。

 一方で慎之介も、男の反応に嬉しくなった。

 その感情を強いて言うのであれば、祖父や父などに褒められ認められた時のような、何かこそばゆいような気分である。

「では、馳走になろう。感謝する」

 穏やかに言った男は慎之介に一礼し、店の女将にも一礼しゆっくりと店を出て行った。堂々とした態度だ。

「いつもの、お兄さん。ありがとうね」

 女将にも軽く礼を言われ支払いをする。

 しかし男は一番高い宇治白玉クリームミルク金時抹茶付きを食べていたので、自分たちの食べた分も含めると、そこそこの値段であった。

 予定外の出費だが、慎之介は妙に嬉しいような心地よさを感じている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る