第2話① こんな事して大丈夫?

 幻獣、それは古くは妖怪や怪異とも呼ばれた。

 社会生活に大きな被害をもたらす災害で発生原理も判明していた。大地にはによる地圧差があり、気の流れにより地圧に陰陽の差が生じる。その陰地圧で幻獣が発生しやすい。

 今では地圧を観測し、気の流れである地脈の動きから幻獣の出現を予測できるまでになった。さらに出現時に発せられる気を検知し、緊急警報も発せられる。

「ええっ……今日の幻獣予報だと安全だったけど!?」

「だからAI予報なんてあてにならんのだ。靴を飛ばして占った方が当たるぞ」

「いや当たんない、それ当たんない」

 呆れる陽茉莉の腕を掴み、ビルの外壁に身を寄せた。直後、それまで立っていた付近を人の群れが濁流のように駆け抜けていく。

 呑気に立っていれば、今頃は酷い目に遭っていただろう。

 多数の人間がパニック状態。制止や冷静さを求める声は悲鳴にかき消され、怒声や悲鳴が響き、子供の名や親を呼ぶ声が混じっていた。

「ごめん、うっかりしてた。ありがと」

「もっと周りに注意するんだぞ。そら、こっちだ」

 慎之介は人の少ない方向に向かう。

 こんな時のための避難シェルターもあるが、どうせ人が殺到している。入れない場所に行き時間を取られるよりは、身を潜めようという考えだ。

「でも、緊急速報が出たからって直ぐ出るわけ――あー、出た」

 陽茉莉が指差す先、逃げ惑う人々の向こうに白い生き物の頭部が見えた。それは犬に似た姿だ。ただし頭の位置は人の背丈よりも上にある。


「あれってイヌカミ!?」

「獣型の中幻獣だな。ここはマズいぞ。早いとこ逃げよう」

「でも、待ってよ」

 陽茉莉は逃げ惑う人々を見やった。

 一つ向こうの交差点で、イヌカミが人に襲い掛かっている。喰いつかれ空中に放り投げられ、信号機より高く跳ばされた後に食われた。嬲り殺しだ。

 思わず一歩踏み出した慎之介だが、それ以上は動かず眉間に皺を寄せている。

「言いたい事は分かるが……駄目だな、逃げよう」

「でも、お兄なら幻獣だって何とかできるよね」

「無茶を仰る。出来る分けがなかろうが」

 一つ向こうの交差点で、転んで倒れた子供に母親が駆け寄る姿が見えた。そこにイヌカミが突進している。

「くそっ!」

 慎之介は手にしていた缶ジュースをアンダスローで投擲した。軽く投げたはずのそれは、弾丸のように飛び百mは先にいるイヌカミの頭に命中した。

 思わぬ攻撃にイヌカミはバランスを崩し転倒している。

「十分出来てると思うけど」

 普通ではあり得ない投擲を、陽茉莉は当たり前のように見て、しかも親子が逃げおおせた様子に安堵している。そんな妹の頭を慎之介は小突いた。

「出来るのはこんな程度だ。それに見ろ、侍が来た」

 先程のトークショーに出演していた侍たちが駆け参じ、イヌカミに斬りかかった。

 幻獣に対抗する方法は幾つかあるが、その中で一番確実で効果的であるのは今も昔も変わらない。つまり、侍たちによる駆除だ。

「さあ逃げるぞ、後は任せてやり過ごそう」

 そう告げて慎之介と陽茉莉は逃げ出した。


「ここか……」

 目の前にあるビルを見上げ、慎之介は渋い顔をした。

 それは仕事で関わるクレーマーが所有するビルだ。近寄りたくもないが、何度も呼びつけられてきたので部屋の配置は詳しい。

「仕方がない、入るか」

「電子錠がかかってるよ、パスワード知ってる?」

「パスワードか、もちろんだ」

 慎之介は腰元に帯びていた刀を鞘ごと引き抜き、その鞘の下端のこじりを玄関ドアの硝子に叩き付けた。

「お兄ってば。こんな事して大丈夫?」

 陽茉莉が心配するように、これは器物損壊だ。

「外を彷徨くよりは、建物の中が安全だ。ほら足元に気を付けろ」

「一人で歩けるよ」

 辺りに硝子片が散っている。怪我をしないよう抱えて運ぼうとした陽茉莉に拒否され、哀しい気分で中に足を踏み入れる。内部は暗く、そして静かだ。不在だったのか避難したのかは分からない。何にせよ誰も居ないようだ。

 正面に受け付けがあり、左に続く通路の手前にドアがある。

「奥に行くぞ」

 陽茉莉を連れ奥に進む。いつも呼びつけられ怒鳴られている部屋だ。この幻獣騒動が無事収まれば、また来る事になるかもしれない。

「疲れたか? 少しソファに座って休むといい」

「ありがと、お兄も座ろ」

 応接ソファに二人並んで座り軽く気を抜いた。

 陽茉莉はスマホを操作しだすが、どうやらこの状況をSNSに投稿しつつ情報収集しているようだ。

「えーっと、この辺りの情報がいっぱい出てるよ」

 そう告げる陽茉莉に慎之介は疑わしげな顔をした。ただし陽茉莉を疑っているのではなく、そうしたSNSの情報を疑っている。再生数稼ぎに虚偽や大袈裟なことを発信する輩は、いたちごっこで一向に減らない。


「あたしのフォロワーさんもいるから。信用出来る情報だよ」

「そうか、ならいい。下手に逃げるよりは、此処で大人しくした方がいいな」

 休憩も兼ねて部屋の中で待機する。空調の音が耳をつくほどで、外からの音も殆んど聞こえず静か――そう思った瞬間、甲高い破砕音が聞こえた。

 それは玄関の方からだ。

「「……!?」」

 二人同時に立ちあがった途端に、入ってきた扉が吹っ飛んだ。そこに突き込まれたのは真っ白い獣の頭部。間違いなくイヌカミのものだった。

「お兄、さっきみたいにやって!」

「無茶を仰る!」

「じゃあ倒して!」

「もっと無茶になってるぞ。逃げろ、奥に行くんだ!」

 イヌカミはドアに引っかかっているが、一度頭を引っ込め代わりに前足を突っ込んできた。確実にこちらを狙っている。

 その風圧を感じつつ、奥にある扉から逃げる。背後で入室したイヌカミと入れ替わりだ。大急ぎで廊下を走り――横の壁にあった窓が割れた。

「わわっ! こっちにも!?」

「こっちにもか! 厄介だな!」

 砕けた窓硝子から白い獣の前足が突き込まれる。鋭く湾曲した爪が宙を掻き、さらに窓枠を掴んでいる。壁に亀裂が入った。背後でも、先程のイヌカミがまたドアを突破しようと暴れていた。

「止まるな! 奥に!」

 慎之介は陽茉莉の手を引き、廊下を駆け進んだ。それを追うイヌカミによって、ビル内部は滅茶苦茶になるが気にしてられなかった。

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