第2話 困っている人を助けたいから

 幻獣、それは古くは妖怪や怪異とも呼ばれた。

 社会生活に大きな被害をもたらす災害で発生原理も判明していた。大地にはによる地圧差があり、気の流れにより地圧に陰陽の差が生じる。その陰地圧で幻獣が発生しやすい。

 今では地圧を観測し、気の流れである地脈の動きから幻獣の出現を予測できるまでになった。さらに出現時に発せられる気を検知し、緊急警報も発せられる。

「ええっ? 今日の幻獣予報だと安全だったけど!?」

「だからAI予報なんてあてにならんのだ。靴を飛ばして占った方が当たるぞ」

「いや当たんない、それ当たんない」

 呆れる陽茉莉の腕を掴み、ビルの外壁に身を寄せた。直後、それまで立っていた付近を人の群れが濁流のように駆け抜けていく。

 呑気に立っていれば、今頃は酷い目に遭っていただろう。

 多数の人間がパニック状態。制止や冷静さを求める声は悲鳴にかき消され、怒声や悲鳴が響き、子供の名や親を呼ぶ声が混じっていた。

「ごめん、うっかりしてた。ありがと」

「もっと周りに注意するんだぞ。そら、こっちだ」

 慎之介は人の少ない方向に向かう。

 こんな時のための避難シェルターもあるが、どうせ人が殺到している。入れない場所に行き時間を取られるよりは、身を潜めようという考えだ。

「でも、緊急速報が出たからって直ぐ出るわけ――あー、出た」

 陽茉莉が指差す先、逃げ惑う人々の向こうに白い生き物の頭部が見えた。それは犬に似た姿だ。ただし頭の位置は人の背丈よりも上にある。

「あれイヌカミ!?」

「獣型の中幻獣だな。ここはマズいぞ。早いとこ逃げよう」

「でも、待って!」

 陽茉莉は逃げ惑う人々を見やった。

 一つ向こうの交差点で、イヌカミが人に襲い掛かっている。喰いつかれ空中に放り投げられ、信号機より高く跳ばされた後に食われた。嬲り殺しだ。

 思わず一歩踏み出した慎之介だが、それ以上は動かず眉間に皺を寄せている。

「……駄目だな、逃げよう」

「でも、お兄なら幻獣だって何とかできるよね」

「無茶を仰る。出来る分けがなかろうが」

 一つ向こうの交差点で、転んで倒れた子供に母親が駆け寄る姿が見えた。そこにイヌカミが突進している。

「くそっ!」

 慎之介は手にしていた缶ジュースをアンダスローで投擲した。軽く投げたはずのそれは、弾丸のように飛び百mは先にいるイヌカミの頭に命中した。

 思わぬ攻撃にイヌカミはバランスを崩し転倒している。

「十分出来てると思うけど」

 普通ではあり得ない投擲を、陽茉莉は当たり前のように見て、しかも親子が逃げおおせた様子に安堵している。そんな妹の頭を慎之介は小突いた。

「出来るのはこんな程度だ。それに見ろ、侍が来た」

 先程のトークショーに出演していた侍たちが駆け参じ、イヌカミに斬りかかった。

 幻獣に対抗する方法は幾つかあるが、その中で一番確実で効果的であるのは今も昔も変わらない。つまり、侍たちによる駆除だ。

「さあ逃げるぞ、後は任せてやり過ごそう」

 そう告げて慎之介と陽茉莉は逃げ出した。


「ここか……」

 目の前にあるビルを見上げ、慎之介は渋い顔をした。

 それは仕事で関わるクレーマーが所有するビルだ。近寄りたくもないが、何度も呼びつけられてきたので部屋の配置は詳しい。

「仕方がない、入るか」

「電子錠がかかってるよ、パスワード知ってる?」

「パスワードか、もちろんだ」

 慎之介は腰元に帯びていた刀を鞘ごと引き抜き、その鞘の下端のこじりを玄関ドアの硝子に叩き付けた。

「お兄ってば。こんな事して大丈夫?」

 陽茉莉が心配するように、これは器物損壊だ。

「外を彷徨くよりは、建物の中が安全だ。ほら足元に気を付けろ」

「一人で歩けるよ」

 辺りに硝子片が散っている。怪我をしないよう抱えて運ぼうとした陽茉莉に拒否され、哀しい気分で中に足を踏み入れる。内部は暗く、そして静かだ。不在だったのか避難したのかは分からない。何にせよ誰も居ないようだ。

 正面に受け付けがあり、左に続く通路の手前にドアがある。

「奥に行くぞ」

 陽茉莉を連れ奥に進む。いつも呼びつけられ怒鳴られている部屋だ。この幻獣騒動が無事収まれば、また来る事になるかもしれない。

「疲れたか? 少しソファに座って休むといい」

「ありがと、お兄も座ろ」

 応接ソファに二人並んで座り軽く気を抜いた。

 陽茉莉はスマホを操作しだすが、どうやらこの状況をSNSに投稿しつつ情報収集しているようだ。

「えーっと、この辺りの情報がいっぱい出てるよ」

 そう告げる陽茉莉に慎之介は疑わしげな顔をした。ただし陽茉莉を疑っているのではなく、そうしたSNSの情報を疑っている。再生数稼ぎに虚偽の大袈裟なことを発信する輩は、いたちごっこで一向に減らない。

「あたしのフォロワーさんもいるから。信用出来る情報だよ」

「そうか、ならいい。下手に逃げるよりは、此処で大人しくした方がいいな」

 休憩も兼ねて部屋の中で待機する。空調の音が耳をつくほどで、外からの音も殆んど聞こえず静か――そう思った瞬間、甲高い破砕音が聞こえた。

 それは玄関の方からだ。

「「……!?」」

 二人同時に立ちあがった途端に、入ってきた扉が吹っ飛んだ。そこに突き込まれたのは真っ白い獣の頭部。間違いなくイヌカミのものだった。

「お兄、さっきみたいにやって!」

「無茶を仰る!」

「じゃあ倒して!」

「もっと無茶になってるぞ。逃げろ、奥に行くんだ!」

 イヌカミはドアに引っかかっているが、一度頭を引っ込め代わりに前足を突っ込んできた。確実にこちらを狙っている。

 その風圧を感じつつ、奥にある扉から逃げる。背後で入室したイヌカミと入れ替わりだ。大急ぎで廊下を走り――横の壁にあった窓が割れた。

「わわっ! こっちにも!?」

「こっちにもか! 厄介だな!」

 砕けた窓硝子から白い獣の前足が突き込まれる。鋭く湾曲した爪が宙を掻き、さらに窓枠を掴んでいる。壁に亀裂が入った。背後でも、先程のイヌカミがまたドアを突破しようと暴れていた。

「止まるな! 奥に!」

 慎之介は陽茉莉の手を引き、廊下を駆け進んだ。それを追うイヌカミによって、ビル内部は滅茶苦茶になるが気にしてられなかった。


 裏口から転げるように外へ出た。

 一方通行道路で痩せた木の植栽が点々とあり、イベント関係者の車両が路駐されていた。辺りに鞄や靴が散乱する様子が混乱の様を現している。

 そこは侍トークショーが行われた特設ステージの間近だ。

「お兄、次はどうしよ!?」

「イベント会場に行くか」

 イヌカミは建物内に引っかかって詰まったが、あのしつこさだ。その内に抜け出てくるだろう。ぼさっと立っている場合ではない。

 無人の会場に駆け込む。その先にある頑丈そうなビル入り口に、イベントスタッフ控え室との張り紙を見つけると、迷わず飛び込む――先客がいた。

「あっ……」

 驚いた声をあげたのは、侍を示す紺瑠璃色した制服姿の女性だ。白い髪、目鼻立ちは整い、その浅紫色の瞳が驚いたように見つめてくる。

 侍トークショーに出ていた、幼馴染みの五斗蒔咲月だった。

 久しぶりの再会だが、直ぐに慎之介たちの事に気付いたらしい。それまで厳しさのあった顔が柔和な笑顔に彩られた。

「慎之介、それに陽茉莉ちゃん!?」

「咲月お姉だ!?」

 陽茉莉も驚きの声をあげた。

「良かった、お姉は侍だから安心だよ。あのね、イヌカミに目を付けられて、さっきまで追いかけられてたの」

「そうだったの、無事で良かった。任せて。でも、ちょっと待ってね。今は指揮してる最中だから」

「えっと、指揮って?」

 可愛い妹分の不思議そうな様子に咲月は微笑んだ。

「私は特務四課の課長だもの」

「課長なんだ! それって凄い、んだよね?」

 感心しておきながら、陽茉莉はそのまま続けて慎之介に確認した。それで肯いて貰えると改めて感心している。

「家柄で選ばれただけよ。だから実績をつくらないと、って頑張ってるところ」

 恥ずかしそうに言う咲月を見ながら、慎之介は折り畳み椅子を広げて陽茉莉を座らせて休ませた。

「四年ぶりぐらいか?」

 軽く笑って問いかける。気安く話しかけるのは、久しぶりに会った咲月が以前と変わらないからだ。見た目こそ大人っぽくなったが、少々生真面目だが素直で人の良い性格はそのままだ。

「ん、京都に留学してたからそうね、でも咲月ちゃんとは時々会ってたよ。うん、それでもここ一年ぐらいは会ってなかったかな。侍になった事も言ってなかったし」

 幸いにしてイヌカミの追撃も感じられない。辺りに警戒はしながら、気を紛らわすための会話をする。

「特務課の課長か、エリートだな」

「就職して、いきなり課長という時点で察して。今日だって、ここの広報を任されたぐらいだもの」

 咲月は自嘲気味に言って、その白い髪を弄った。

 どうやら自分の置かれている境遇に不満があるらしい。だが慎之介は――悪意や嫌味ではなく素直に――咲月は広報が相応しいと思った。

 なぜなら提起材適所。その容姿を見ても分かるように、これだけ見栄えがするのだから広報活動の方が大いに活躍出来るだろう。広報で人々の防災意識を高めるのも立派な仕事だ。

 そう思う慎之介だったが、咲月の気持ちを慮って言わなかった。


「あー、それにしても、どうして咲月は侍になったんだ?」

「ん? 慎之介、知らないの? 五斗蒔家は代々とまでは言わないけど、侍を輩出してる家系だから。私がやるのも当然なの」

「そうなのか。もしかして、成りたくないのにやらされてるのか?」

 もしそうであれば気の毒だ。ただ、侍に成りたくて成れなかった慎之介には微妙に羨ましい気持ちではあるが。

「あ、それは勘違いしないで」

 咲月は軽く手を左右に振って否定した。

「もちろん困っている人を助けたいから。自分から希望してだからね」

「なる程な。それで、今はどれぐらい助けられたんだ?」

「皆、つまり私の部下なんだけど。ちゃーんと頑張ってくれてるよ」

 そういって咲月はスマホを振った。ちらりと見えたそれには地図が表示されており、幾つかの表示が次々と高速で流れていた。

 とりあえずアナログな慎之介には、何かは分からない。

「なるほど。ま、いいか」

「慎之介、相変わらず機械はダメみたいね」

「そうでもないさ」

 否定はしたものの、隣で陽茉莉が首を横に振るので意味がない。

「こうして三人でいると昔みたいだな」

 咲月とは母親同士が友人だったため、子供の頃は慎之介の家によく来ていた。それで一緒に駆け回っていた。咲月も子供の頃はやんちゃで、そして幼い陽茉莉は後ろをちょこちょこ付いて来ていた。懐かしい思い出だ。

「しかも、悪さしてバレないよう隠れてた時を思い出す」

 慎之介が昔の話を持ち出すと、咲月も覚えていたらしい。懐かしさ半分、困り半分でクスッと笑った。

「え? なになに? それ、あたし覚えてないけど」

「それほど面白い話でもないからな。覚えてないなら、それでいいだろう」

「ひどい、ちゃんと教えて」

 頬を膨らませ陽茉莉が文句を言った。

「お兄との思い出なのに。思い出せないのがあるとか、何かやだ」

「さーてどうするかな」

「教えてよ、教えてー」

 軽く陽茉莉をからかっていたとき、外から悲鳴が聞こえた。

 つまりそれは誰かが幻獣に襲われているのだ。

「っ!」

 刀を手に立ちあがる咲月を、だが慎之介は制止した。やはり親しい相手が戦いに身を投じるとなれば心配になって当然だ。

「大丈夫か? 無理するなよ」

「ありがと、心配してくれて。でも平気よ、これが役目だもの」

 その浅紫色した瞳には強い意志が滲んでいる。

「慎之介と陽茉莉ちゃんは、ここに居て。私は行かなきゃ」

 咲月は侍の力である士魂を発動させた。

 そのまま素早い動きで控え室を飛びだしていく。それを慎之介と陽茉莉が後を追いかけたのは、やはり幼馴染みが心配だったからだ。

 外には逃げ惑う人々がいて、それを追う白い人擬きたちの姿があった。

 コタマと呼ばれる人型軽幻獣だ。

「参ります!」

 突っ込んだ咲月の刀が淡く発光し、コタマの横腹を斬り裂いた。幻獣の中では最弱な相手だが、しかし群れて動くため厄介な相手だ。先頭の一体が倒れると、残りのコタマが咲月を標的に変えた。

「そこの人たち、逃げて。ここは引き受けます!」

 咲月の言葉を聞くまでも無く、襲われていた人たちは逃げ去った。

 次なるコタマが跳びかかり、咲月は素早く回避しながら反撃する。目まぐるしい戦いが始まったが、咲月は着実に一体二体と倒していく。横から跳びかかるコタマを軽く跳んで回避した。

「よかった、これなら何とかなる――」

「避けろ! 横だ!」

「えっ!?」

 咲月は慎之介の叫びに反応しきれず、横から飛び込んできたイヌカミの一撃を受け跳ね飛ばされた。背後のコンクリート壁に背中から激突、その場に崩れるように倒れ込んだ。

「「…………」」

 慎之介と陽茉莉はその様子を前に軽く頷き合った。

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